耳に残るは・・・  (1)

 


「失礼致します。・・・ライオネル様、ギニヴィア様のご子息様とご息女様が、お見えです」


 少年の頃から60年近くネグリタ家に勤めている忠実で有能な執事の、あまりに突然の予想外の言葉に、屋敷の主であるライオネル・ネグリタ聖騎士爵は、深い緑色の目を見開いて、身を固まらせた。
 持っていた葡萄酒の入ったグラスを危うく落とすところだった。息をするのも忘れたまま、執事を穴の開く程見詰めた。ライオネルの隣に座る彼の愛妻、フェリシテも、驚いた顔をして二人を見比べている。  
 
 ギニヴィア、それは、暗黙の了解にて、この屋敷で話題にすることを禁じられている名前。
 50年も前にネグリタ家から出て行った、ライオネルの母の名前である。
 
「ライオネル様・・・お通しして宜しいでしょうか?」
「・・・ああ・・・・・・わざわざ訪ねて来た侯爵と侯爵夫人を、追い返すことなど出来ないだろう。通してくれ」
「畏まりました」
 テーブルの上にグラスを置いたライオネルの手を、フェリシテはそっと取って優しく撫でた。
 珍しく不安げな顔をした元騎士隊長のライオネルは、愛妻に笑顔を返そうとして、それが上手くいかない事に狼狽した。

 
 
 
 立派な身なりに落ち着いた端正な面持ちの見るからに高位貴族然とした紳士と、その上品かつ華やかな美貌で有名な貴婦人は、部屋に通されて挨拶をすると、ライオネルとフェリシテの向かいの長椅子に腰を掛けた。
 出された葡萄酒を一口飲んで、紳士は訪問の理由を切り出した。
「ネグリタ聖騎士爵。母が、昨夜女神の元へ召されました」
 
 やはり、という思いと、信じられない思いが交差する。
 ギニヴィアはもう80歳を過ぎていて、幼い頃は体が大変弱かった彼女は、女神の元に召されてもおかしくない年だった。初めてネグリタ家を訪問したギニヴィアの子供達、ライオネルの異父兄弟、の訪問理由を、ライオネルにはそれくらいしか思いつかなかった。
「まぁ・・・お義母さまが・・・・・・女神も美しき御使いを得て、喜んでいらっしゃることでしょう」
 フェリシテは胸に両手を当てて目を瞑り、女神に祈った。
 
「ありがとうございます」
 二人のギニヴィアの子供達は、微笑んで静かに礼を言った。
 黙って何も言わないライオネルの手を、フェリシテはそっと撫でた。
「・・・ライオネル・・・・・・」
 フェリシテの声に、はっとしたように顔を上げ、ライオネルはゆっくりと言った。
「・・・態々、それを伝える為にお越し頂いたのか?」
「ライオネル」
 フェリシテが夫の名を咎めるように呼び、客人に謝罪したが、二人は気にしていないと言って笑った。

 

「母が、こちらをフェリシテ様にと」
 ギニヴィアの娘が、使い込んで良い色合いになっている立派な革表紙の本をテーブルに置いた。
「まぁ、わたくしに? 何でしょうか?」
 フェリシテが目を瞬かせて、本を開けると、そこには彼女の最愛の人の姿があった。
「まぁ! ライオネルの姿絵カード!! 騎士隊長になる前のものも沢山ありますわ!! これは、もしかして、毎年分揃った完璧なコレクションでしょうか? 素敵ですわ。わたくし、ライオネルと結婚してからのものしか持っていませんの。嬉しいですわ。こんな素敵なものを頂けるなんて、本当にありがとうございます」

 興奮して喜ぶ妻を見て、ライオネルは眉を寄せて妻の手の中の冊子を見た。 
 ケルトレア王国騎士隊が発行している「姿絵騎士カード」は、役職に付いている騎士の姿絵を手の平にのる大きさのカードにした物で、毎年新しい図案で発行され、国民の多くが集めている。中央政権の権威を高めることが主な目的で、騎士隊の重要な収入源でもある。
 フェリシテがぺらぺらとめくっているどのページにも、自分の姿があって妙な気分だ。
 
「・・・これを、何故ギニヴィア殿が?」
 ライオネルは理解出来ない、という顔で二人の客人を見た。
「理由は、こちらに記されているのではないかと。こちらはネグリタ聖騎士爵宛の物です。その姿絵カードを保管していた引き出しに、一緒に入っておりました」
 今度はギニヴィアの息子がライオネルに、封をしてある色褪せた手紙を差し出した。
 ライオネルは眉を寄せた顔のまま、その古びた封筒を受け取らずに凝視していた。自分の名前が書かれてあったのだ。ライオネル・ネグリタ宛と、見覚えのある懐かしい母の字で。


 差し出したものの受け取ってもらえない手紙の収拾に困ったカミュー侯爵が、フェリシテに助けを求めて視線を向けた。フェリシテは少し困った顔でライオネルを見た後に、侯爵に微笑んで封筒を受け取った。
「確かに、お受け取り致しましたわ」
 少し苦笑をしてから、侯爵は真面目な顔で言った。
「明日の葬儀に是非ご参加頂きたい。母もそれを望んでいるでしょうから」
「・・・遠慮させて頂こう。私には、ギニヴィア殿がそれを望んでいるとは思えない」
 ライオネルの言葉に、フェリシテは彼の腕を引き寄せる。
「ライオネル、馬鹿なことを仰らないで下さいませ。・・・あなたの、たった一人のお母さまですわ」
 ライオネルは怒った顔を作っている妻を見ると、眉を下げて困った顔をした。
「大丈夫ですわ。わたくしがライオネルを引きずってでも連れて行きますわ」
 フェリシテの言葉に、二人の客人は安心したように微笑んだ。
「ありがとう御座います。母も喜ぶことでしょう。では、我々はこれにて。又明日、お会い致しましょう」
 
 
 
 
「ああ、素敵ですわ! もう素敵過ぎて困ってしまいます。ライオネルが沢山! どれもこれも男前ですわ。うふふふふ。あら? ・・・これは・・・・・・ライオネル・・・?」
「なんだ?」
 客人が帰った後、姿絵を飽きもせずに眺めていたフェリシテに不意に名を呼ばれて、物思いに耽っていたライオネルが顔を上げた。 先ほど侯爵から渡された手紙は、ライオネルの手に触れられていないままテーブルに置かれている。 
「これは、あなたが持っていらして」
「自分の姿絵カードなど要らないぞ?」
 渡された一枚のカードを、ライオネルはよく見もせずに怪訝な顔をしてフェリシテに返した。     
 
「・・・お義父様ですわ」
「・・・父上?」
 手の中のカードを見ると、姿絵は自分の姿のようだが、「エクトル・ネグリタ騎士隊長」と書かれていた。5つの時に亡くした父だった。
「これも、これも。一見ライオネルにしか見えませんけど、お義父様ですわ・・・。ねえ、ライオネル。ライオネルのカードはこんなに綺麗に並べて保管してありますのに、お義父様のは・・・こんなに擦れて・・・・・・」
 フェリシテはライオネルにカードを見せる。
 確かにそれらは、購入して直ぐに綺麗に保管した後は触っていないように見えるライオネルのカードと違い、何年もした後にその本に仕舞われたような傷みが見受けられる。 
  
「・・・お義母さま、お義父さまのこと、きちんとお好きだったのではありませんの?」
「まさか。・・・それは、ありえない」
 妻の言葉に、ライオネルは目の前に置かれた古びた封筒を見た。
「・・・お好きでなかったら、カードを60年以上も取って置くわけないではありませんか。それに、あなたの姿絵カードも、もう40年も前の物からですわ。こうして裏表隣同士に並べて保存しておくために、同じカードを2枚ずつ。あなたの事も、こんなに愛していらっしゃったのではありませんか」
 フェリシテの言い分は尤もだ。母が自分や父の姿絵のカードを集めていた理由は、自分達を愛していたからだというのが一番簡単で当たり前のように聞こえる。しかし、ライオネルには到底信じることが出来なかった。
「・・・・・・あの人は・・・あの人は、父上も私も愛してなどいなかった・・・」 
 
 自分の言葉に、酷く胸が痛んだ。
 愛されたかった。
 幼い頃、女神のように美しい母が気紛れに少し微笑んでくれるだけで、夢のようだった。抱きしめてくれれば、天にも昇る思いだった。けれど、そんな思いは殆どした事が無い。母は、政略結婚の相手とそっくりな容姿で生まれてきた自分を避けていたから。彼女の夫が戦死してからは特に。 
 
 
「・・・ライオネル。手紙、開いてみましょう?」
 妻から手紙を手渡されたものの、何が書かれているのか知るのが怖くて、開封出来なかった。
 流れるような美しい母の字で書かれた自分の名前を見ていると、封印していた記憶が蘇って来た。
 それは、父と死に別れた日の記憶。
 その日の夕方、この屋敷から聖騎士城へ発ち、戦場へ向った父は、そのまま帰らぬ人となった。敵国の天才魔術師を道連れに。 
 
 ライオネルの記憶の中で、何故かその日の両親は、様子がまるで違っていた。それは自分の妄想だったのだと、勝手に作り上げた記憶なのだと、そう思って記憶を封印した。
 あれは夢なのだと。
 自分の望んだ夢なのだと。
 そう信じこんで封印したのに。
 何故、彼女が、自分と父の姿絵などを集めて保管していたのか、いくら考えても理解できない。両親が冷え切った夫婦仲だったのは周知の事実だ。
 封印した記憶は、自分が勝手に作り上げたもののはずだ。こうだったら良かった、という理想の夫婦像を、妄想したのだ。
 愛しそうに母を抱き寄せ、口付ける父。  
 嬉しそうに微笑む母。
 
 ライオネルは色褪せた封筒を凝視したまま、身動きが取れないでいた。
 もしかしたら……あれは、私の願いから作り上げた虚像の記憶ではなく……? そう思い、その秘密が書かれているのかもしれない古びた封筒を見つめる。期待して、裏切られるのが怖い。
 妻に渡された父の姿絵のカードを見る。その姿は、自分と区別がつかない。母が憎んだはずの姿。 
 
 あなたは母を愛していたのですか?
 母はあなたを愛していたのですか? 
 
 姿絵の、余裕の笑みを浮かべている父に問う。
 そんなはずはない。
 そんなわけがない。
 家に寄り付かない父。
 父が家に帰ってきても、会話のない二人。
 広い食堂での無言の食事が、どんなに悲しく苦痛だったことか。
  
 


「ライオネル・・・お義母さまからのお手紙、お読みになりませんの?」
 黙って夫を見守っていたフェリシテは、苦悶する夫の頬をそっと撫でた。
「怖くて開けない」
 正直に言って、ライオネルは眉を下げて情けなさそうな顔をして見せた。
 フェリシテはそっとライオネルの頭を抱き抱えて、優しく撫でた。
「わたくしに開いて読んで欲しいですか?」
「・・・ああ。頼む」
 ライオネルは目を瞑って、フェリシテを抱きしめた。  
 フェリシテは、封を開けて手紙を取り出した。
 
「・・・日付は、もう50年以上前のものですわ。・・・読みますわね。・・・・・・『ごめんなさい、ライオネル。エクトルが亡くなって5年間、努力をしてみましたが、やはり、わたくしは良い母親になれそうもありません。きっとあなたはわたくしを恨むことでしょうけれど、わたくしはあなたが騎士学校に上がるのを待って、ネグリタ家を出るつもりです。わたくしがネグリタ家を出たら、わたくし達は話す機会もないかもしれません。ですから、ここにわたくしの気持ちを書き残そうと思います。あなたに許しを請うつもりはありません。一生恨んでかまいません。ですが、あなたは愛無く造られた子ではない、ということだけは、どうしても、書き残しておきたかったのです』」
 そこまで読んだフェリシテが一息つくと、ライオネルは呆然として顔を上げた。 
 
 
「・・・・・・そんな・・・どうして・・・・・・母上・・・」

 

 

 

 

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