耳に残るは・・・  (2)

 


「跡継ぎさえ産んでくれれば、後はお前の好きなようにして良い。子は良い騎士になれる健康な男子が3人ほど欲しい。戦場で命を落とす可能性も高いからな。我が家には確実な跡継ぎが必要だ。3人いれば誰か残るだろう」  
 
 
 言われた言葉に、女は呆然として言葉も無く、男の顔を見た。
 花嫁衣裳に身を包んだ女は、当代一の美姫との呼び声さえある美しい女だった。ケルトレア王国で好まれる艶やかな長い黒髪は美しく結い上げられて飾りを散りばめられ、人生で一番の晴れ舞台の為に身に着けた純白のドレスはレースも最高級のもの。
 今日、彼女の美しさには老若男女誰もが息を呑み、うっとりと見惚れた。
 目の前にいる男以外は。 
 
 幸せの絶頂から絶望に突き落とされた彼女、ギニヴィア・ヘネシー侯爵令嬢、改め本日からギニヴィア・ネグリタ次期聖騎士爵夫人、は、あまりの衝撃に、美しい琥珀の瞳に涙さえ浮かんで来なかった。
 黙っているギニヴィアを苛立ったように見て、数時間前に彼女の夫になった男、エクトル・ネグリタ次期聖騎士爵は続けた。 
 
「子育ても面倒ならば、乳母や侍女に任せても良い。外に恋人を作っても構わない。ただし、外で子供を孕むなよ。それだけは約束しろ」 
 
 結婚した当日に、初夜の寝台でこんなことを言われるのは、ケルトレア王国中探したって自分だけだろう、と思った。いや、きっと世界中探したって、こんな酷い事をこんな時に言う男なんかいないだろう。なんで、こんな事を言われなければならないのだろうか? 自分は何か悪い事をしたのだろうか? 情けなくて、涙も言葉も出ない。 
 
「私も外で女を抱くが、子を孕ませるようなヘマをしないと約束する。両家の利益にならなければ、結婚の意味が無いからな。損害になるようなことはするな」
 口角が上がった。こんな時にこんな事を言う男への嘲笑。こんな事を言う男と結婚した愚かな自分への自嘲。エクトルはギニヴィアが笑ったのを見て、フンッと鼻で笑った。
「お互いの利益の為に協力しよう。宜しく頼むぞ」
「・・・はい、解かりました」 
 
 
 
 政略結婚。
 個人の婚姻ではなく、ヘネシー侯爵家とネグリタ聖騎士爵家の同盟条約。 
 
 解かっていた。
 それでも、ギニヴィアは、お互いが歩み寄れば、恋とはいかなくても愛情が芽生えるかも知れないと思っていたのだ。こんなにきっぱりと拒絶されるとは、夢にも思っていなかった。
 自惚れていたのかもしれない、と思うと可笑しかった。
 皆が自分を美しいと褒め称えるものだから、男は皆自分を欲しがるだろうと、自惚れていたのかもしれない。
 相手の方が上手だったのだ。夫になった男は、ケルトレア一の男前だと女達が騒ぐ男なのだ。女好きだとか女泣かせだとか、そんな評判の高い男。
 背が高く、がっしりした男らしい体に端正な顔立ち。国中の憧れである「聖騎士爵家」の一家の跡継ぎ。「建国の聖五騎士」の末裔。現騎士隊長の息子にして、次期騎士隊長の最有力候補。自信に溢れていて、行動力があって、国を守る騎士をまとめる男。その剣の腕にかなう人はいないとか。 
 
 縁談を持ち掛けられた時に、ギニヴィアは驚いて、なんて幸運なのだろうと思った。
 ヘネシー家以外にも、ネグリタ家が手を組んで利益のある家は沢山ある。彼が自分を選んだのだと思った。社交界で何度か顔を会わせた時に、きっと自分を気に入ったのだ、と自惚れたのだ。 
 
 ギニヴィアの女友達は彼女をとても羨ましがったし、言い寄ってくる山程の男達が「エクトルには敵わない」と言うのが嬉しかった。鼻が高かった。彼の元には沢山女が寄って来て当然で、自分だけを見てくれる期待は持たないようにしよう、と自分に言い聞かせていたが、どうしても期待を消せなかった。もしかしたら、彼は自分を愛してくれるかもしれないという、淡い期待を持っていたのだ。 
 
 18歳のギニヴィアには、憧れの男性くらい何人かいたけれど、それまで恋をした事など無かった。
 何度か会って、婚約をして、結婚式までには、ギニヴィアはすっかりエクトルに恋をしていた。    
 エクトルは優しかった。
 他の男達のように、下心を丸出しに至れり尽くせりで、ちやほやするわけではなかったが、それがかえって好ましかった。好かれていると思っていた。上手くやっていけると思っていた。結婚するのが楽しみだった。 
 
 それなのに、まさか、こんな仕打ちをされるとは。
 優しくしてくれたのは、結婚に漕ぎつかせる為。
 それが、彼の仕事だったから。
 そう理解して、ギニヴィアは自分の愚かさと幼さを自嘲した。 
 
 結婚初夜に、彼女の初恋は、初恋相手である夫によって無残に散らされた。彼女の貞操と共に。
 
 
 
 
 
 
 好きな相手ではなくとも、男は女を抱けるものだと誰かから聞いた。
 好きな相手ではないと、女は辛いとも聞いた。
 だから多分、自分達は大丈夫、そうギニヴィアは思った。
 愛してくれなくとも、好いてくれなくとも、彼は自分を抱くことが出来るのだから。
 恋が破れても、自分は彼に魅了されているのだから。 
 
 
 夫は、あまり家に帰って来なかった。
 元々聖騎士城に住まいがあり、そちらで寝泊りすることが多かったらしい。遠征に行って都にいないことも多い。
 エクトルは、4、5日に一度くらいの間隔で家に帰って来ると、ギニヴィアを抱いた。
 会話があまりなくとも、義務的に彼はギニヴィアを抱く。それは正に義務だから。ギニヴィアを孕ませるのは、彼の大事な仕事だから。その為だけに結婚をしたのだから。 
   
 
 手順はいつも同じだった。
 初めは首筋を、胸を、そこからゆっくりと愛撫を下げて行く。
 いつだってそっと触るだけ。そっと舐めるだけ。ギニヴィアの体が彼を受け入れられる様になる為だけの愛撫。本当に作業のような愛撫なのに、反応する自分の体がギニヴィアは可笑しかった。
 彼に見詰められるだけで、ギニヴィアの体は熱を持ち、彼を欲して濡れるのだ。
 きっと、条件反射なのだ、とギニヴィアは思った。自分の体は彼しか知らないから。彼が自分を見つめる時は、いや、彼と顔を会わせる時は抱かれる時だけだから。 
 
 エクトルに触れられると、体中がとろけそうな程に気持ち良くなる。
 体中が熱くなって、彼のものが欲しくて堪らなくなる。彼のものが自分の中に入って、彼が抱きしめてくれる時だけ、自分の存在意義を見出せる。この為だけに生きているのだ。彼の精を受け止める為だけに。彼にとって、自分はそれ以外に何の価値も無いのだから。 
 
 
 抱かれている時に、ふと、エクトルの視線を感じる時がある。
 静かにじっと目を見つめられると、堪らなく泣きたくなるのだ。
 愛してくれなくてもいい。好いてくれなくてもいい。
 体だけでも夢中に貪ってくれれば良いのに。
 それさえも、エクトルはしなかった。 
 
 寝台の上でも、エクトルは決して乱れることが無かった。いつも落ち着いて作業を繰り返すだけ。精を吐き出しているのだから、絶頂に上り詰めている筈なのに、自分だけが夢中になっているようで、ギニヴィアはあまりに虚しかった。
 心だけではなく、体さえも、愛されることはないのだ。
 そう思うと、涙が出た。
 必死で涙を止めようとしても、溢れる涙は止まらない。涙なんか見せたら、ますます嫌われると解かっているのに。ギニヴィアが泣く度に、エクトルは酷く嫌そうな顔をした。 
 
「・・・泣くな萎える」
「・・・ごめんなさい」
「私に抱かれるのは嫌だろうが、私の子を産むのはお前の義務だ。我慢しろ」 
 
 いつものお決まりの言葉に、ますます胸が詰まって涙が流れた。
 嫌?
 抱かれるのが嫌だなどと思ったことは、一度も無い。
 抱かれるのは嬉しい。
 嫌なのは、悲しいのは、彼が自分を嫌々仕方なしに抱くこと。
 嫌がっているのは、彼の方だ。  
 ギニヴィアが、その胸の内を言葉にすることは無かった。
 
 
 
 
 
 
「殿方が女性を抱きたいと思う時はいつですの?」 
 
 ギニヴィアが友人のお茶会に招かれて、友人達との交友を楽しんでいると、友人の一人が唐突に淑女らしからぬ質問をした。質問をされた相手である客人の騎士は、驚いた顔をした後に、笑いながら言った。
「戦に出る前と帰って来た後でしょうね」   
「まぁ、どうしてですの?」
 無邪気な質問に、人の良い騎士は笑顔で答えた。
「あなたには縁の無いことかもしれませんが、我々にとっては生きるか死ぬかですから。死ぬかもしれないのならば、愛しい女を最後に抱いてから戦に出たいものです。生きて帰ってきたら、まず愛しい女を抱きたいものです」 
 
 命を掛けて国を守る男の言葉に、質問した彼女は頬を染めてうっとりと騎士を見詰めた。
 横にいたもう一人の友人は、興味深げに頷いた後、ギニヴィアを見る。   
「エクトル様もそうなの? ギニヴィア、どうなの?」
 エクトルの名に、他の女達もギニヴィアの答えを、頬を染めてわくわくした顔で待っている。
「え、ええ、まぁ・・・」
 なんと答えて良いか分からないギニヴィアの曖昧な答えを、耳年増の乙女達は肯定と受け取ったようで黄色い悲鳴を上げた。   
「あ〜ん、羨ましい。一度で良いからエクトル様に抱かれてみたいわぁ」
「ねぇ、ねぇ、ギニヴィア、エクトル様ってどんな風に抱いて下さるの?」 
 
 友人達の質問攻めを、ギニヴィアはどうにかはぐらかして家路に着いた。
 
 
 
 戦に出る前後?
 ギニヴィアは、騎士の言葉を思い出す。
 戦の前も後も、一度だって抱いてもらった事などない。騎士を束ねる立場のエクトルは、戦の前後は特に忙しいのだろう。いつだって聖騎士城から、ギニヴィアの待つ実家に帰って来ることはない。
 愛しい女。
 彼にもそんな女がいるのだろうか、とギニヴィアは思った。
 だから、戦の前後に自分なんか抱かないのかもしれない。
 死ぬ前に義務で女を抱くなんて嫌だろう。無事に生きて帰ってきたら、義務で閨でまで仕事をするよりも、好きな人にまず会いたいだろう。 
 
「どうだって良いわ。あんな人」
 そう呟いてみた。
 自分を本気で抱いてくれたことさえない夫が誰を愛していようが、誰を抱こうが、どうでもいい。
 どうあがいても、どうにもならないのだから、気にして心を痛めるよりは、無視をすればいい。
 エクトルは決して、全てをさらけ出して自分を求めなどしない。
 だから、自分も全てをさらけ出すことなんて決して出来ない。 
 抱かれても、寂しさが募るばかり。  
 
 
 本当は、もっと本気で抱いて欲しい。
 愛してくれとは言わない。
 戦の前後も、好いた女の所へ行けば良い。
 ただ、自分を抱く時だけは、自分を見て欲しい、一瞬でも良いから、自分に夢中になって欲しい。
 
 そう思い続けていた。

 

 

 

 

 

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