とまり木  (1)

 


 ケルトレア王国の地方領主の子供達は、健康に問題がない限りは必ず首都で小学校に6年間と上級学校に6年間通う事が定められている。
 上級学校は、騎士学校、魔術師学校、文官学校、の三つの中から選ぶ。領主の子供達は中央政府にとっての大切な人質であり、又、中央政府に従うように教育がされる。地方領土の個性を認める事との均等を取る為の政策であり、首都で教育を受けなかった者は領主になる資格を剥奪される徹底された制度になっている。 
 
 エクリッセ伯爵家の娘として生まれたケイリー・エクリッセも慣わしどおり、6歳の時に生まれ育ったエクリセアから、小学校に入る為に文化の違う首都ケルアに越して来た。彼女の3歳年上の双子の兄達は既にケルアで生活をしており、首都にあるエクリッセ家の屋敷はケイリーの住み心地の良いものになっていた。
 好奇心旺盛で活発なケイリーにとって、初めて訪れた首都は見るもの全てが珍しく、新しい世界に胸が高鳴った。
 しかし、その期待は、ケルアに住む人々から向けられた負の感情に押し潰されてしまった。国王のエクリッセ伯爵領土出身者に対する差別は、幼いケイリーが直ぐに感じることが出来る程に、首都に住む人々の間に浸透していたのだ。
 
 エクリッセ伯爵領土は、400年程前にケルトレア王国が滅ぼし吸収したエクリセア王国の領土であり、その時結ばれた条約により、エクリセア王家がそのまま領主としてその地を守っている。
 文化も異なる上に、純粋なエクリセア人は必ず鮮やかな緑の瞳に華やかな赤毛という目立つ特徴があるので、茶色がかった金髪から薄茶色の髪の色と青い瞳の者が大半であるケルトレアでは「外国人」のように見えるのだ。
 ケルトレアという国の中にエクリセアという国が存在しているような感覚で、エクリッセ伯爵領出身者は当然の様に、ケルトレア王家よりも長い歴史のあるエクリッセ伯爵家に従う傾向がある。ケルトレア王国の歴史において、魔力が強く頭の切れる者が多いエクリッセ伯爵家と、様々な魔法を便利に使える「魔具」の産地であるエクリッセ伯爵領土は、常になくてはならない存在であったが、王族や他の貴族達の中には、エクリセア人を毛嫌いする者も少なくはない。エクリッセ伯爵領土出身者は、差別される御世もあれば、逆に優遇される御世もあり、それは時の王の傾向に寄るものだった。
 
 エクリッセ伯爵領土で、ケイリーは人々の暖かな好意と敬愛に包まれて育った。かの地では、父は王であり、その娘のケイリーは王女であった。
 首都ケルアに来て初めて、滅びた王国の幻想は危険分子でしかなく、現在のケルトレア王の意向から、エクリセア人は差別の対象とされている事を知った。
 突然、美しい夢から叩き起こされたかのように、ケイリーは、自分が王女などではなく、ただの領主の娘なのだと目の当たりにしたのだ。
 「エクリセア」などという国は、もうとっくの昔に滅びていたのだ。
 そう理解すると、自分が酷く滑稽に思えた。
 幼児特有の傲慢さで、何もかも悟ったように思い、悲劇の主人公にでもなった気分だった。
 幼いケイリーは、先祖は王の誇りを捨てて命乞いをして国を売り、他国の家臣に成り下がったのだと思った。
 赤毛を見ては嫌な反応をするケルアの人々に滅入り、仮病でも使って故郷に帰りたいと思っていた。領主になるのは双子の兄達なのだから、領主になる権利など、剥奪されても良い。こんな所に住みたくない。美しい故郷に帰りたい。首都に着いて三日で、ケイリーはすっかり滅入ってしまっていた。
 
 彼に出会わなければ、きっとケルアから逃げ出して間違った道を歩んだことだろう、とケイリーは振り返る。
 そして、そんな道など、初めから用意されていなかったのだとも思うのだ。
 彼と同い年の兄達がいる限り、彼に出会わないはずなどなかったのだから。
 だから、そう、それは初めから決められていたこと。
 
 
 その瞬間を、ケイリーは今でも良く覚えている。
 首都ケルアの屋敷に引っ越してきたケイリーの為に、祝いの席が設けられた日のことだった。
 双子の兄達の一人が、ケイリーの手を引いて、その人の元へ連れて行ったのだ。
 ケイリーの目の前に現れたのは、神の使いか精霊かと見紛うような、神殿の彫刻が彫られた壁から抜け出して来たかのように神秘的な雰囲気を持った少年だった
 彼が歩くと、桃色と金色を混ぜたような色の胸までの長さの巻き毛が揺れて光を集め、その美しさに目を奪われた。
 エクリセアに住む者は、赤い髪に緑の瞳の者ばかりだが、赤毛でない人間を見たことがなかったわけではない。比率は低いが、エクリセアにも金や茶色の髪の者も住んでいる。けれど、その少年のような、不思議な色合いの髪を持つ者を、ケイリーは見たことがなかった。
 繊細な彫刻のような中性的な顔には似合わぬ意思の強そうな眉も、瞬きの度に存在を主張する長い睫毛も、それに縁取られた二つの宝石の様な煌く瞳も、同じ赤金色をしていた。
 黄金よりも美しい色合いで、黄金よりも価値のあるものだと思った。
 こんなに美しい人間が存在するのかと、驚愕した。
 まじまじと、完璧と言っても差し障りの無い美貌を見つめながら、ケイリーは思った。
 哀れだ、と。
 
 異端。
 人も動物も本能的にそれを嗅ぎつけて、自分の属する種の為にだろうか、排除するのだという事をケイリーは学んだばかりだった。
 これほどまでの美貌を前に、人は彼を自分と同種と思うことに違和感を覚えざるおえない。
 それはきっと、とても不幸なことだ。
 光ある所に闇が生まれるように、この過ぎた美貌は、光よりも闇を惹き付け、その闇に彼は嘆き絶望するだろう。
 もう、この世界の闇の深さに見限っているかもしれない。
 美の女神ブリューナの寵愛を受け過ぎて生まれたその少年を、彼より3歳も年下の身でありながら、ケイリーはとても不憫に思った。
 
 けれども、ケイリーがその考えを持っていたのは、瞬きをする程の短い時間だけだった。
 彼の微笑に、その考えはあまりにあっさりと覆された。
 心からの微笑みに内面の美しさを垣間見たケイリーは、なんて強い光だろうか、と思った。
 美しいのは、光を放つのは、外見ではなく、魂なのだ。
 この人の魂は、なんて綺麗なのだろうかと、胸の奥が熱くなった。
 
 自分の月が、彼の中に太陽を見出したのだと瞬時に思った。
 エクリセア文化では、月と太陽は夫婦の神で、晴れと雨と曇りは彼らの子供達とされる。
 太陽の愛が大き過ぎて、それを受け止める為に月はその身が二つになったとも、太陽を思う気持ちが大き過ぎて、思いが溢れて月の身は二つになったとも言われる。
 夜空に浮かぶ二つの月は、愛を表す女神とも等しく、それは、エクリセア文化の主神である美の女神ブリューナとも又同一の女神だ。そして、太陽の神は彼女の夫であり、どの神よりも美しいルーグ神でもある。
 正に彼はルーグ神のような姿と魂を持っているのだと、ケイリーは確信した。
 
――私が、この人を守る。この人の「きらきら」を、私が守る。
 
 ケルアに来て自分を見失っていた幼いケイリーは、こうして生き甲斐を見つけたのだった。
 
 
 その日から、ケイリーの人生は常にキアヌが中心だった。
 キアヌは、ブラヴォド聖騎士爵家の跡取りで、生まれた時から騎士になる定めであったので、当然騎士学校に進学した。学科の成績も優秀で身体能力も高く魔力も強いケイリーは、どの学校に進むことも出来たが、キアヌが騎士学校に進学した3年後に、迷わず騎士学校へ進んだ。
 兄達は次期領主として文官学校へ進学し、卒業すると、故郷へ帰った。
 領主の子供は最低でも一人が首都で仕官しなければならない制度なので、ケイリーはキアヌのいる騎士隊に入り、ケルアに残っていつもキアヌの側にいた。
 二人の関係は、出会った時からずっと変わらなかったが、側にいられるだけで幸せだった。
 大人になるにつれて、キアヌは他の男とは違い、性欲が無いことに薄々気付いた。そして、それは彼の美貌の光によって出来た暗い影なのだろうと思った。一生このままでも、それでも側にいたいと思った。
 領主の娘に生まれた自分には、それは叶わぬ願いだと解かっていたが、それでも、故郷を捨ててでも、側にいたいと思った。
 
 二人の月と太陽が回転を始めたのは、出会ってから16年後。
 ケルトレア王国は戦場で王を失った時だった。

 
 
 
  15歳で王位を継いだ王子は、直ぐに大きな改革に乗り出した。新王は、愚王の続いたケルトレア王国全体にとっても、中央政府から圧制を受けていたエクリッセ伯爵領土にとっても、久しぶりに得た希望だった。
 国が良い方へ流れ始めたと、国中が活気付く中、それと反比例するかのように沈んでいくキアヌに、ケイリーは不安で堪らなかった。
 二人の関係が変わらなければ、側にいられるのは、残りわずか。
 キアヌがこの先恙無く生きて行けるのか、それが心配だった。
 
 一人身でいられるのは25歳までと、家族会議で決められていた。それまでは自由にやって良い代わりに、その時が来たら、エクリセアの為になる縁談を受けなければならない。エクリセア王家の血を引き魔力の大変強く健康なケイリーには、数え切れない程の縁談が国中のみならず他国からも寄せられていた。
 例外もあるが、基本的に、魔力が強い女性しか魔力の強い子供を産むことは出来ない。そして、魔力の非常に強い者は体との均等が取れずに体が弱い者が多いので、魔力が非常に強く体の丈夫な女性は引く手数多なのだ。その上、ケイリーは縁を持つことが非常に有意義なエクリッセ伯爵家の一人娘なのだから、当然の状況であった。
 
 
 
「キアヌは、私に・・・忠誠を誓えると思うか?」
「勿論です。あなたの騎士達は皆、あなたに忠誠を誓っています、陛下」
 
 耳にした声と言葉に、ケイリーは、はっとして身を隠し、気配を消した。
 新王と、騎士長の声だった。
 
「私の騎士達の忠誠心を疑っているわけではないが、キアヌは繊細だからな。ライオネル、お前と違ってな?」
「お褒めのお言葉と受け取らせていただきましょう。キアヌは確かに繊細な外見ですが、見た目よりもずっと気が強くて攻撃的な性格ですし、強い男ですよ」
「・・・真面目で純粋な分、脆いのではないか?」
「ケイリーがいますし、大丈夫でしょう。・・・大丈夫でなければ、困ります」
「ああ、困るな・・・国に必要な男だ」
 
 
 400年前の建国以前から、現在のケルトレア王家であるケルダーナ家に仕えていた騎士だったブラヴォド家は、王への忠誠心が非常に強く、王家の第一の家臣である。
 他の聖騎士爵家を冷遇する王は歴史上に度々現れたが、ブラヴォド家を特待する王はいても冷遇する王は今までいなかった。それ程までに、ブラヴォド家は王家から絶対の信頼を受けているのだ。
 
 賢く偏見の無い新王は、人を見る目に優れているとケイリーは思っている。そんな王が、何故、キアヌの忠誠心を疑っているのだろうか? キアヌの様子がおかしい理由はそこにあるのではないだろうか?
 キアヌが何か王の信頼を無くすような失敗をしたのだ、と思い,、ケイリーは血の気が引いて行くのを感じた。
 些細な事まで懸命に思い出してみたが、先王を戦場で失った日からキアヌが立ち直れていない様子である事を再確認したのみ。
 解かったことは、王のキアヌに対する不信感を拭わなければならないという事だけだった。真剣な顔で眉を寄せたケイリーは、王の次の言葉を聞いて耳を疑った。
 
 
「キアヌが駄目ならば、ケイリーは私の后にする」
「・・・・・・ケイリーを?」
「ライオネルは結婚しているし、他の聖騎士爵家の跡継ぎも皆、良い相手がいるのだから、残りは私だけだろう?」
「・・・ケイリーは、陛下の8歳も年上ですよ?」
「ライオネルとフェリシテの年の差はそれ以上だったかと記憶しているが? ケイリーならば優秀な跡継ぎを産んでくれることだろう」
「・・・直ぐに鼻血を出しますよ?」
「あの手この手で取り入ろうとする女に比べれば、鼻血など可愛いものではないか」
「・・・変態ですし・・・・・・」
「・・・・・・そこまで酷いことを言わなくとも良いだろう。心配せずとも、無理矢理奪うつもりはない。あくまでも妥協策だ。ケイリーは私の治世の鍵の一つだからな。ケルアに留めておきたい」
「・・・そうですね」
「私も、キアヌとケイリーが結ばれるのが一番だと思っている」
「ええ。・・・本当に」
 
 
――私を、后に?
  王様が成人されるのは二年後。私が25歳になるのも、二年後。……まさか、これを考慮して決められた事だったの?
 
 今まで、期限後の事は考えないようにしてきたケイリーは、初めて具体的に想像をして、絶望的な気持ちになった。
 
――相手が尊敬する王様だって、こんなにも嫌なんだ。他の人なんて、もっと無理だよ。
  我侭だって解かってる。……でも、他の人じゃ駄目なんだよ。
  キアヌじゃなきゃ、駄目なんだよ……。

 

 

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