耳に残るは・・・  (3)

 


 義務の作業の成果から、結婚して数ヶ月でギニヴィアはエクトルの子を身籠った。
 10月後に産まれて来た子は、エクトルにそっくりな容姿の健康な男児だった。 
 
 ギニヴィアが身籠っている間、何故かエクトルは驚くほど頻繁に家に帰って来た。
 体調の悪いギニヴィアを抱く事もせずに、ただ添い寝をする夜もあった。 何も言わずに大きくなった腹を撫でて、嬉しそうにしているのだ。気紛れか、ギニヴィアを愛しむように、口付けたり抱きしめたりもした。
 他の女の所へ行かずに、何故、そんな、彼にとっては全く無駄な行為をするのか、ギニヴィアには理解出来なかった。ただ、聖五騎士爵家にとって跡継ぎは本当に大切なものだから、自分ではなく、自分の腹の中に入っている子供を大切にしているのだろうと思った。それでも、ギニヴィアは嬉しかった。 
  
 
 
 ライオネル、と名付けられたネグリタ聖騎士爵家の跡継ぎが生まれて、5年の月日が経った。 
 
 自分の血は一滴も入っていないのではないか、とギニヴィアが疑いたくなる程に、息子は父親にそっくりだった。それでも、可愛くないはずはない。自分を好いてくれない夫と違い、息子は自分を慕っているのだ。夫と良く似た顔なので戸惑ってしまい、ギニヴィアは息子に上手く愛情表現が出来なかった。それでも自分をとても慕っている息子が、愛しくて堪らなかった。
 
 望んでいる第二子第三子は、中々宿らなかった。
 早くまた子が欲しいとギニヴィアは願っているのに、エクトルは精を中にくれないのだ。
 三人は子供が欲しいと言ったのに、どうしてなのかと尋ねると、「まだ早い」、「ライオネルがもう少し育つまで」、と色々と理由を言われて言い包められて、もう5年も経ってしまった。
 もしかして、他の女に子を産ませるつもりなのだろうか? とギニヴィアは不安になる。それは契約違反だ。それだけは、絶対に許せない。それだけは、自分の仕事なのだ。彼を愛して癒すのが他の女の仕事だとしても、それだけは、譲れない。
 早く子が欲しい。 
 ギニヴィアは切実に思った。
 身籠れば、エクトルは自分を見てくれる。自分を、ではないと解かっている。彼の子を育む自分の腹を、だ。それでも良い。早く又、笑顔を向けて欲しかった。抱きしめて、口付けて欲しかった。
 
 
 
 
 
 
「久しいな、ギニヴィア」
「・・・お帰りなさいませ。ご無事で何よりです。・・・お疲れのご様子ですね」
 夜も更けて、遠征から久しぶりに実家に戻ってきたエクトルは少々疲れた顔をしていた。
 疲れた顔が益々色っぽい、などと思ってしまう自分は、救いようの無い馬鹿な女だ、とギニヴィアは思った。
「ああ、戦状が思わしくなくてな。長い間、留守にしてすまなかった」
「いいえ。ご心配なさらずに。城へはいつお戻りになられますの?」
 ギニヴィアは読んでいた本を置いて、寝台から降りた。 
 
「明後日の夕方には発つ」
「明日は一日中こちらに?」
 酒を用意しながら、ギニヴィアはエクトルを見つめた。久しぶりに顔を見ると、自分はやはりこの男が好きなのだと自覚する。報われない想いに、胸が痛かった。
「・・・ああ、長いこと帰って来ていなかったからな。また暫く家を空ける事になる」
 上着を脱ぎながらエクトルは言った。
「・・・ライオネルは、あなたにお会いできるのを、いつかいつかと楽しみにしています。明日は、たっぷり時間を取ってやって下さいませ」
「ああ、そのつもりだ」
 エクトルは、忙しい中、息子の為に帰って来たのだ。とても嬉しいけれど、少し胸が痛かった。跡継ぎさえ産めば、自分の存在など意味は無いのだから。早く、次の子を身籠りたい。存在価値が欲しい。 
 
「・・・少し、痩せたか?」
 ふとエクトルが言った言葉の意味が、ギニヴィアは一瞬理解出来なかった。
「・・・・・・いいえ、あなたに似て発育も良く、健康にお育ちですわ」
「ライオネルのことではない。お前のことだ」
 エクトルが苛立ったように眉を寄せた。
「え? わたくし・・・?」
「なんだ、何故そんなに驚く?」
 目を丸くしたギニヴィアに、エクトルは怒ったように言ってワインを呷った。 
 
「いえ・・・あなたがわたくしを気に掛けて下さるなんて・・・。もちろん、あなたの子を産む体だからだとは、承知していますけれど・・・」
「・・・妻を気遣うのが可笑しいか?」
 睨み付けるようにして言ったエクトルに、ギニヴィアは自嘲した。
 妻?
 子を産む道具、の間違いではないだろうか?
「・・・今まで、妻として気遣って下さったことがありまして?」
「もうよい。湯を浴びて来る」 
 
 吐き捨てるようにそう言って、エクトルが寝室から繋がった湯浴み場へ姿を消すと、ギニヴィアは涙が溢れた。 何故、あんな台詞を言ってしまったのだろう、悔しく思って唇を噛んだ。
 今更、こんな解かりきったことに食って掛からずに、ただエクトルの言葉をそのまま受け取れば良かった。気紛れとはいえ、気遣いの言葉をくれたのだ。欲しかったものではないか。どうして素直に喜べないのだろう。
 胸が痛くて、嗚咽が漏れた。目を腫らしてはいけない。これ以上嫌われる事を自らするのを止めなくては。ギニヴィアは、グラスに注いだ葡萄酒を流し込んだ。 
 
 
 
 エクトルは湯浴みを終えると、無言のまま寝台でギニヴィアの上になった。
 いつもどおりの手順で。
 何も言わずに、作業を始める。
 ライオネルを産んでからは、精を中に出さない。だからこの作業は無意味なはずなのだ。ただの性欲の処理。嫌々やるくらいなら他でやってくれば良いのに、と思うが、女と一つの寝台で寝れば、嫌でも性欲が湧いてしまうらしい。 
 
 閨の外では、口付けることさえしないのに。
 エクトルは、閨でもギニヴィアの唇は口付けなかった。
 娼婦みたいだ、とギニヴィアは思った。
 唇に口付けてくれたのは、結婚式とライオネルを身籠っていた間だけ。
 早く、次の子を身籠りたい。
 口付けが欲しい。 
 
 初めは胸をそっと撫で、頃合を見て頂きに舌を這わす。
 ギニヴィアが堪えきれずに声を漏らすと、そこからゆっくりと愛撫を下げて行く。己を受け入れるところが濡れるように、指で広げて舌を這わせる。
「あっ・・・ああ・・・・・・」
 静かな部屋に、自分の声だけが響くのがギニヴィアは悲しかった。 
 
 少しでも、情熱を見せてくれたら。
 少しでも、この体に夢中になってくれたら。
 どんな女になら、夢中になるのだろうか?
 どんな風に抱いているのだろうか?
 戦の前後は、死ぬ前に抱きたいのは、帰って来て真っ先に抱きたいのは、誰なのだろう?
 どんな女なのだろうか? 
 
 
「エクトル・・・」
「・・・なんだ?」
 名を呼ばれて、エクトルは驚いた顔で愛撫を止めて、ギニヴィアを訝しげに見詰めた。
 ギニヴィアは泣きそうになるのを堪える。
「・・・あなたが戦の前後に抱くのは、どんな方ですか?」
「どういう意味だ?」
 エクトルは苛々とした顔と声で眉を寄せて言うと、己のものを摩る。その反り立ったものを見て、ギニヴィアは体を熱くさせながら、勇気を奮い立たせて言った。 
 
「あなたは一度だって、わたくしを戦の前後に抱いて下さったことがありません」
「・・・何を言っているのだ?」
 エクトルはギニヴィアの台詞に、混乱した顔をした。
「・・・ただ、どんな方なのか聞いてみたくて。あなたが欲する女は、一体どんな女なのかと。戦に出る前に抱きたいのは、死ぬ前に抱きたい一番抱きたい女。戦から帰ってきて抱きたいのも、生きて帰ってきて誰よりも一番に会って抱きたい女、なのでしょう? そう騎士の方から聞きましたわ」
 ギニヴィアが切羽詰ったように言うと、エクトルは頷いた。 
 
「そういうものだろうな」
「決してわたくしではない。・・・解かっていますし、それを責めたり意見したりなどいたしません。ただ、どんな女なのか知りたいのです」
「・・・戦の前後に抱くのは、心を少しも留めていない娼婦達だ」
 エクトルの答えに、ギニヴィアは今度こそ、胸が粉々に砕けてしまったと思った。エクトルに抱いている恋心は、結婚初夜に乱暴に投げつけられて砕けている。それでも捨て切れなかったその破片も、もう、踏み潰されて粉々で、拾っても手から砂のように零れ落ちて消えてしまう事だろう。
 
「・・・そうですか」
「何が言いたいのだ・・・?」
 はらはらと声も無く涙を流すギニヴィアの頬を、エクトルはそっと拭った。
「・・・わたくしを、そんなにお嫌いですか?」
「お前を嫌う・・・?」
「好いた女なら構いません。ですが、心を留めもしない娼婦よりも、わたくしは価値がありませんか?」
 ギニヴィアの言葉に、珍しくエクトルは声を荒げた。   
「何を言う! そんなはずがないだろう!」
「では何故!? どうして、わたくしを抱いて下さらないのです!! 嫌っているからでしょう!! もう、結構です!! ・・・もう、十分ですわ!! ・・・もう・・・十分・・・もう・・・・・・」 
 
 取り乱して叫んで泣くギニヴィアを、エクトルは信じられないものを見るような目で見た。
「・・・一体、何が言いたいのだ、ギニヴィア? ・・・・・・私を嫌っているのは、お前の方だろう?」
「何を仰るのですか!!」
 ギニヴィアはキッとエクトルを睨んだ。
 涙で濡れて怒った顔なのに、それでもギニヴィアは美しかった。 
 
 
「・・・お前はいつだって、私に抱かれて辛そうに嫌そうにしているではないか。・・・何度も泣いたではないか。今もそうやって、私の所為で涙を流しているではないか!」
 初めて自分に声を荒げて感情を見せる夫に、ギニヴィアは驚きながらも、今まで抱えてきた想いを吐き出した。
「それはあなたが・・・あなたが、少しも、わたくしに夢中になって下さらないからでしょう!? 少しもご自分をさらけ出して下さらないから!!」
「どういう意味だ・・・? ・・・そんな、まさか・・・お前は・・・まさか、私を嫌っているわけではないのか?」
 唖然として言うエクトルに、ギニヴィアは自嘲した。 
 
「馬鹿な女と、笑って下さって結構ですわ」
「・・・いつからだ?」
 エクトルは呆然と、ギニヴィアを見詰めた。
「何がです?」
「いつから、私が嫌でなくなったのだ? あんなに嫌がっていたではないか・・・」
 ギニヴィアは嘲笑した。
「それこそ、いつです? いつ、わたくしがあなたを嫌がりましたか? 初めにわたくしを拒絶したのは、あなたでしょう!?」
 エクトルは、不可解そうに眉を寄せた。
「拒絶?」 
「跡継ぎさえ産めば、好きなようにして良い、外に恋人を作って良い、などと!!」
 悲鳴に近い声で、ギニヴィアは6年半の想いを吐き出した。 
 
「・・・・・・それは、お前が・・・好きでもない男の子供を、産まなければならないことが・・・辛いだろうから・・・」
 ギニヴィアの叫びに、狼狽した顔のエクトルはぽつりと言った。
 その言葉に、ギニヴィアは驚いてエクトルを見た。
「・・・・・・まさか、わたくしを気遣って?」
「・・・そうだ。・・・お前を傷付けるつもりはなかった。・・・戦の前後にお前を抱かないのも・・・お前を傷付けたくないからだ・・・」
 エクトルは、いつもの彼からかけ離れた、自信無さげな顔でギニヴィアを見詰めた。 
 
「どういう意味ですの?」
「・・・お前は、その辺の女達と違うだろう。・・・なんだ、その・・・戦の前後は気が立つのだ。・・・だから、どうしても、落ち着いて優しく抱いてやることなど出来ない。・・・だから、どうでもいい女を抱く」
 言い辛そうに、ぼそぼそとエクトルが言い、ギニヴィアは目を瞬かせた。
「・・・まさか、あなたがご自分をさらけ出してわたくしを抱かないのも、わたくしを気遣ってのことですの?」
「・・・ああ。枷をはずして抱いたら、お前に酷い苦痛を与えるだろうから・・・。二度と私に抱かれてはくれないと思ってのことだ」
 エクトルは心底恥ずかしそな表情をして、顔を背けた。
「・・・どうして? どうして、そんな・・・」
「お前が大切だからだろう」
 顔を背けたまま、ぶっきらぼうに言われて、ギニヴィアは混乱して苦しくなった。 
 
「そんなの・・・そんなの嘘だわ!!」
「嘘なものか!!」
 怒った顔で真っ直ぐに見詰められて、ギニヴィアはどうしたら良いの分からなかった。心が混乱して、色々な感情がごちゃ混ぜになる。
「・・・わたくしを嫌っていらっしゃるのではないの?」
「・・・・・・嫌ってなど、いるものか・・・」
 エクトルはそう言うと、深呼吸をして、同じ台詞をもう一度力強く繰り返した。
「嫌ってなどいるものか」 
 
「そんな・・・では・・・・・・きちんと抱いて下さい。・・・あなたのお好きなようになさって。本当のあなたを見せて下さい」
 そして証明して欲しい。本当に自分を欲しているのだと言う事を。
 義務ではなく、エクトルが自ら自分を欲しているのだという事を、ギニヴィアは感じたかった。
「・・・・・・今度こそ本当に、嫌いになるかもしれないぞ?」
「なれるものなら、もうとっくの昔になっていますわ」
 ギニヴィアの台詞に、エクトルは酷く狼狽した顔をした後に、優しく微笑んだ。
 久しぶりに自分に向けられた微笑に、ギニヴィアは胸がきゅっと締め付けられた。砕けて粉々になった心の破片は、まだ消えてなくなってはいなかったのだと思った。 
 
 
 
「あっ・・・エクトル・・・・・・あっ・・・はぁっ・・・・・・」
 いつもとは違う激しい愛撫を受けて、ギニヴィアは何度も何度も達した。
「気持ち良いか?」
「・・・そんな事・・・ああっ・・・・・・聞かなくても・・・お分かりでしょう・・・?」
 途切れ途切れに言うギニヴィアに、エクトルは満足げに目を細めて口付け、ギニヴィアの舌を貪った。 
 
「ふっ・・・あっ・・・・・・エクトル・・・あっ・・・ああっ・・・!!」
 自分の中に何度も出し入れされる熱いエクトルの分身が、自分を欲している事を確かに感じて、ギニヴィアは感じた事の無かった幸せと満足感を感じた。
「お前がこんなに甘い声で鳴くとは知らなかった。・・・可愛いな、ギニヴィア」
 そんな言葉を言われては、言葉だけで達してしまう。
 そうでなくとも、壊れ物に触れるかのように丁寧に丁寧に抱かれた事しか無かったギニヴィアにとって、今夜は衝撃と快感の嵐だった。
「あっ・・・嫌っ・・・こんなっ・・・わたくしっ・・・」
「もっと、乱れて見せろ。ギニヴィア、お前を全部見せてくれ」
 騎乗位でエクトルの上にさせられ、今までに感じた事の無い快感に、羞恥と戸惑いを抱えながらもギニヴィアの体は勝手に動く。
「・・・あっ・・・ああっ・・・エクトル・・・エクトル・・・」
「ギニヴィア、もっと私を求めてくれ・・・」
 自ら腰を振るギニヴィアに、エクトルはぎらぎらと興奮した顔で、形の良い尻を両手で掴んで激しく攻めた。
「ああっ!!・・・エクトル!・・・あっ・・・ああっ・・・もうっ駄目っ・・・エクトル!!」
 ギニヴィアが切なげに名を呼ぶと、何度目かもう覚えていないエクトルの欲望がニヴィアの中に勢い良く放たれた。
 
 
 
 
 
 
「フレシスとの決戦が近い。・・・お前の元に帰って来るつもりだが、もしもの時の覚悟をしておいて欲しい」
 次の日もたっぷり激しく抱き合った後、ギニヴィアを腕に抱くエクトルが言った言葉に、彼女は眉を寄せて首を横に振った。
「嫌ですわ。絶対に帰って来て下さると、約束して下さいませ」
 ギニヴィアが怒った顔をすると、エクトルは驚いたように少し目を見開いてから、優しく微笑んで彼女の頭を撫でた。
「・・・ああ、そうだな」 
 
「・・・戦から帰って来たら・・・・・・一番にわたくしを抱いて下さいますか?」
 恥ずかしそうに頬を染めて俯きながら言うギニヴィアの額に、エクトルはそっと口付けた。
「ああ。お前を抱くのを楽しみに帰って来るとしよう」
「・・・嬉しい」
 エクトルはぎゅっと強くギニヴィアを抱きしめて、耳元で囁いた。
「お前の為に戦おう。お前とライオネルが安心して暮らせるように、そのために戦おう」
「・・・あなたのご無事を、毎日女神に祈ります」
 耳元に囁き返されて、エクトルはギニヴィアの目を見詰めた。
 
「心強いな。・・・ギニヴィア、私は・・・私は・・・・・」
 言いどもるエクトルに、ギニヴィアは少し首を傾げた。
「・・・いや、帰って来てから、きちんと言うことにする」
「まぁ、気になるではありませんか!」
 少し困ったように目を逸らせたエクトルに、ギニヴィアは怒った顔をした。それを見たエクトルは、何故か嬉しそうに、可笑しそうに笑った。
「ああ。帰って来るまで気にしていろ。そうしている内に直ぐに帰って来る」
「まぁ!・・・早く帰って来て下さいませね?」 
 
 
 ギニヴィアが微笑んで言うと、エクトルは黙ってギニヴィアの頬を撫でて、甘い口付けを落とした。

 

 

 

 

 

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