とまり木  (3)

 


 昼食を食べた後に行われた、双子と彼らの両親であるエクリッセ伯爵夫妻を交えての今後についての話し合いは中々終わらずに夕食時までかかり、皆で一緒に夕食を食べてから、キアヌとケイリーは離宮の部屋に帰って来た。
 エクリッセ伯爵夫妻は、キアヌを幼少の頃から良く知っていて勿論とても気に入っているので、二人のことを大変喜んだ。キアヌを除いた5人は、マルスとワッシャーの二人が交代で宰相を務める事よりも、ケイリーとキアヌの結婚式の話で盛大に盛り上がった。
 
 
 
「・・・何ですか、それ?」
 コトッ、と寝室の机にキアヌが置いた物を見て、ケイリーが首を傾げた。
「ああ、マルスとワッシャーに『しっかり学べ』と言われて渡されたのだが・・・」
 若草色の表紙の厚目の本には、朱色の絹のリボンが結ばれている。無造作に解いて、ペラペラとページを捲ったキアヌは、真っ赤な顔で本を投げ捨てた。
「何だこれは!? あいつら・・・人をからかうのも大概にしろ!!」
 床に放られた本が立てた大きな音に、ケイリーは瞬きをして驚いた顔でキアヌを見た。
 
「・・・一体、何の本なのですか?」
「性的快楽を得る為の本だろう! くだらんものを!」
「え? それはおかしいです。兄様達が私とキアヌの邪魔をするわけがありませんから」
 そう言ってケイリーは本を拾うと、中を見て、首を傾げた。
「・・・キアヌ、ちゃんと見ていないでしょう? これ、教科書ですよ?」
「は? 教科書だと?」
 キアヌは疑うように眉を寄せてケイリーを見ると、ケイリーは裏表紙に書かれた文字をキアヌに指差して見せた。エクリッセ家の家紋と共にエクリセア語で『エクリッセ家認定教科書』と書かれているのを見て、キアヌは信じられない様子でケイリーの手から本を奪い、目次を眺めた。
 エクリセア語で書かれている為に、文字よりも男女が絡まる緻密な絵が目に入って来たので、誤解をしたらしい。
 
 ライオネル以外にはエクリッセ伯爵家の兄弟しか仲の良い友達の相手がいなかったキアヌは、三人に半分無理矢理に教え込まれてエクリセア語が堪能なのだが、普段あまり目にしていないので、ケルトレア語の様に瞬時に脳が理解しなかったのだ。
 エクリッセ伯爵領土以外のケルトレア王国領土では、ケルトレア語と大陸共通語が使われているのだが、エクリッセ伯爵領ではエクリセア語が主に使われ、学校でケルトレア語と大陸共通語もしっかり教わるので、エクリッセ伯爵領に住む者は皆、三つの言語を使うことが出来る。
 
「領内の学校で使っている性教育の教科書です。『しっかり学べ』というのは、からかっているのではないですよ。私もこの教科書を、日々愛読していますよ!」
「愛読書が性教育の教科書・・・しかも、お前、自慢げに・・・・・・」
 引き攣った顔をするキアヌに、ケイリーは誇らしげに腰に両手を当てて胸を張った。
「この本に書かれていることは全部、私の想像の中でキアヌは経験済みですよ! 凄いでしょう!」
「人を勝手に使って自慢するな!!」
「想像の中でなら何をしようと私の勝手です。沢山の人がキアヌとのにゃんにゃんを想像しているのだから、私だって負けてはいられません!! 毎日、あんなことやこんなことの想像を・・・・・・ハァハァ」
「全員殺してやる・・・」
 怒りに震えるキアヌに、ケイリーは首を横に振る。
「そうしたら、ケルトレア国民が5分の3になりますよ!! そんなことよりも、これを渡されたという事は、本当に兄様達は真面目に宰相を勤めるつもりですね」
「意味が解からん。関係ないだろうが!!」
 そう言って、キアヌは手にしていた本に視線を移すと、そこに描かれた裸で交わる男女の緻密な絵に頬を染めて本を閉じた。
 
「関係あるよ。解説の素敵な絵にハァハァせずに落ち着いて、偏見を持たずにその本の目次ページを良く見てください」
 ケイリーはキアヌを引っ張って寝台に腰掛けさせ、自分も横に座ると、キアヌの手の中にある本の目次ページを開く。
 そこには、真面目な体の仕組みの説明や、性交渉だけではなく普段の生活での男女間における精神的な相違についてなど、学術的な言葉が多く並んでいる。
「キアヌは学校でこんなに詳しい性教育受けましたか? 私はケルアの学校では、こんなの全然習わなかったです」
「・・・子の作り方や、避妊方法は習ったが・・・こんなに色々習っていないぞ」
「ですよね。私も、ケルアの学校では生殖行為について基礎は習いましたけど、こんな風に男女の違いをきちんと教わりませんでした」
「・・・確かに、精神的なことや、女の体の繊細さについて、この本に書かれていることは学ぶべきなのかもな・・・」
 真面目な顔でキアヌが呟くと、ケイリーは満足そうに頷いた。
 
「・・・兄様達がこの本を今までキアヌに見せていなかったのに、今になって見せたという事には大きな意味があるんですよ。多分、兄様達が宰相になったら、この本のケルトレア版を作って、陛下に見せて説明をしてケルアの学校の教科書にも指定するのだと思います」
「は? ・・・冗談だろう?」
 眉を寄せ疑いの眼差しを向けるキアヌに、ケイリーは首を横に振る。
「ううん、真面目な話です。この本って、エクリセアの大切な政策なんです。この本のお陰で、経済効果があるんです」
「・・・性教育本を読むことが、どう経済効果に繋がるのだ?」
 キアヌは訝しげに、いつになく真剣な表情のケイリーの顔を見つめた。
「奥様が幸せで旦那さんとらぶらぶだと、世の中全てが上手く行くからです」
「・・・意味が解からん」
 解せない顔をするキアヌを見て、ケイリーは目次のページをもう一度指差した。
 
「目次を見ると分かると思うんだけど、この教科書って、心身共に女性を喜ばせる方法を中心に夫婦の愛情を深める方法を一番の目的に書かれているんです」
 そう言われてキアヌはケイリーの指先に目を向けると、確かに女性を大切にすることを教える内容が多いことを理解する。
 ケルトレアも主神が女神の国なので、女性を大切にするという習慣はあるのだが、それは表向きだけで、実際は女性には家督を継ぐ権利も無く、騎士隊を見ても政府の要人を見ても男性ばかりである。
 魔術師部隊は入隊する男女の割合は女性の方がやや多いのだが、魔力の強い女性は魔力の強い子供を産めるので、結婚して除隊する者が多く、全体としては、やはり男性の割合の方が高い。高い地位を男性が占領しているのだから、どうしても男性本位の社会になっているのだ。だから、女性は女性というだけで、軽んじられてしまうことも多々あるし、魔力の高い女性は、魔力の強い子供を産む事だけが仕事の様に思う者も多い。
 「性行為は、女性を喜ばせることが重要」という捉え方は、ケルトレア人にとってはあまりにも非常識であった。
 
「この教科書、学校で使う時は前後編に分かれていて、基礎の書かれた前編は下級学校の最終学年で、後編は上級学校の三学年の授業で使うんです。今キアヌが持っているのは、両方を一つにした物にオマケが付いた完全版で、結婚する時に領主からの結婚祝いとして贈られるのです」
「・・・・・・微妙な結婚祝いだな・・・領主に夜の夫婦の営みを教えられて嬉しいのか?」
 キアヌの、ケルトレア人としては至極真っ当な疑問に、ケイリーは首を傾げた。
「え? 嬉しいに決まっているじゃないですか〜! 完全版には、男性が喜ぶことをどうやって女性におねだりすれば嫌悪感を持たれずにしてもらえるかとか、逆に女性の立場から男性に可愛くおねだりする方法も書いてあるんだよ〜。色々と具体的に書いてあって、とっても実用的と大好評です! えっへん!」
 胸を張るケイリーに、キアヌは理解不可能、といった顔をする。
 
「・・・・・・政策といえども、結婚する領民全員にただでやるとなると、かなりの額だろう?」
「ええ。でも、あげるのは一回だけで、改訂版は購入してもらうので、儲かっていますよ」
「改訂版?」
「二年に一度、少し改定しています。巻末に葉書が2枚付いていまして、感想や改良できる点などを書いてもらって城に送ってもらっているんです」
「絶対変だぞ、その政策・・・」
 葉書を処理する役人達を想像して、キアヌは顔を引き攣らせる。
「兄様達も、ケルアでとっても優秀な人材の揃った娼館に通って研究して、改良に役立てています」
「・・・あいつら公費で娼館に通っているのか!」
 ケルアの最高級娼館「薔薇屋敷」で、お得意様の待遇を受けていた二人を思い出して、キアヌは呆れた顔をした。
 
「まぁ、その話は置いておくとして・・・ええと・・・奥さんが心身ともに満たされて旦那さんとらぶらぶだったら、美味しいご飯を作りたくなるし、お家も綺麗にしたくなるし、旦那さんに綺麗に見せたくなるから、お買い物をするでしょう?」
 ケイリーが政策の狙いが何なのかを話すと、キアヌは驚いたように目を見開いた。
「・・・そうか、買い物をする機会は女性の方が多いから、経済効果があるのか」
「うん。それで、奥さんが優しくて綺麗だと旦那さんも嬉しくなって、もっと奥さんを大切にして、一生懸命働いて、贈り物を買ったり、夜もらぶらぶで子供も増えるでしょう? 子供が出来たら、子供の為にもっと頑張るわけです」
「・・・ほう」
 感心するキアヌを見て、ケイリーは嬉しそうに説明を続ける。
「幸せな家庭に育つ子供の方が、国に役立つ人物になり易いし、幸せがぐるぐる廻るんです」
「なるほど・・・凄いな・・・・・・」
「えっへん! だから、キアヌも私を大切にしなきゃ駄目ですよ?」
 ケイリーが、ここぞと自分のことを主張すると、キアヌは、ふん、と鼻で笑った。
「なんとなく上手く騙された気もするが、それが国の為にもなるのだな」
「そうですよ!」
 
「この本が、エクリセア2600年の秘密か・・・」
 手の中の本を眺めて、キアヌは微妙な顔をした。
「まぁ、これだけではないと思うけど、この本の効果は偉大なんですよ。他の所に比べて一般的にエクリセアは仲の良い夫婦が多いし、知能と魔術の平均が高いのも、性教育のお陰なのかもしれません」
「ふん・・・流石、変態の巣窟なだけあって、政策も変だな」
「そんなに褒めちゃ、照れちゃいますよ〜! さぁ、キアヌ! 実践しましょう!!」
 張り切って目を輝かせたケイリーに、キアヌは、ふいっと目を逸らせた。
「実践に移る前に、この本を読まねばならん」
「え!? ・・・本を参考にしながら、やりながら覚えるのが良いと思います!!」
「いや、まずは正しい知識を身に付けなくては。お前は、先に湯浴みをしてろ」
「え〜。一緒に入ろうよ〜」
「駄目だ。きちんと勉強してからだ」
 抗議の声を上げたものの軽く無視されて、ケイリーは渋々と一人で隣の浴室へ向かった。
 
 
 
 ケイリーが部屋に戻って来ると、キアヌは真面目な顔で机に向かい、眉間に皺を寄せて性教育本と戦っていた。
(……あんなに真剣な顔で性教育の教科書を睨んでいる人なんて、キアヌ以外にいないだろうな……)
 ケイリーの視線にキアヌは顔を上げると、本に栞を挟んで、立ち上がった。
「私も湯を浴びて来る」
 そう言ってケイリーをちらりと見たキアヌの顔が、多少興奮したように上気しているのを見て、ケイリーは黙って頷いた。
(なんだか、ドキドキしちゃうよ。キアヌってば!)
 本を手に取って、寝台の上に寝転がりながら、ケイリーは期待に胸を膨らませた。

 

 

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