エクトルが何を言い掛けたのか、ギニヴィアは永遠に知ることは無かった。
あなたを愛しています。本当は、ずっとお慕い申し上げていました。
そう言えば良かった。
別れの時に、抱きしめて口付けてくれた時に、そう言えば良かった。
ギニヴィアは、悔やんでも悔やみ切れなかった。
帰って来ると約束したエクトルは、ギニヴィアの元へ永遠に帰って来なかった。
亡骸さえも、祖国に帰って来なかった。
エクトルにそっくりのライオネル。
育つほどに、まるで生き写しのようになる息子を見ると、どうしてもギニヴィアはエクトルを重ねてしまった。
愛しいのに、帰らぬ人の面影があまりに辛くて、息子を避けるようになった。
酷い母親だと自覚している。
せめて嘘でも良いから、愛していると、そう言ってくれたならば。
それを形見に、一生エクトルを想って生きて行けたかもしれない。
せめて、その言葉を聞けたならば。
――ギニヴィア、私は・・・
忘れられない、その台詞。
それの続きは……?
――ギニヴィア、私は、お前を愛している。
そう言ってくれたならば……。
だけど、それは叶わぬ夢。
結局自分は、エクトルにとって子を作る道具でしかなかったのだろうか?
それとも、一人の女として少しは意味があったのだろうか?
まるでエクトルの生き写しのようなライオネルを見ると、自分の血など一滴も入っていないかの様に思えた。確かに産んだはずなのに、それさえも夢だったのではないかと思える。
自分がこの子の母である意味はあったのだろうか?
この子を産むのは、誰でも良かったのではないだろうか?
そう思えて、酷く辛かった。
息子をこれ以上愛してしまうのが怖かった。息子に罪は無いと解かっているのに、ギニヴィアは息子との間にどうしても壁を作ってしまう。これでは息子が可哀相だと思うのに、上手く接することが出来ないのだ。
エクトルは、何を言おうとしたのだろうか?
別れの時、口付けてくれたのは、気紛れだったのだろうか?
もしかしたら、自分をを少しずつでも愛してくれるのではないかと、これからは本当の夫婦になれるのではないかと、そう期待したのは自分だけだろうか?
考えたところで、答えてくれる相手はもういない。
どうして、もっと早く、解かり合えなかったのだろう?
いや、どうしてこんなに早く……。
どうして、こんなに早く、自分達母子を残して逝ってしまったのだろうか?
どうして、こんな事になったのだろう?
エクトルの存在の、全てを受け継いだような息子を見ることが、どうしても辛かった。
愛しいのに、愛しくて堪らないのに、辛くて、苦しくて……。
ギニヴィアは、自分に母親の資格などない、と思った。
これ以上側にいても、傷付け合うだけだと。
「・・・『わたくしは、エクトルを愛していました。初めて会った時から、あの人が亡くなるまで。いいえ、きっと、わたくしは、死ぬまであの人を愛することでしょう。例え、わたくしがネグリタ家を出て他の人と家庭を築いても、エクトルへの想いは消えないでしょう。わたくしは、エクトルを愛していました。それをエクトルに伝えることが出来なかった事が、一番の後悔です』」
「そんな・・・」
フェリシテの読み上げる手紙の内容に、ライオネルは呆然とした。
夫の青ざめた顔を心配そうに見ながら、フェリシテは続けた。
「・・・『わたくしたちは、お互いの気持ちを伝える機会を作りませんでした。わたくしは、エクトルが最後に屋敷を後にした日の二日前まで、あの人はわたくしを嫌っておいでだと思っていました。エクトルも、わたくしがエクトルを嫌っていると、ずっと思っていた、と仰いました。あの人が、わたくしを愛してくれていたのかは分かりません。でも、わたくしは、確かにあの人を愛していました。もし、あの人が無事に帰って来てくれていたら、わたくしたちは、きっともっと夫婦らしくなれたことでしょう。あなたは、どうか自分の気持ちに正直に、幸せな家庭を築いて下さい。あなたの幸せを、毎日女神に祈っています。――愛を込めて、あなたの母ギニヴィア』・・・・・・以上ですわ、ライオネル・・・」
「母上・・・」
ライオネルは、フェリシテがテーブルに置いた手紙を凝視した。
愛など無いと思っていた。
愛など、どこにも無い家族なのだと。
「ライオネル・・・」
フェリシテは、ライオネルをそっと抱きしめて背中を撫でた。
「・・・ねぇ、ライオネル。お義母様の肖像画、飾りませんか?」
唐突な言葉に、ライオネルは我に返って、驚いた顔をフェリシテに向けた。
「・・・・・・知っていたのか」
「捨てたなんて仰って、嘘つきですわね、ライオネル?」
くすくすと笑う妻に、ライオネルは恥ずかしそうな気まずそうな顔をした。
「・・・母の肖像画を飾りたくないなどと、女々しいことを思っている男だと、あなたに思われたくなかったのだ。・・・いつから知っていた?」
「もう20年以上も前から、ですわ」
フェリシテは、にっこりと笑う。
20年間以上知っていて、知らない振りをしてくれていたのかと思うと、その気遣いが嬉しかった。
「・・・そうか」
「トリストラムもランスロットも知っていますのよ?」
「・・・まいったな」
息子達まで、知らない振りをしていたのかと思うと、気恥ずかしかった。
ライオネルが隠していたギニヴィアの肖像画は、次の日、綺麗に並べられた。
肖像画を眺めながら、フェリシテが言った。
「トリストラムの瞳は、お義母様譲りなのですわね、きっと」
「・・・そうだな」
肖像画の母は、長男と同じ琥珀色の真っ直ぐな瞳をしている。
「まるで女神の様にお綺麗な方。きっと、ランスロットの綺麗な顔も、お義母様譲りですわ」
「・・・・・・そうかもな」
自分は父の生き写しのようで、母が本当に自分の母であったことさえ分からない様な姿だけれど、手紙を読み、この人は確かに自分の母なのだと思うと、ライオネルは嬉しかった。
自分の中の母の血が、息子達に受け継がれたのだ。この人は、自分を愛してくれていたのだ、そう思うと、誇らしく思えた。
フェリシテはライオネルに向き直って、そっとライオネルの両手を取った。
「わたくしは、あなたを愛しています、ライオネル。あなたが十分お解かりになっていらしても、毎日毎日、お伝えしますわ」
微笑む妻をの手を、ライオネルは強く握り返した。
「・・・私もあなたを愛している、フェリシテ。今までも、これからも、ずっと、愛している」
何も言わずに、抱き合って、目を閉じた。
腕の中に愛する人のぬくもりがあることが、心から嬉しかった。
幸福を噛み締めて、ライオネルが目を開けると、肖像画の母と目が合った。肖像画の母が嬉しそうに微笑んだ気がして、彼女に微笑み返し、祈った。
――女神の御許で、二人が愛を伝えられんことを。
了 ―2007年9月8日―
● ● ―後書きのようなもの― ……本当は、ハッピーエンドが好きなんです。