瞼に映るは・・・  (1)

 


 彼女を初めて目にしたのは、21歳の初夏だった。  
 
 
 大変美人だという噂の侯爵令嬢が、17歳になって成人して社交界に初めて顔を出すからと、美しい女を把握しておかねば気が済まない友人に、誘われて出席した舞踏会でのことだった。 
 
 彼女の名がホールの入り口で高らかに告げられると、騒めきが起こり、私もそちらに目を向けた。
 艶やかな黒髪を結い上げ、意志の強そうな琥珀の瞳を携えた、美しい女が目に入った。
 華やかな青色のドレスに包まれた理想的な女性らしい肢体、少し上気した頬、大勢から注目を浴びても真っ直ぐに顔を上げて優雅に微笑む表情、何も彼もが非の打ち所の無い美しさだった。この世に、こんなにも美しいものが存在するとは知らなかった。 
 
 まるで雷に打たれたような、と表現すれば良いのだろうか。
 一目惚れだった。
 
 
 その瞬間まで、私は一目惚れなどという現象が存在するとは信じていなかった。
 いや、その瞬間も、その衝撃が一目惚れというものだとは理解出来なかった。彼女に抱いた感情が恋と呼ばれるものなのだと理解したのは、その日の夜が明けた次の日の早朝だった。私はその夜、一晩中彼女のことが頭から離れずに、一睡も出来なかったのだ。 
 
 それまでは女など誰も然程変わらないと思っていた私は、女を抱くことはしても、恋などしたことが無かった。時期が来れば家の都合に合わせて父の選んだ家の娘と結婚をするのだと、子供の頃から心得ていた。
 彼女の存在は、私の21年間の常識を一晩で覆すこととなった。 
 
 
 
「凄いな、噂のヘネシー侯爵家のギニヴィア嬢!! ・・・噂以上じゃないか! なぁ、エクトル」 
 
 この舞踏会に私を連れてきた友人、グレンファー聖騎士爵家の跡継ぎのスコット・グレンファーに声を掛けられて、私は我に返ったものの、初めての感情に胸が詰まって何も言えなかった。
 ちらりと彼を見やり、私は又直ぐに彼女の姿を目で追った。我々から離れた所で、彼女は多くの人に囲まれて、時折頷いたり笑ったりと、楽しそうに談話をしている。 
 
「何、エクトル、渋い顔してんの? お前、あんな美人を見ても何も感じねーわけ? 美しい女を褒め称えようぜ? 美しいじゃないか。美しいだろ? 美しいって!」   
 女を賞賛することが趣味のスコットに肩を掴まれて揺す振られながらも、私はまだ彼女の事を眺めていた。彼女の周りだけが、まるで華やかな色彩で塗り替えられたように見えるのは何故なのだろうか? 
 
「・・・ああ。・・・・・・美しいな」
「だよな! あれだけ美人なら、不感症のエクトルでもそう思うよな!」   
 スコットは嬉しそうに何度も頷いて、勢い良く私の肩を叩いた。
 幼い頃からの友人であるこの男の言動の意図は、昔からいまいち掴みかねる。恐らく、何も考えていないのだろう。
 聖騎士爵家の嫡男のくせに、行動は軽率で適当。口の利き方も知らなければ態度も悪い。おまけに酒癖も女癖も悪い。しかしながら、戦場では誰よりも頼りになる男で、約束を守る信頼の置ける男だ。つまり、こんな無礼な事を言う男でも、私の親友なのだ。 
 
「誰が不感症だ」   
 私がスコットの顔を睨むと、彼はチッチッチッと舌を鳴らして人指し指を横に振りながら私を笑った。
「だってよー、エクトルは美しい女を前にしても、いっつも全然感動がねーだろー? お前、女を抱く時も、そんな人を小馬鹿にしたような顔してんの? それじゃ女も泣いちゃうだろ。もっと女には甘く優しくいこうぜ?」
「女に甘く優しくなどして、何の得になるのだ。女を喜ばす事に生き甲斐を見出しているお前が酔狂なのだと私は思うが?」 
 
 私の言葉に、スコットはわざとらしく大きな溜息を吐いた。
「お前は騎士としては誰よりも素晴らしいが、男としては、まだまだ坊やだな。女無くしては、人生は灰色だぜ?」
「・・・まぁ、確かに性欲の処理に困るな」
 私がそう言うと、スコットは溜息を吐いて首を横に振った。
「ああ、お前は本当に、まだまだ坊やだな」 
 
 そう言って笑った2歳しか年の違わないスコットの私を子供扱いする言葉に、反論しようとすると、彼は私の肩を掴んで体をヘネシー侯爵家令嬢の方向へ無理やりに向けさせた。
「ほら、良く見ろよ、人生の素晴らしさを! 平凡な言葉しか出てこないのがもどかしいね。もっとこう、吟遊詩人みたいに、ギニヴィア嬢の美しさに見合った愛の歌でも捧げたいところだぜ。あなたの瞳は月の光、漆黒の髪は夜の空・・・とか、どう?」   
「・・・確かに平凡だな」 
「ちぇっ。エクトルは相変わらず冷てーよな」 
 私が貶してやると、スコットはいじけたように呟いてから、ふと何か思いついた顔をして、にやりと笑った。ああ、何か企んでいる時の笑いだ。どうせ碌な事ではないのだろう。 
 
 
「じゃあ、勝負しようぜ? これから二人でギニヴィア嬢の元に行ってダンスを誘って、どっちが手を取ってもらえるかさ」
 ほら見ろ、碌な事ではない。
 彼女は、既に何人かの地位の高い男達と優雅に踊り終えている。私やスコットの身分ならば、彼女は断ることが出来ない。私達「聖騎士爵家」の跡取りの誘いを断ることが出来るのは、王族か王家の血の入った公爵家の者達位だ。その最高位の彼女達でさえ、余程の理由が無ければ、まず断りはしない。
 しかし、私はその提案に乗り気がしなかった。
 スコットはこんなふざけた男だが、女に非常に人気がある。家柄や騎士としての実力も理由なのだろうが、赤茶色の髪に灰色の目の端正な顔立ちと、騎士らしく鍛えた長身の体も、女に好かれる容姿なのだと自分で言っている。 私も同じ様な体つきで、深い緑の目と黒橡色の少々珍しい髪の色は女に受けが良い。スコットと私とどちらが良いかと聞かれたら、それは聞かれた女の趣味に依るだろう。
 二人並んで手を差し出して、彼女が私の手ではなく彼の手を選んだとしたら?
 想像しただけでも、胸が酷く痛んだ。 
 
「私は遠慮する」
 そう言って、スコットから離れて他の知り合いの元へでも行こうと歩き出すと、後ろから声を掛けられて止められた。
「何お前、柄にもなくびびってんの? もしかして、ギニヴィア嬢に惚れちゃった? だったら譲ってやっても良いけどー? 俺には敵わないって思ってんならね」
 スコットの挑戦的な言葉に振り返ると、その台詞に似合った挑戦的な視線を私に投げ掛けていた。私が無視しようとすると、スコットは言葉を続けた。
「俺、ギニヴィア嬢をたぶらかして遊んで捨てちゃうかもよー? いや、あれだけ美人だから、俺の子供を孕ませても良いかもな。侯爵家令嬢だし、相手として不足は無いしな。ヤリまくって沢山子供を産ませてやろうか。あんな可憐な美人でも、俺のものを咥え込めば、喜んで腰を振って・・」   
「黙れ、スコット! ・・・・・・勝負を受けてやる」
 スコットの言葉を聞くに堪えられず、私は思わずそう言った。彼は満面の笑みを浮かべる。嵌められた。
「そうこなくっちゃ!」 
 
 
 
「今晩は。はじめまして、月光の瞳と闇夜の髪の麗しのギニヴィア・ヘネシー嬢。噂よりも、お美しいですね。俺はスコット・グレンファー。で、こっちがエクトル・ネグリタ。まぁ、家名でお分かりかと思いますが、どちらも聖騎士爵家の騎士です。二人して仲良くダンスの申し込みに来ました」 
 
 この、馬鹿スコット! どんな挨拶だそれは!! 大体、闇夜に月は出ていないぞ!!
 私はそう心の中で叫びながらスコットを睨んだ。スコットは楽しそうにへらへらと笑っている。
 案の定、ヘネシー侯爵令嬢は驚いて言葉も出ずに瞬きをして、私達二人を交互に見詰めた。彼女の美しい琥珀の瞳と目が合うと、私は気まずくなって目を逸らした。だが、スコットと同類に思われては堪ったものではないと思い、私はぎこちなく口を開いた。 
 
「友人が無礼な挨拶をしてすまなかった。彼が言ったとおり、私の名はエクトル・ネグリタ。ネグリタ聖騎士爵家の嫡男にして聖五騎士を務める者だ。ギニヴィア・ヘネシー侯爵令嬢殿、一曲、相手をしてもらえるだろうか?」 
 
 私の言葉に、はにかみながら少し頬を染めて嬉しそうに微笑んだ彼女を見て、私は思わず心の中で女神に最大限の感謝をした。
 何なのだ、この胸に広がる幸福感は。先程から何故か煩い心臓の音は、益々大きくなって鳴り響いている。ホール中に響いているのではないかと、心配になる程だ。 
 
「わたくし、知識が浅いものですから、お二人ご一緒に仲良くダンスのお相手をするというのは、どのようにすれば宜しいのか、存じ上げません。お一人ずつ順番で宜しいのでしたら、喜んでお受け致しますわ」 
 
 私が手を差し出すと、彼女は私の手を取って微笑んでから、スコットを見て会釈をした。   
「では、スコット様、後程、お相手をお願い致します」
「おう! 楽しみに待っていますよ、ギニヴィア嬢。頑張れよ、エクトル!」
 スコットはにやりと笑って私を見た。勝負に勝ったのは私の方だろうが、と私が視線を投げ掛けると、彼は然も愉快そうに笑った。全く、何を考えているのだ、この男は。
 
 
 ヘネシー侯爵令嬢ギニヴィアは、とてもダンスに長けていた。
 私は上手いと言う程に上手くも、下手という程に下手でもないが、彼女と踊っていると、自分はダンスが上手かったのかと勘違いさせられてしまう。息が合うというのか、いや、彼女が相手に合わせるのが上手いのだろう、こんなに踊り易いと思ったのは初めてだった。 
 
 緊張しながら顔を見詰めると、真っ直ぐに臆することなく私を見詰め返してくる琥珀の瞳に、彼女の芯の強い気質が垣間見えた。
 にやにや笑うスコットが視界の端に入って、彼に負けては堪るものかと、懸命に彼女と親しくなろうと話し掛けると、受け答えから賢く優しい人だということが分かった。穢れを知らぬような真っ直ぐな瞳で見詰められると、どうしたら良いのか分からなくなる程に戸惑いながらも、何とも言えない甘い幸福感が胸に広がった。生まれて初めての感情だった。 
 
 彼女の手を取っているだけで、腰に軽く手を置いているだけで、私の体は興奮して熱を持った。
 私の意識とは別に勝手に反応を起こしてしまっている下半身は、上着に隠れているので外からは分からないはずだが、気付かれてしまっているのではないか、異常な程に高鳴っている動悸が彼女に伝わってしまっているのではないか、と私は気が気ではなかった。色々誤魔化そうとして、口を動かしてみるが、元来口が上手くないものだから、中々思うように話が続かない。
 彼女は私の緊張を読み取ってか、少しはにかむように優しく笑った。
 その笑顔に、私は頭が真っ白になった。何故だか、胸がぎゅっと絞られたような感覚に襲われ、何がなんだか分からなくなってしまっている内に曲が終り、私達は一礼をし、透かさずに手を差し伸べたスコットと、彼女は次の曲を踊り始めた。 
 
 踊る彼女を眺めながら、私は胸が騒めくのを感じていた。
 スコットが彼女の手を握り、腰に手を当てているのを見ると、苛立ちを覚えた。今まで私に向けられていた彼女の微笑が、スコットに向けられているのを見ると、酷く悲しい気分にさえなってきた。
 どうかしている。
 私はどうしてしまったのだ?
 女ごときに、何をこんなに心を乱しているのだ?
 一体何なのだ、この感情の乱れは。 
 
 
 
「エクトル、お前、ギニヴィア嬢と踊っている間ずっと眉間に皺が寄ってたぜ? もしかして、緊張したのか?」
「・・・煩い」
 言い当てられて、私は苛立ちながらスコットを睨んだ。   
「へぇ、マジ? ・・・エクトルでも女相手に緊張するのか。こりゃ、驚いた。お前とは、いつからか覚えてないくらいガキの頃からの付き合いだけど、そんな顔すんの初めて見たぜ」
 スコットは目を丸くしてそう言い、私は気恥ずかしくなって視線を逸らせた。
「・・・誰かに言ったら、命は無いと思え」
「俺だけが握っているお前の弱みってことだな?」
 愉快そうに笑うスコットに、私は悪態を吐いた。 
「・・・クソッ。私もお前の弱みくらい、いくつも握っている事を覚えておけよ」 
 
 
 スコットは、解かってるよ、と笑いながら言うと、引っ切り無しに声を掛けられては、相手を替えて踊り続ける彼女に視線を向けながら私に言った。
「・・・ギニヴィア嬢さ、美人だって噂と一緒に妹から聞いた話だと、幼馴染のカミュー侯爵家の跡取りとデキてるって話だぜ」
 その言葉に驚いてスコットを見ながら、私は胸が締め付けられるのを感じた。
「・・・・・・恋人が、いるのか」 
「まぁ、飽く迄も噂だから、真相の程はどうか知らないけどな。仲が良い事は確からしい。婚約とかしてなきゃいーけどな。侯爵家の跡取りの婚約者に手を出したら、流石にちっとばかし問題だろーからな」
 スコットは、にやりと笑って私を見た。 
 
「カミュー侯爵家の跡取りか。・・・会ったことが無いな」
 人当たりの良いカミュー侯爵本人は知っているが、息子の話は聞いたことが無い。
「ああ、まだ成人もしていないガキらしいぜ」
 スコットの言葉に、私は少し気持ちが落ち着いた。
「そうか、では、婚約していない可能性が高いだろう」
「どーかな。・・・エクトル、お前、マジで結構ヤル気満々?」
 スコットは感心したような顔を私に向け、私は誤魔化すようにスコットを睨んだ。
「・・・お前が煽ったのだろうが」
「へえ。・・・これは、ちょっと面白くなってきたかもな」
 乱れている私の心を見透かして、スコットは興味深げにそう言って笑った。
 
 
 
 
 
 
 それから私は、毎月のように舞踏会で彼女に会った。いや、彼女に会いたくて、会える事を祈って、都合を付けて舞踏会に出席したのだ。 
 
 会う度に、私の心は彼女に惹かれていった。目が合って微笑んで貰えるだけで、心臓の音が周りに聞こえてしまうのではないかという程に、胸が高鳴った。
 緊張して話し掛けるのにも躊躇する私をせつくスコットに後押しされて、会う度にダンスに誘った。その度に、素直な私の体は反応してしまい、彼女に悟られるのではないかと焦って自分の不甲斐無さに自己嫌悪した。仕方が無いではないか。好いた女を抱きたくない男などいないだろう。 
 
 
 彼女に出会ってから、毎日、彼女の事を想った。 
 
 ギニヴィア。 
 
 心の中で彼女の名前を呼ぶだけで、胸が締め付けられるように痛くなり、下半身は切なくて堪らなかった。ギニヴィアを想像して、彼女の代わりに適当な女を抱いても、全く満足しなかった。
 ギニヴィアが欲しい。
 他の女ではなく、彼女を抱きたい。 
 毎日会いたい。側に寄り添っていたい。
 ずっとその微笑を眺めていたい。
 ギニヴィアを求める気持ちは、日に日に増していった。 
 
 服の上からでも見事な肢体だと分かるあの体は、服を脱がしたらどんなに素晴らしいことだろうか。
 あの白く滑らかな肌は、どんな触り心地なのだろうか。 
 あの愛らしい唇は、どんな味がするのだろうか。
 可愛らしいあの声で、閨ではどんな甘い声を上げるのだろうか。  
 体中を愛撫したら、あの美しく可憐な顔は、どんな艶かしい表情を見せてくれるのだろうか。
 
 
 
 5回目にギニヴィアと会った舞踏会でダンスを踊っている時に、彼女の美しい細い指に目が留まった。
 ギニヴィアは指の形までも綺麗なのだな、そう思いながら、私は思わず有らぬ事を思考した。
 この美しい手が…今もギニヴィアを想って切なくなっている私のものを、慰めてくれたら……。
 卑猥な想像をして、私はゴクリと喉を鳴らした。
 気付かぬうちに、握った手に力を入れてしまい、ギニヴィアは少し首を傾げて私を見上げた。 
 
 そんな目で見ないでくれ。
 そんな真っ直ぐな目で、私を見詰めないでくれ。
 私は、お前を…………したいのだ。
 ……お前を、犯したいのだ。 
 
 ギニヴィアが不思議そうな顔をして、何か問いたげに少し唇を開く。
 そのふっくらとした可憐な濡れた唇に、今直ぐ貪りつきたい。
 この切ない私のものを咥えさせて、汚してしまいたい。
 自分の妄想に、私は苦しくなり、曲が終わると、逃げるようにダンスホールを後にした。
 手洗い所に行き、個室に入って確認すると、確認するまでも無く 、私のものは、はちきれんばかりに興奮していた。
 ギニヴィアの手を握っていた手のを顔に近付けると、微かに彼女の甘い香りがした。
 私は、つい先程まで彼女に触れていたその手で、興奮して苦しいものに触れた。 
 
 あのほっそりとした美しい手が、私のものを包み愛しむのを想像する。
 吸い込まれる様なあの琥珀の瞳を潤ませて、はにかんで頬を染めて、私を見上げて……。
 先程のように口を少し開けたら、そこに私のものを……温かい舌で舐めてくれるだろうか。奥まで咥えて、私の熱を慰めて、精を全部吸ってくれるだろうか。
 ギニヴィア……
 ギニヴィア…… !
 目を閉じて、彼女が無防備に私に奉仕している姿を想像すると、私は呆気なく白い欲望を吐き出した。汚れた手を紙で拭い、思わずそっと又顔に近付けて確認をする。ギニヴィアの甘い香りと、自分の精の鼻につく匂いが混ざり合わさって、彼女を犯した気分になった。
 最高に快感で、最低な気分だった。 
 
 
 
 
 それ以来、私は舞踏会に出る事を止めた。
 彼女に対する異常な感情は、きっと熱病の様なものなのだ。一時の気の迷いだ。
 会わずにいれば、忘れるだろう。   
 そう思い込んでみたが、無駄な努力だった。
 何ヶ月しても、私は毎日彼女の事を想い続けた。
 毎晩のように彼女を想って、自分自身を慰めた。
 女を抱いても、彼女を思い浮かべて果てた。 
   
 やはり、ギニヴィアが良いのだ。 
 彼女でなければ、駄目なのだ。
 どうしても、彼女が欲しい。         
  
 
 ……ならば、手に入れれば良いではないか。 
 
 何ヶ月もかかって、そう結論付けた私は、政略結婚という名の縄で彼女を捕らえる事を決意した。
 我がネグリタ家は、聖騎士爵家。王家の分家である公爵家の次に地位のある爵位を持つ。
 王家に一番信頼を置かれている、ケルトレアに5家しかない聖騎士爵家との縁組は、どの家でも欲しがるものだ。
 王家を支えて400年続く聖騎士爵家に生まれた事を、これ程に感謝した事は無かった。
 
   
 ギニヴィアは、カミュー侯爵家の跡取り息子と婚約をしておらず、彼は国外に留学中だった。
 具体的ではないものの、ケルトレアに帰って来たら婚約を、という話は、カミュー侯爵家とヘネシー侯爵家の間であったらしい。
 私は父を説き伏せ、ギニヴィアの父ヘネシー侯爵に縁談を持ち込み圧力を掛けた。ヘネシー侯爵は、正式な申し込みをされていないカミュー侯爵家の子息ではなく、聖騎士爵家の跡取りであり、現「聖五騎士」であり、現騎士長の息子であり、次期騎士長の最有力候補である、私を選んだ。
 思いどおりに事を運び、ギニヴィアと正式な婚約を済ませた私は、一刻も早くギニヴィアを我が物にすべく、直ぐに結婚式の日取りを決めた。 
 
 急な私の結婚に驚き、話を聞きたがる周りの者達には、「戦場で命を落とす前に、さっさと結婚して跡継ぎを残すことが聖騎士爵家に生まれた者の義務だからだ」と誰もが納得できる理由を言っておいた。
 私がギニヴィアに惚れている事を知る唯一の人間であるスコットは、私との約束を守り、誰にも何も言わなかったが、私を見ては始終にやにやと笑っていた。
 あの男のたるんだ表情はいつものことなので、特に誰も気にしてはいなかったが。 
 
 
 これで、ギニヴィアは私のものだ。
 彼女が、私と結婚した後もカミュー侯爵家の息子を想っていようが構わない。
 幼馴染だという彼等は、幼い頃から将来一緒になる約束でも交わしていたのかもしれない。私はギニヴィアを、無理やりに幼い頃からの恋人を裏切らねばならない状況に陥れたのだ。
 きっと、ギニヴィアは私を一生恨むことだろう。
 それでも良い。
 恨まれても良い。
 それでも自分のものにしたかった。
 
 
 
 
 
 
 出会ってから一年が経ち、18歳になって益々美しさに磨きが掛かったギニヴィアは、「当代一の美姫
」との呼び声さえあった。
 その美しい彼女が純白の花嫁衣裳に身を包んだ姿は、まるで女神の様だった。美しく魅力的な女を前にして、押し倒したい気持ちよりも守りたい気持ちの方が強いという、自分の感情に戸惑った。
 ギニヴィアの前では、私は戸惑ってばかりいる。 きっと、彼女の美しい瞳には、私はとんでもなく情け無い男に映って見えていることだろう。そう思うと、本当に情けなくて自分の不甲斐無さに悔しくなった。   
 
 式場では、ギニヴィアの姿に誰もが息を呑み、うっとりとした顔で見惚れ、私は見惚れる暇も無い程に苛立った。美しいギニヴィアの姿が、自分以外の者の目に触れるのが嫌で仕方が無かった。
 
 
 
 花嫁を妻にする為に屋敷に連れ帰り、腕に抱いたまま部屋に入って、寝台へと運んだ。
 彼女が自分の腕の中に収まっているということに、私は満足して気を失いそうな程に幸せだった。いや、今は気を失っている場合ではない、早く、早く彼女を抱きたい、自分のものにしたい、と、焦りながら、寝台の上にいくつも置いてある枕に、背をもたれかけさせてギニヴィアを座らせた。
 恋焦がれてきたギニヴィアを手に入れたのだ、今ここで彼女を抱けるのだ、ということが未だ信じられずに、私は彼女を見詰めたまま、緊張で暫く身動きが取れなかった。
 ギニヴィアが不安げに私を見上げて、頬を染めながら遠慮がちに微笑むと、私はまるで女を知らない少年のように益々動揺してしまい、それを隠す為に不機嫌な顔を無理やり作って言った。
 
「跡継ぎさえ産んでくれれば、後はお前の好きなようにして良い。子は良い騎士になれる健康な男子が3人ほど欲しい。戦場で命を落とす可能性も高いからな。我が家には確実な跡継ぎが必要だ。3人いれば誰か残るだろう」 
  
 私の言葉に、ギニヴィアは黙って私の顔をじっと見詰めた。
 何も言わない彼女に、私は益々焦って、早口に続けた。 
  
「子育ても面倒ならば、乳母や侍女に任せても良い。外に恋人を作っても構わない。ただし、外で子供を孕むなよ。それだけは約束しろ」  
  
 カミュー侯爵家の息子を想っていても構わない。
 私の妻でいてくれさえすれば。私の子を産んでくれさえすれば。 
 元々、他の男の妻になる予定だった彼女だ。こうして、触れることが出来るだけで、私は満足だ。愛して貰えなくとも、側にいられさえすれば、この腕に彼女を抱けさえすれば良い。
 ギニヴィアに、それを伝えなければならない。
 
 私を無理に愛さなくても良い。
 好きな男を想っていても良い。
 ただ、私の妻であること、私に抱かれること、私の側にいること、私の子を産むこと、それだけは約束させなければ無理やりに奪って結婚した意味が無い。私がお前を抱くことや私がお前の側にいることは、拒んではならない。それだけを約束してくれれば、気兼ねなく、自由に、出来るだけ楽にして良いのだと、説明をしなければ。 
  
「私も外で女を抱くが、子を孕ませるようなヘマをしないと約束する。両家の利益にならなければ、結婚の意味が無いからな。損害になるようなことはするな」 
 
 ギニヴィアは、私の伝えたい事を理解したのだろう。
 私を嘲るように笑った。
 そうだ、私は馬鹿で情け無い男なのだ。 だから、お前は私に気兼ね無く好いた男を想っていて良い。
 私は、それでも良いのだ。お前に恨まれても、軽蔑されても、それでもお前が欲しかったのだ。
 ギニヴィアの嘲笑を見て、私は自分の愚かさに自嘲した。  
  
「お互いの利益の為に協力しよう。宜しく頼むぞ」
「・・・はい、解かりました」
 
 
 
 
 
 
 あまり頻繁にでは可哀想だと思い、4、5日に一度を目安に聖騎士城から家に帰っては彼女を抱いた。
 ギニヴィアは、私に抱かれる事を決して拒みはしなかった。
 いや、私が無理やりに、拒むことが出来ないようにしているのだ。
 時折、ギニヴィアは耐えられない辛さに涙を流した。
 それでも彼女を抱く事を止めない私は、人の道から外れているのだろう。
 私の心は、狂っているのだ。心が狂う程に、ギニヴィアに恋をしているのだ。
 
「・・・泣くな萎える」
「・・・ごめんなさい」
「私に抱かれるのは嫌だろうが、私の子を産むのはお前の義務だ。我慢しろ」
 
 一度でも、泣いて可哀想だからと抱く事を止めれば、きっと、ギニヴィアは泣けば私に抱かれなくて済むと期待する。そして、私はギニヴィアに一生触れることが出来なくなるのだ。
 そんなことは、耐えられない。
 考えるだけで、胸が張り裂けそうになる。 
 
 ギニヴィアを失ったら、きっと私は生きて行けない。
 自分を想ってくれぬ女を無理やりに拘束して縋り付いているなど、情け無いにも程がある。
 解かっている。
 それでも、どうにもならないのだ。
 私に抱かれることが義務であるとギニヴィアに思わせる為に、わざと冷たい言葉で従わせた。
 優しくして拒まれるよりは、冷たくして支配すれば良い。
 そうすれば、ギニヴィアはいつまでも私のものだ。 
 
 
 傷付いた顔をしたギニヴィアを見ると、胸が痛んで辛かった。
 それでも、私は捕らえたギニヴィアを手放す気など微塵も無かった。
 いや、違う。
 囚われたのは、私の方だろう。
 あの日、初めてギニヴィアを目にした夜に、この強い光を湛えた美しい琥珀の瞳に私の心は囚われたのだ。
 きっともう、一生逃れることなど出来ない。  
 
 ギニヴィアへの異常な執着心をどうにかしようと、他の女を抱いてみても、私は決まって最後にはギニヴィアを想って果てた。彼女が私を求める、などという有り得ないことを想像して。
 我に返って残るのは、虚しさばかり。 
 
 
 本当は、もっと本心をさらけ出してギニヴィアを抱きたい。
 愛してくれとは言わない。
 好いた女の男を想っていても良い。彼に抱かれても良い。
 ただ、私に抱かれる時だけは、私を見て欲しい。一瞬でも良いから、私に夢中になって欲しい。 
 
 そう思い続けていた。

 

 

 

 

 

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