瞼に映るは・・・  (3)

 


 ギニヴィアの寝顔を眺めるのは、結婚した当初からの私の密かな楽しみだった。  

 

 聖騎士城での生活は朝が早いので、私は朝早く起きる習慣がついている。ギニヴィアが起きる前に目覚め、彼女の美しい顔を思う存分に眺めるのだ。
 本当は、その強い光を湛えた琥珀の瞳を見詰めたいのだが、起きている時にはじっと見詰めることなど出来ないから、ギニヴィアが起きるまでの楽しみだった。   

  

 私はいつも、ギニヴィアが起きる前に寝台を離れ、身支度を整えて部屋を出る。
 彼女の安息を、壊したくないからだ。
 目が覚めて嫌悪する男がいたら、一日の始まりが台無しだろう。
 ずっと、そう思っていた。

 ギニヴィアがライオネルを身籠っていた時でさえ、こうやって起きるのを寝台の中で待っていたことなどなかった。
 目を開けたギニヴィアに、嫌悪の眼差しを向けられるのが怖かったのだ。それに、己のものが寝起きの生理現象で勃起しているのを見られて、不快な思いをさせたり軽蔑されるのも怖かった。  

  
 

 今も、正直なところ、緊張していて自信が無い。
 これから開く、琥珀色の瞳に、嫌悪感を見出してしまったのならば?
 昨夜のことは、全て私の都合の良い夢だったのならば?

 昨夜のことは夢なのではないかと思い、私は既に何度もそっとシーツを捲ってギニヴィアの体を調べてしまった。その所為で、朝立ちしていた私のものは、本格的に興奮し、彼女を欲して苦しんでいる。
 今直ぐ襲ってしまいたいのだが、意識のないギニヴィアを襲いなどしたら、流石に軽蔑されて嫌われるだろう。折角、嫌われていないのだと知った矢先に、嫌われるのは悲しいので、我慢をしなければならない。  

 
 昨晩ギニヴィアは、確かに私を嫌っていないと言った。私の好きなように抱いて欲しいと言ってくれたのだ。この美しい体を、私は何度も何度も欲望のままに愛したのだ。
 その証拠に、ギニヴィアは何も身に着けていない。今まで、ギニヴィアが何も身に着けない無防備な姿のまま、私の隣で眠ったことなど無かった。
 それに、何よりも、私の付けた所有の証がギニヴィアの体中に付いている。  
 初めての事に、独占欲と支配欲と背徳心が満たされて、素晴らしい満足感だ。
 花びらのよう、などと称したら陳腐だと笑われるだろうか。  

  

 

 早く起きないだろうかと思う気持ちと、まだこのまま眺めていたいと思う気持ちと、起きてしまって、何もかもが夢だったらと思い不安に怯える気持ちとが混ざり合い、落ち着かない。

 ああ、そうだ。ギニヴィアが起きたら、どう反応すれば良いのだ?
 いくら嫌悪していないと言ってくれたからといって、ただ黙ったままじっと眺めていたら、不快にさせるだろう。
 朝なのだから、挨拶は「おはよう」だな?
 おはよう、などとギニヴィアに言ったことがない。
 大体決まって、ギニヴィアから「おはようございます」と言われて、私はそれだけで嬉しくて照れてしまい、「ああ」とそっけなく返すだけなのだ。

 おはよう、か。
 何やら、気恥ずかしくて緊張する。
 おはよう、おはよう……大丈夫だ。きっと言ってみせるぞ。
 そうだ、私はケルトレア王国騎士隊を束ねる長なのだ。これくらい出来なくてどうする。  

 

 私が狼狽してごそごそ動いていた振動が伝わったのか、ぴくり、とギニヴィアの瞼が動いた。
 目覚めたか?
 よし、気合を入れて……いや、睨みつけてどうする。笑顔で、おはよう、だろうが。
 …………そんなこと、出来るか!!  

  

 

「・・・エクトル・・・?」
 目を開けたギニヴィアは、まだ意識がはっきりしないようで、ぼうっと私の顔を見て不思議そうに私の名を呼んだ。
 名を呼ばれるだけで嬉しくて胸が高鳴る。ギニヴィアは、何度か瞬きをして、今の状況を把握しようとしているようだ。

「ああ。・・・・・・・・・お、おはよう、ギニヴィア」

 私が勇気を振り絞ってそう言うと、ギニヴィアは、驚いたように目を瞬かせた。私が朝の寝台にいるという初めての状況を理解して、私と昨夜何度も何度も交わった事を思い出したようで、恥ずかしそうに頬を染めた。

「・・・・・・おはようございます、エクトル」

 

 な、なんなのだ、その表情は!
 可愛過ぎるだろう! 私を殺す気か、お前は!!
 私は不健康に高鳴る心臓を抑えて、頬を染めて恥ずかしそうに上目使いで私を見上げるギニヴィアから、急いで目を逸らした。
 息が苦しい。落ち着け、深呼吸だ。  

 

 深呼吸をして息を整え、ギニヴィアを見ると、少し不思議そうな顔をして挙動不審な私を見詰めている。……駄目だ、可愛過ぎる。
 私が動いた所為でシーツが肌蹴て、ギニヴィアの豊かな胸元が露になった。私の目は、思わずその素晴らしい胸に釘付けになる。男の性だ。許してくれ。
 ギニヴィアは私の視線の先を確認して、やっと自分が何も身に着けていない事に気付いたようで、真っ赤な顔をして、慌ててシーツに潜り込んだ。
 ……駄目だ、本当に殺されそうだ……。
 腹上死どころか、妻の仕草が可愛過ぎて心臓麻痺というのが死因の騎士長なぞ、ありえないだろう! ……兎に角、落ち着こう。お前も少し落ち着け、愚息。我慢出来ずに垂れ流れているぞ。  

 

 ギニヴィアは、もぞもぞと枕元やシーツの中で手を動かしている。
 さては、昨夜私が脱がせた夜着を探しているのだな?
 甘いぞ、ギニヴィア。私を誰だと思っている?
 いつもは脱がせた夜着を、お前が見付け易いようにお前の枕元に、私がわざと置いているのだ。お前に嫌われないようにな。
 だが、昨夜は違う。
 いや、昨夜も習慣で脱がしたものは枕元に置いておいたが、お前は気を失ったまま夜着を着ずに眠りに付いたのだ。そして、今朝、先に起きた私が、自分の枕の下に隠したというわけだ。どうだ、見直したか? お前の夫はこれでも、騎士長を務めるだけの男なのだ。  

  

 

 ギニヴィアはシーツに包まりながら、困った顔をしている。
 その表情も可愛いぞ。その表情を見ているだけでも、何度でも達せるぞ。
 ギニヴィアはシーツを体に巻いて起き上がり掛けて、そっと私の様子を伺うと、ぎょっとした顔で急いでもう一度体を倒した。耳まで真っ赤になっている。
 ああ、そうだ、ギニヴィア。
 お前がシーツを体に巻いてしまうと、私が裸で剥き出しになってしまうな?   

  

 困って真っ赤になっているギニヴィアが可愛過ぎて我慢できず、私はくつくつと笑った。
 私の笑い声に、ギニヴィアは私の方を向いて、怒った顔をして見せた。
 ああ、その表情でも、何度でも達せるぞ?  

 

「エクトル、からかわないで下さい。わたくしの夜着はどこです?」
「さあ、知らないな」
「・・・あなたの夜着でも結構です」
「そんなものを朝に着る趣味はないな」
「・・・では、わたくしは目を瞑ってあちらを向いておりますから、お着替え下さいませ」

 私の意地の悪い台詞に、ギニヴィアは益々怒った顔をして、私から背を向けてしまった。
「何故、目を瞑る必要があるのだ? 私の裸など見飽きているだろう?」
 そう言ってそっと背中を撫でると、びくりと反応してから、ギニヴィアは黙ったままシーツをしっかりと手繰り寄せて体を硬くした。
 なにやら、拒絶をされてしまったようで悲しい。  

 
「こ、こんな朝の陽の光が沢山漏れている所では見られません!」
 そうか、拒絶というわけではなく、単に恥ずかしがっているのだな?
「私の体は明るい所で見るに耐えないと?」
「そ、そんな事は言っておりません!」

 ギニヴィアは反論して私に顔を向き直った。
「では良いではないか。お前の体は、明るい所で見た方が美しいぞ?」
 そう言ってシーツから出ている髪を優しく梳くと、ギニヴィアは目を見開いた。
「エクトル! ・・・み、見たのですか?!」
「ああ。お前が寝ている間に、隅から隅まで」
 真っ赤な顔で恥ずかしがるギニヴィアが可愛くて、私は事実を誇張して言ってみる。
「そ、そんな! 酷いですわ! わたくしに断りも無く!」
「断れば良いのか? では、見せてくれ」
 シーツを引っ張ると、ギニヴィアは必死でシーツを引っ張り返して抵抗した。
「駄目です!!」  

 

 あまりの可愛さに、必死にシーツを掴むギニヴィアをシーツごと抱きしめた。
 驚く彼女の頬を撫で、髪を梳いて、額に口付けを落とす。
 ギニヴィアは相変わらず真っ赤な顔のまま、私を見上げた後、顔を私の胸に寄せ、両腕を私の体に回してぎゅっと抱きついてきた。意外な反応に驚いたものの、喜びに胸が一杯になる。
 ギニヴィアが私の腕の中で、小さく私の名を呼んだ。
 胸が震えて、私は幸福な夢の続きに酔いしれた。  

  
 

「・・・ギニヴィア・・・体は辛くないか?」
「・・・え?」

 ぽつりと囁いた私の言葉に、ギニヴィアは驚いた表情で顔を上げた。
 真っ直ぐに私を見詰める琥珀色の瞳が愛しくて、私は又、額に、頬に、瞼にそっと口付けを落とす。

「・・・昨晩は、無理をさせてしまって、悪かったな。・・・大丈夫か?」
「・・・エクトル・・・わたくしは大丈夫ですわ」
 ギニヴィアは頬を染めて恥ずかしそうにしたまま、優しく微笑んで、少し遠慮がちに私の唇に柔らかな唇をそっと重ねた。

 幸せに浸りながら、私は無意識にギニヴィアの細い腰を引き寄せる。  

 
「・・・あっ・・・エクトル・・・」
 上られた声に、何だろうかと顔を見て見てみると、ギニヴィアは恥ずかしそうに目を伏せた。
 しまった。興奮して硬くなったものを、無意識の内にギニヴィアに擦り付けていたようだ。
「・・・あ、いや、これは朝の生理現象だ! ・・・男は目が覚めると、何もせずとも、何も見ずとも、こうなっているものなのだ。・・・・・・本当だぞ?」
 言い訳がましいが、一般的な知識としては正しい。
「・・・そうなのですか。知りませんでした・・・」
 ギニヴィアは神妙な顔をして頷いた。
 何故か騙しているような罪悪感を感じるが、私は真実を言ったまでだ。それが今朝の私の行為には当てはまらなくとも。  

  

 

「・・・わたくし、本当に無知で申し訳ありません・・・。今まで、あなたには本当にお辛い思いをさせて来たのですね・・・」
 ギニヴィアは私の硬くなったものにそっと手を置き、眉を寄せてすまなそうな顔で私を見上げた。 

「・・・あっ・・・い、いや、そんなこと、お前は気にしなくて良い」
 お前に触られると、私はそれだけで達することが出来るのだぞ。解かってやっているのか?  

  
「今まで、決して朝に寝台の上であなたを見ることが無かったのも、わたくしを気遣ってのことなのですね?」
 ギニヴィアは、片手で私のものを、もう片方の手で私の頬を、そっと優しく撫でながら言った。だ、駄目だ、ギニヴィア、そんな事をされたら・・・。しかも、愚息への愛撫が上手くなってきているぞ。
「ああ。・・・ん・・・なんだ・・・その・・・嫌いな男の勃ったものなど・・・朝から見たくないだろうと思って・・・」
「・・・エクトル。あなたって、本当は、とてもお優しくてお可愛らしい方なのですね」
 そう言ってギニヴィアは、シーツを捲ると、硬くなった私のものの先端に口付け、彼女を欲して溢れていた汁ごと舐めた。そんな、大技を!! 私が教えたのだが、覚えが早過ぎるぞ、ギニヴィア。

「・・・ああっ! ・・ぎ、ギニヴィア・・・何を・・・」
「・・・お辛いのでしょう?」
「それは確かにそうなのだが・・・あっ・・・」
 ちゅっと音を立てて吸われると、頭が真っ白になった。  

 
「・・・気持ちが宜しいですか?」
「あ、ああ・・・はぁ・・・はぁ・・・ギニヴィア・・・」
 駄目だ、ギニヴィアに自分だけ奉仕して貰うなど、私の信条に反する。
 そう思い、今にも達しそうな己のものをギニヴィアの口から離し、ギニヴィアの体を抱き上げて手を秘部に伸ばした。
「あっ・・・エクトル・・・」
 指でそっと触れただけで、ギニヴィアは体を震わせた。
 べっとりと愛液に塗れているその感覚に、驚いてギニヴィアの顔を見ると恥ずかしそうに潤んだ瞳で私を見返した。

「・・・ギニヴィア・・・随分と濡れているな?」
 興奮してそう言うと、ギニヴィアは顔を横に振った。
「嫌っ・・・そんなこと仰らないで下さい・・・恥ずかしいですわ」
「恥ずかしいものか。・・・私を欲してくれている証拠だ。嬉しく思う」  

 
 ぬぷりと指を差し込むと、まるで吸い込まれるようだった。温かく生々しい感覚に私は興奮しながら指を中で動かしつつ、膨れた花芯を小刻みに刺激する。
「ああっ・・・エクトル・・・あっ・・・ん・・・はぁっ・・・ああっ・・・」
「・・・ギニヴィア、お前が欲しい。・・・いいか? ・・・入れても、大丈夫か・・・?」

「・・・はい。・・・お好きなように、なさって・・・」
 息も絶え絶えに言うギニヴィアに、一気に深く己のものを突き刺す。
 ギニヴィアが甘い声を上げて体を震わし、彼女の中がきゅっと私を締め付けた。快感の波に虚ろになった潤んだ瞳と荒れた呼吸に、彼女が私を迎え入れただけで達した事を悟り、私は酷く満足した。
 
 好きなようにギニヴィアを味わい、中に欲望を放った後、火照った体で半分意識の無いギニヴィアを、抱き抱えて浴室へ連れて行った。
 自分の体の汗を流し、ギニヴィアの体中を清めてやった。浴槽の中で、意識がはっきりしてきたギニヴィアは、私に抱かれて湯に浸かっているという状況に驚き慌て、私から体を隠して逃れようとした。その様子に、私は又欲情してしまい、浴室でもう一度ギニヴィアを抱いた。
 流石にやり過ぎたようで、朝食の間、ギニヴィアは私と口を聞いてくれなかった。  

  

   

 

  
「フレシスとの決戦が近い。・・・お前の元に帰って来るつもりだが、もしもの時の覚悟をしておいて欲しい」  

 

 夜にもたっぷりギニヴィアを抱いた後、私が腕の中のギニヴィアに言うと、ギニヴィアは眉を寄せて首を横に振った。
「嫌ですわ。絶対に帰って来て下さると、約束して下さいませ」
 怒った顔で言ったギニヴィアの言葉に驚いた。眉を寄せて少し目を潤ませたその表情が愛しくて、私は微笑んだ。
「・・・ああ、そうだな」  

「・・・戦から帰って来たら・・・・・・一番にわたくしを抱いて下さいますか?」
 恥ずかしそうに頬を染めて俯きながら言うギニヴィアに、私は嬉しくて胸が一杯になり、その額にそっと口付けた。
「ああ。お前を抱くのを楽しみに帰って来るとしよう」
「・・・嬉しい」
 そう呟いて目を伏せたギニヴィアを強く抱きしめて、国と王を裏切る台詞を耳元で囁いた。
「お前の為に戦おう。お前とライオネルが安心して暮らせるように、そのために戦おう」
「・・・あなたのご無事を、毎日女神に祈ります」
 耳元に囁き返されて、私はギニヴィアの瞳を真っ直ぐに見つめた。  

 

「心強いな。・・・ギニヴィア、私は・・・私は・・・・・」
 思わず長年のギニヴィアへの想いを自白しかけた私は、ある事を考え付いて思い留まった。ギニヴィアは、不思議そうに少し首を傾げた。
「・・・いや、帰って来てから、きちんと言うことにする」
「まぁ、気になるではありませんか!」
 私の台詞に、ギニヴィアは怒った顔をした。今までは感情を露にしてくれなかったギニヴィアが、昨日からは、私にきちんと感情を見せてくれている。なにやら怒らせてばかりなのだが、その怒った表情を見る事さえ嬉しかった。
「ああ。帰って来るまで気にしていろ。そうしている内に直ぐに帰って来る」
「まぁ! ・・・早く帰って来て下さいませね?」  

  
 ギニヴィアの言葉に、私は胸が詰まって何も言えず、黙ってその滑らかな頬を撫でて、優しく口付けを落とした。  

  

 

 朝も夜も無理をさせたギニヴィアが、疲れて眠りに就いた後も、私は寝てしまうのが勿体無く思えて、中々眠りに就かなかった。
 自白を思い留まらせた突然思い付いた良い案を色々と思考し、私は満足しながらギニヴィアの穏やかな寝顔を眺める。  

 

 戦から帰って来たら、始めからやり直すのだ。
 ギニヴィアに花嫁衣裳をもう一度着させて、立会人をライオネルにさせて、三人で結婚式をやり直そう。

 お前ただ一人を愛していること、これからもお前ただ一人を愛することを、我等の女神ダヌダクアの名の下に誓うと、結婚の言葉を言い直そう。

 ギニヴィアも、結婚の言葉を言い返してくれるだろうか?
 一緒に年を重ねて、人生を歩んでくれるだろうか?
 子供を何人も産んで義務を終えた後も、あの男の元へは帰らずに、一生死ぬまで私の側にいてくれるだろうか? 

  

  

   

 

 その次の朝も、私はたっぷりギニヴィアを抱いた。   
 ギニヴィアは呆れて怒ることも馬鹿らしくなったのか、前日と違って、朝食時も私と会話をしてくれた。
 昼食まで私がライオネルに剣を教えている間、ギニヴィアは中庭のテラスで私達を満足そうに眺めていた。目が合うと、微笑んでくれた。私は顔が緩んでしまうのを阻止する為に、気を付けて集中しなくてはならなかった。  

 
 ライオネルは私達の関係の変化を感じ取り、そわそわと落ち着かず、だが嬉しそうにしていた。息子にも今まで辛い思いをさせて来たかと思うと、情けなく申し訳ない思いだった。
 ライオネルはギニヴィアに剣技を褒められて、頬を染めて喜んでいた。息子が大きくなったら、確実にライバルになるだろうな、などと思いながら、息子を牽制する為に目の前で見せ付けるようにギニヴィアを抱きしめて口付けてみると、息子は顔を真っ赤にした。ギニヴィアは少し怒った顔をして私の腕から逃れて、息子を抱き上げると、その頬に口付けた。 
 嬉しい思い半分、嫉妬半分、といったところだろうか。 

 

 この3日間、時間にして2日も無かったが、それでも、私にとっては人生の幸福の全てを凝縮したような時間だった。 

  

   

 

 夕方、屋敷から聖騎士城へ立つのを、いつもどおり家の者に見送られる。しっかり手入れをされて黒々と光る私の愛馬を連れて、馬丁が屋敷の外で待っていた。ギニヴィアとライオネルもいつもどおり私を見送る為に、私と一緒に庭まで屋敷から出て来た。

「行って来る。母上を頼んだぞ、ライオネル」
「はい、父上」
 自慢の息子は5歳とは思えない落ち着きで、しっかりと頷き、私は満足してライオネルの頭を撫でた。ライオネルは少し恥ずかしそうにしながらも、嬉しそうに笑った。
 ライオネルの隣に立っているギニヴィアも、目を細めて息子を愛しげに見て頭を撫でた。  

 

「・・・留守を頼む、ギニヴィア」
 ギニヴィアを見詰めると、少し切なげな顔をされた。
 そんな顔をしてくれるな。・・・離れ難くなるではないか。

「はい。・・・早く帰っていらして」
 ギニヴィアが少し遠慮がちに言った台詞に、私は酷く切なくなった。
「ああ」

 頬を染めて私を見上げるその顔がいじらしくて、家人がいるにも拘らず、思わずギニヴィアを抱き寄せて口付けた。  

 
 甘い痺れが体を襲う。
 離したくない。 
 離れたくない。
 私は切ない思いをどうにか振り切って、ギニヴィアから体を離し、素早く騎乗した。  

 

「行って来る」
 馬上の私を見上げた息子と妻を見て、守るべきものが何なのか、何の為に戦に出向くのか、はっきりと解かり、自分の決意を噛み締めた。  

 

「お気をつけて。あなたに女神のご加護があらんことを・・・」 

  

 

   

  

  

 

 まだ太陽は高く頭上にある時間だというのに、その深い森は薄暗く、緊迫した空気に、バサバサと鳥が飛び立つ音と、落ち着かない獣達の声が響いた。  

 
 ザッザッザッという複数の人間が駆ける駈ける足音と、荒い息使いが、只ならぬ状況を示す。
 その深い森で今、複数の騎士と魔術師が、たった一人の魔術師を必死に追い掛けていた。

 馬で駆ける事の出来ない深い森の入り口で、騎士達は馬を木に繋ぎ、彼らと別行動をしている騎士達は森の外側を囲むように馬で駈けて、彼らの標的の先回りをしている。   
 森の中に騎士達と入った魔術師は、ケルトレア王国が誇る最高の魔術の使い手ばかりが5名。鍛え上げられた精鋭騎士達の足に付いて行けるように、脚に魔法をかけてある。  

  

 

「いたぞ!! あそこだ!!」  

 

 遠くに、森の木々と同化する様に魔法で緑色に染められた長い髪が見えた。
 振り返った魔術師は、赤い瞳に憎悪を浮かべて声の主を睨んだ。
 離れた所からの一睨みでも、並みの人間ならばその魔の込められた眼力だけで絶命しかねないが、睨まれた方も、騎士でありながらも対魔の力を色濃くその血に持っていた。魔道師の瞳の赤色と対極の、鮮やかな緑色の瞳がそれを示している。  

 

 その人外なのだという噂のある赤い瞳の魔術師は、老いているのか幼いのか判断の付けられない容姿をしていた。正視するのが恐ろしい程に美しく、同時に、正視するのが耐え難い程に醜くも見えた。  

 
 彼が、突然世に現れたのが半年前。それまで一体、彼程の魔術師が何処で何をしていたのか、知る者はいない。そして、何故彼が、始まって2年になるケルトレア王国とフレシス王国の戦に、突然フレシス王国の魔術師として出没したのかも、全てが謎に包まれていた。
 理由が何であれ、半年前から、その魔術師たった一人の力で、戦状は大きく変わり、フレシス王国の勝利へと傾いている。白い髪に赤い瞳をした妖魔の様な魔術師の息の根を止めることが、既に彼によって多くの戦力を失ったケルトレア王国の悲願だった。  

 

「逃がさんぞ! よくも多くの騎士達の命を奪ってくれたな!!」

 赤い瞳の魔術師を射殺す程の迫力で睨みながら、緑の瞳の騎士長は彼の部下と共に魔術師を追い詰める。
 魔術師の髪は緑色から本来の白色に戻り、彼の体を赤い光が包み、その光が魔術師の呪文と共に見慣れない文字を含んだ魔方陣を紡ぎ出していた。  

 

「エクトル様!!」

 ケルトレアの魔術師の一人が、騎士長の名を呼んだ。
「あれは、古代の禁忌自爆魔法!!」
「まさか!! あんなものまで唱えられるのか?!」
「あれが発動すれば、森の外まで一帯が焼け野原に・・・」
「そんな!! もう、間に合わない!!」

 ケルトレアの魔術師達が悲鳴を上げた。
「間に合わせる!! ありったけの増魔の補助魔法を、私の剣にかけろ!!」   

 

 呪文を唱える魔術師にかけられていた防御魔法を魔法剣で切り裂き、エクトルは魔術師の胸元に飛び込んだ。逃れようとする魔術師を押さえ込み、胸に剣を突き刺すと、魔術師の巨大な魔力が圧縮された。赤く禍々しく光る魔方陣が、勢い良く彼の血で染まった胸から流れ出た。赤い瞳をギラギラとさせて、魔術師は赤い唇でにいっと笑った。
 広大な大地を焼く魔法が発動されることを、その場にいた者全員が悟った。
 発動されれば、騎士隊の半数以上の命が塵になる、己の命を引き換えにした禁忌魔法だった。 

 止められなければ、守り手を失った祖国が滅びかねない。

 

「させるか!!!」  

 熱気が上がる中、エクトルは増魔された魔法剣に全気力と魔力を集中させると、彼の体を包む魔方陣を切り裂き、魔方陣と魔術師の魂を繋ぐ枷を切り離した。魔方陣を切り裂くなどという荒技が出来る者は、対魔の能力とそれを使い熟すだけの魔力と強靭な精神力を備え持つ、限られた者のみである。

 

「・・・くっ・・・お前・・・だけでも・・・!!」   

 大きく見開かれ憎しみを込められた赤い瞳に、エクトルがその言葉を理解した刹那、魔術師は自分の身と魂を灼熱の炎に変えてエクトルを包み込んだ。
 赤い光は天高くまで昇り、その光は、遠く離れたケルトレア王国の首都からも見えたという。  

  

  

 
 赤く・・・世界が、赤く・・・

 ・・・ギニヴィア・・・・・・

 愛しい彼女の、はにかんだ微笑が見えた気がした。

 

 ――早く帰っていらして。  

 

 ・・・ああ、そうだ。
 帰ったら・・・お前に言うことがあるのだ。  

 

 ・・・今まで、すまなかったと、
 本当は、初めて見た時から・・・お前に恋をしていたのだと、
 ・・・だからこそ、怖くて突き放したのだと、
 始めから二人でやり直そうと・・・  


 私は、ずっと・・・

 本当はずっと・・・お前を愛していたのだと、  

 

 そう言ったならば・・・・・・  

 

 

 お前は・・・・・・私を許してくれるだろうか?

 

 私を愛してくれるだろうか・・・・・・?  

  

 

 

 

 痛みを感じる間も無く、一瞬でエクトルの体は魔術師と共に炎の中で塵と化した。
 ケルトレア王国の魔術師達が必死で水魔法を使い、炎を消した後、そこには塵さえも残っていなかった。  

 

 ケルトレア王国の騎士隊長エクトル・ネグリタとフレシス王国の鬼才魔術師の死後、2ヶ月足らずで戦はケルトレア王国の勝利により終結した。その後、暫くの間、二国間の対立は沈静する。

 両国間の戦が再開するのは、皮肉にも、エクトルとそっくりの姿の彼の忘れ形見が騎士長になった後であった。
 父の敵であるフレシス王国を、黒獅子と呼ばれる騎士隊長は圧勝し、以後、彼が騎士隊を率いている間、ケルトレア王国とフレシス王国との間に戦いは無かった。  

  

  

  

   

 

 

「・・・・・・お、おはよう、ギニヴィア」  

 

 ぎこちなく声を掛けられて、眠りから覚めて開かれたばかりの琥珀色の瞳が何度か瞬きをした。
 起き上がって辺りを見回すと、見た事も無い景色が広がっている。何故、自分が柔らかな草の上で寝ていたのか覚えてもいなければ、広がる花畑と森と小川という幻想的な風景に見覚えもない。少し離れたところで、見覚えのある青毛の駿馬がのんびりと草を食んでいる。  

 
 あれは、あの人の愛馬……? 主を喪って帰って来て直ぐに、心を痛めて死んでしまった忠実な子……?
 そう思った瞬間、緑色の双眼が視界に入った。
 今、おはようと言った懐かしい声の主は、この人……?
 名を呼ばれた見事な黒髪の美女は、自分を見詰める男を呆然として眺めた。  

  
「・・・エクトル・・・?」
 本当に彼女の知った人なのか、信じられなくて眉を寄せた。
 彼は、もう50年以上前に亡くなったのだ。
 どうして目の前にいるのだろうか?幻だろうか、それとも自分を惑わすあやかしだろうか?
 彼女が彼を最後に見た時と変わらぬ騎士長の服に身を包んだ姿のまま、彼は少し不安げに自分を見詰めている。  

 

「ああ。・・・・・・・・・なんだ、その、気分はどうだ?」
「え? ・・・ええ、悪くありませんが・・・」 
 エクトルはギニヴィアの両手を取り、自分の両手で包んだ。
 ギニヴィアは、包まれた自分の手がしっとりと柔らかな若い頃の手である事に驚いた。視界に入る結われていない長い髪も、彼の愛馬に負けない程に黒々と艶やかに波打っている。自分は80歳だったはずなのだが、これは一体どういうことだろうか、と呆然とした。  

 

「あの・・・・・・わたくし、夢を見ているのでしょうか?」
 そう言いながらも、見詰められている懐かしい緑の瞳に、ギニヴィアは胸が熱くなった。
 握られている手から伝わる体温に、喜びが体中を駆け巡る。
「さあ、知らんな。・・・夢だろうとなんだろうと、良い。私はお前をずっと待っていたのだし、お前はこうやって私の元へ来てくれたのだから、それで良いだろう?」  

 
 幻でも、あやかしでもなく、彼女の知っている男だと思った。
 不器用で口下手で、でも、本当は優しくて可愛い、愛しい人。
 ずっと、会いたかった。
 夢でも良い。
 そう思って、ギニヴィアは微笑んだ。  
 

「まぁ、エクトルったら。・・・わたくしもあなたが亡くなった頃の若い姿のままなのですね。随分と都合の宜しい夢ですこと。・・・ふふふ」   
 ギニヴィアの笑顔を見て、エクトルは嬉しそうに微笑み、優しく唇を重ねた。
 そっと唇を離して、エクトルは真剣な面持ちでギニヴィアを見詰めた。  

 

「・・・お前に、ずっと言いたかった言葉があるのだ」
「わたくしもです」
 ギニヴィアは、眉を下げて泣きそうな顔をして笑った。  

 

「ギニヴィア、お前を愛している。初めて会った時から、ずっとお前を愛していた」
 握られた手に力が込められて、琥珀の瞳から、涙が流れ落ちた。
 エクトルの指がギニヴィアの頬を伝う涙を受け止めると、ギニヴィアはその手をそっと握った。  

 

「エクトル、わたくしも、あなたを愛しています。ずっとお慕い申し上げていました」
 手に取られて、指先に柔らかな唇を寄せられると、緑の瞳からも、涙が零れた。
 エクトルの頬の伝う涙にそっと唇を寄せると、ギニヴィアは幸せそうに微笑み、エクトルは満足そうにギニヴィアを強く抱きしめた。  

  

 

 それは、不器用な二人の、不器用な恋の物語。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 了 ―2007年9月26日―

 
 

  

―後書きのようなもの―
 
  「耳に残るは・・・」のエクトルサイドでした。
 ……本当は、ハッピーエンドが好きなんです。……本当ですよ。
 私自身、悲しいお話を読むのは嫌いですので、100%ハッピーエンドの話以外は読みたくない方の為にも、
 「黒獅子」「千夜一夜」の中で結末を先にお伝えしておきました。
 エクトルが戦死すること、二人が不仲であったとライオネルが信じていたことを先にお伝えしておいて、
 ショックを和らげよう大作戦でした。(……成功しましたでしょうか?)
 感情移入していたキャラクターが、良い所で死んでしまうとかいう話は、もう、大嫌いです!
 予想外の悲しいエンディングなんか、大嫌いです!
 ……なので、読者の方のショックを和らげる為にも、先に結末をお伝えして覚悟をしてから読んでいただきました。
 
  元々は、二人の再会部分はありませんでした。
 でも、あまりの後味の悪さに、自分でもこれは酷いな……と思い、二人の再会シーンを入れるか悩みました。
 連載中に何人もの方がエクトルとギニヴィアを好いて下さって、二人の悲恋を悲しんでメッセージを下さったので、
 「耳に残るは・・・」の最後のライオネルの祈りを、読み手の方のご想像にお任せするのではなく、実際に文にしました。
 死後に結ばれるという安易な結末が好きではない方もいらっしゃるかもしれませんが、文にして良かったと思っています。
 この二人の物語についてコメント下さった方々と、人気投票で二人に投票下さった方々のおかげで、良い決断が出来て、
 自分でも納得のいくものになりました。感想の声を聞かせていただきまして、ありがとうございました。
 
  「耳に残るは・・・」とシーンを共有していますので、読み比べて二人のすれ違いっぷりを見ていただけたら嬉しいです。
 そしてツッコミをお願いします。「二人共、勘違いし過ぎだよ!!」と。
 
 
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