赤鷲  (5)

 

 
「あ! おはよう、キアヌ! 体調はどう?」 
「・・・別に普通だが?」 
 毎朝の習慣に沿って捉まったキアヌは、ケイリーの顔を見ると、胸が騒めいた。
 ケイリーの鮮やかな緑の瞳は潤んでいて、綺麗な赤色の長い睫毛が心配そうに揺れる。
 少し躊躇したように薄く開かれた柔らかそうな唇が、心細そうに小さく震ている。
 愛しさと憎らしさが、同時に込み上げた。 
 
 他ノ男二、触ラセルナ。
 殺シテシマエ。 
  
 
「あ、あのね、キアヌ。・・・私、何かしたのかな? 怒っているんだよね? 思い当たる節が多過ぎて、何に腹を立てているのか分かりませんよ、もう!!」 
 珍しくしおらしいと思ったら、途中からはいつもどおりの調子になったケイリーの台詞に、キアヌは冷静を装う。
「・・・お前、自分の発言のおかしさに気付いていないだろう? ・・・別に、腹など立てていない」 
「じゃあ、眉間の皺が一本多いのはどう説明するというのですか!?」 
「知るか!!」 
「ほら、やっぱり怒っているじゃないですか。・・・あ、もしかして兄様達が何かしたの?」 
「・・・・・・・・・いや、別に何もないが?」
 娼館では本当に何も無かったが、キアヌは何となく後ろめたい気分になる。
 何かあったとしても、恋人でもないケイリーに対して後ろめたくならなくてはいけない理由などないのだが、と思い、妙な気分になる。  
 
「・・・物凄〜くアヤシイ間がありました」
 ぷぅっ、と頬を膨らませて自分を見上げるケイリーが、可愛いらしいと思った。昔からちっとも変わらない。そう思うと、自分の持っていた欲望の恐ろしさに気が付いて、キアヌは青ざめた。 
 
(殺すだと? ……私は、何を血迷った事を。 ……殺せるはずがないではないか。 ケイリーが、二度と動かず喋らず、私を見ることもないなど、そんなこと、あって良い筈がない!!) 
 
 自分が恐ろしくなって、キアヌはケイリーから目を逸らせた。
「・・・・・・さっさとライオネル殿の元へ行け」 
「む〜。私の愛を邪険にするなんて、酷いです! ・・・・・・キアヌは・・・キアヌは、私の太陽なんだからね! ・・・じゃ、じゃあ、今日も一日お元気で!!」  
 珍しく恥ずかしそうに頬を染めて走り去るケイリーを見て、キアヌは眉をひそめた。
(何故、今更そんな台詞で照れるのだ? 毎日、もっと婉曲のない恥ずかしい事を言っているだろうが。……太陽、か……)    
 
 ケイリーこそが太陽のようだと思った。
 いつでもそこにいて当然で、いつでも微笑みかけてくれるのが当然の存在。
 けれど、ケイリーが自分を太陽だと称するのならば、その幸福を遠くから照らそう。
 ケイリーが、他の誰かと結婚して、子を産んで、自分のことを忘れても、変わらず見守り続けよう。
 それが一番ケイリーにとって良い事だろうと、キアヌは思った。
 そう信じると、気持ちが楽になった。
 今の関係を自分から壊すことなど、出来ない。このまま何も変わらないことが無理なことだと解かっていても、キアヌはそれを願って止まなかった。 
  
  
  
  
 
 老王が崩御し、新王が即位すると、エクリッセ伯爵家にとって、益々過酷な時代が始まった。
 事実上の亡エクリセア王国であるエクリッセ伯爵領が力を持ち過ぎていることを危惧した前王は、エクリッセ伯爵家を冷遇し、反対に建国前からの寵臣であるブラヴォド聖騎士爵家を優遇していた。それが当たり前である中で育った新王は、その傾向を大きくした。 
 
 初めに文官から赤毛が消えた。魔術師部隊や騎士隊からも、少しずつ、エクリセア人特有の鮮やかな赤毛が見られなくなった。
 元より、エクリセア人でエクリッセ伯爵領を出て首都ケルアに来ている者の数は少なかったのだが、それが殆ど見られなくなった。
 賢く魔力の強い者の多いエクリセア出身者を中央政権から追い出す事が、いかに国にとって不利益な事であるか王に説く者は、その地位を取り上げられた。自然と、まっとうな意見を言う者が消えていき、王の聞きたい事だけを言う者が、徐々に上に集まる。 
 
 王に取り入った者達は、少しずつ自分達に都合の良い話を王に囁く。王は、腐敗したブリテア王国の王家を裏切りケルトレア王国建国に加担したオルデス聖騎士爵家とバカルディ聖騎士爵家が、ケルトレア王家も裏切るのではないかと疑うようになり、ブリテア王国の王家の血を継ぎ「時魔法」を使える魔力の強いグレンファー聖騎士爵家においては、その存在を恐れ、爵位さえ取り上げる意向をみせた。
 これを受けて、建国王の姫を娶った騎馬民族の長の息子が始祖で、グレンファー家からも170年程前に嫁を貰っているネグリタ聖騎士爵家は、グレンファー家を聖騎士爵から外すならば、ネグリタ家も外れると主張した。 
 
 数年の内にケルアの中央政権は大混乱し、国内では先代王、先々代王から溜まっていた不満があちこちで爆発を始める。その機を狙って、宿敵フレシス王国が国境を侵略し、対フレシス戦が再び開戦した。
 混乱の時代に、エクリッセ伯爵家令嬢であることからくる不当な扱いをものともせず、ケイリーは聖騎士爵家の庇護を受けながら騎士隊に留まり、赤のブラヴォド部隊の中隊長として活躍していた。
 キアヌとケイリーの関係は変わらず、二人の間には、信頼と、友情と、愛情と、執着と、男女の関係にはなれぬ溝が横たわっていた。 
 
 全てが変わったのは、ケイリーの成人から6年後。
 フレシス戦の中で王が命を落し、まだ15歳の王子が玉座に就いた時だった。 
  
  
  
  
 
――ブラヴォドまでもが、恩を忘れて裏切るのか!! 
 
  
 キアヌは、がばっと、起き上がり、震える手で、脇卓の上の水差しからグラスに水を注いだ。
 息を整えながら、水を流し込む。
 嫌な汗が全身に流れている。
 あまりにも鮮やかな悪夢。
 キアヌは、毎晩同じ悪夢に、前王の亡霊に、悩まされていた。 
 
(……違う、夢ではない) 
 
 どうして、あんなことに。
 どうして、前王は、国を思う臣下の声を、民の声を、聞き入れてくれなかったのか。
 どうして、騎士達を信用してくれなかったのか。
 どうして、自分達は……。 
  
  
 
 フレシスとの戦いの最中に父王を失った王子は、直ぐに聖五騎士を中心に騎士達をまとめ、「扉魔法」を一から組めるグレンファー家の跡取りスタントンを優遇してその能力を大いに使い、地方領主の城には自ら赴いて有能な魔術師や騎士や文官を中央に連れ戻し、フレシス王国の兵を押し返す事に成功した。 
 
 王が戦死し、世継ぎの王子が戦を収めたことを国民に広く示す為にも、凱旋から直ぐに即位式が行われた。
 祖父や父の言いなりになっていて頼りなく見えたディアン王子が、驚くほど偏見が無く聡明で有能であった事を、全国民が知る事になり、傾きかけていた国中が新しい時代の訪れに歓喜した。
 新王が成人もしていない優しげな面持ちの少年で、下々の者にも慈愛と笑顔を見せることも、ここ数代の威圧的な王しか知らない国民には衝撃的であった。ケルトレア王国は久々に頂けた賢王の話題で持ちきりで、前王は既に過去の人となっている。
 国中に春を告げる新しい風が吹く中で、キアヌは過去から抜け出せないでいた。 
  
 
 
 数日続いた即位式の後の宴が終わり、慌ただしく忙しくも活気に溢れたケルトレア王城、王の間に、キアヌとケイリーは呼び出された。 
 
 玉座に座る、印象的だった柔らかい色合いの長い金髪をばっさりと短く切り落とした青緑の瞳の少年王の前に、二人は跪いた。
 王の隣には、王から色々と相談を受けて頼りにされている騎士長のライオネル・ネグリタと、新王の護衛筆頭騎士に抜擢されたスタントン・グレンファーが控えている。 
  
 
「赤の聖五騎士キアヌ・ブラヴォド、赤の中隊長ケイリー・エクリッセ。お前達二人に、重要な任務を与える」 
 
 元々、賢い王子だったが、父王を失ってからは、15歳とは思えない王者たる威厳を少しずつ持ち始めた。まだ育ち盛りで体も少年らしさを残す王は、大きな玉座に相応しい男になるよう、目覚しい成長を見せている。
 落ち着いた声で、ディアン王は続けた。
「エクリッセ伯爵領へ行き、マルス・エクリッセとワッシャー・エクリッセを説得して、どちらか一人で良いから、ケルアに連れて帰って来てくれ」
 その予想をしていたとおりの言葉に、二人は短く了解の返事をした。 
  
 
 ケイリーの双子の兄達、マルスとワッシャーは、王自らが地方領地に迎えに行った人材の筆頭だ。戦の間、その頭脳や魔力を存分に発揮した双子だったが、戦が終わって凱旋から直ぐに行われた即位式が終わると、引き止める間も無くさっさとエクリッセ伯爵領へ帰ってしまった。 
 
「二人同時でも良いのだが、二人のどちらかに宰相の椅子に座ってもらいたい」
 その言葉は、予想を上回った。
 エクリッセ伯爵家は、歴史上何人もケルトレア宰相を出しているが、ここ100年程は中央政権から遠ざけられていた。
「・・・宰相、ですか?」
 ケイリーも驚いたように、大きな緑の瞳を瞬かせた。
 それを見て、王が楽しそうに微笑んで頷いた。 
 
「それと、ケイリー、お前には、赤の聖五騎士副官の任を与える。正式な任命式は後程、他の騎士達と共に行うが、キアヌを末永く支えてやって欲しい」
 人の良さそうな気さくな笑みを浮かべた少年王に、ケイリーは瞳を輝かせて頭を下げた。
「ありがとうございます! 陛下のご期待に沿えるよう、死ぬまでキアヌを支えます! 任せて下さい、陛下!」
 胸を張って言ったケイリーの台詞に、キアヌは少々青ざめ、王とライオネルとスタントンは、愉快そうに笑った。 
 
「この度の活躍、ご苦労であった。エクリッセ伯爵領での休養を申し渡す。そうだな、二人とも一週間は帰ってくるな。その間に、ケイリーはエクリセアの有能な人材を何人かケルアに分けてもらえるように働きかけてくれ。・・・お前が聖五騎士副官で、マルスかワッシャーが宰相になれば、自然と少しずつエクリセアから中央に人が流れて来るだろうが、早いに越した事はない」 
  
  
  
  
 
 6年ぶりにエクリッセ伯爵領を訪れたキアヌを、前回同様、皆が大歓迎した。戦の終わりと新王の誕生を祝って宴の最中だったエクリッセ伯爵領主都エクリセアは、キアヌとケイリーの登場に更なる盛り上がりを見せた。
 キアヌにとって、エクリセアの宴はケルアの宴よりもずっと居心地が良いものだったが、夜も更け、頃合を見て、キアヌは宴をそっと抜けた。 
 
 三階の露台から中庭を眺め、夜風に当たりながら、エクリセア城は本当に美しいと思った。自分にとっては、見慣れぬ文化の結晶なのに、何故、こんなにも優しく、懐かしく感じるのだろうか? 
 
 一片の雲もない夜空に浮かぶ二つの月の光に、エクリセア様式建築の繊細な曲線が幻想的に浮かび上がる。細やかな彫刻の施された噴水の音が、耳に優しい。
 キアヌは目を閉じて、心に溜まった煩わしいものが全て洗い流されて清められたかのような清々しい感覚を、暫くの間、存分に堪能した。 
  
  
 
 どれほどの間そうしていたのか、良く知った人の気配を感じて、キアヌは静かに瞳を開いた。 
 
「キアヌ・・・ディアン陛下は本当に良い王様ですね」
 キアヌの隣に来たケイリーは、手摺に手を掛けて、しみじみと言った。
 唐突な台詞だが、この久々に味わった平穏な時をもたらしてくれたのはその人だ。今までの王達とは違う慈愛に満ちた笑顔を思い出し、キアヌは深く頷いた。
「・・・・・・そうだな」
 そう呟いてから、初めてケイリーの顔を見ると、ケイリーはいつもの明るいお気楽な笑顔とは違う表情を見せていた。
「良かったです。・・・本当に良かった・・・・・・」
 真剣な顔で、少し眉を下げて感慨深げに言ったケイリーは、澄んだ夜空に浮かぶ二つの月を見上げて、瞳を閉じた。 
 
「・・・今まで、大変だったな」
 前王の在命中、ケイリーがエクリッセ伯爵令嬢だからとケルアで不当な扱いを受けていたことを、側にいたキアヌは良く分かっている。騎士隊ではキアヌの目の届く限り、表立って不当に扱われていた事は無かったが、首都の居心地はきっと自分の想像以上に悪かったはずだ、とキアヌは思いながら、ケイリーの横顔を眺めた。
 一度も、不満を言わなかった。
 泣き言を言わず、いつでも笑顔を絶やさなかった。
 それは、どれだけ大変な事だっただろうか? 
  
 
「うん。・・・本当に良かった。・・・・・・これで、このままケルトレアの一部でいられます」
 嬉しそうに微笑むケイリーに、キアヌは、ここ数年何度も聞こうとしたけれど出来なかった台詞を口にした。
「・・・エクリセアは、独立を望んではいないのか?」 
 
 元々一つの国だったエクリッセ伯爵領土。
 治めているエクリッセ家はエクリセア王国の頃から変わらない。
 文化の違うケルトレアで冷遇を受けていれば、独立を考えるのが自然だろう。先代王も先々代王も、それを危惧していた。その為、力を持たぬように圧力を掛けるという逆効果であろう政策を執っていたのだ。
 ケイリーはキアヌを見て、首を横に振った。 
 
「今の状況が理想的なんです。ケルトレアの一部でありながら、独自の文化を認めてもらえる状況が一番良いんです。・・・独立してケルトレアの後ろ盾を無くしたら、多国から侵略を受けるでしょうから。まぁ、多国から今のケルトレアと同じ状況で、傘下に入らないかとの誘いは多々ありますが、一から関係を築くよりも、400年関係を続けてきたケルトレアの方が良いですから」
「・・・もし、先代の御世が続いていたら、どうした?」
 キアヌの言葉に、ケイリーは言い難そうに口を開いた。
「・・・・・・ケルトレアから抜ける予定でした。あのままでは、ケルトレア自体も危うかったですから。共に沈む気はありません」
 はっきりと言うケイリーに、キアヌは、ほっとした。
 良かったのだ、と思えた。
 正しかったのだ。 
  
 
「そうか・・・では、本当に、これで良かったのだな・・・」
「はい。・・・良い時代になります。・・・良い時代にしましょう?」
 涙を溜めたまま微笑むケイリーが、堪らなく愛おしかった。
 それ以外、もう何も考えられなかった。
 そして、それは、とても自然なことに思えた。
 ただ、愛しく思う気持ちがあふれて、今までも何度もそうして来たかのように、自然に体が動いた。  
  
 ゆっくりと両手を伸ばして、包んだ頬は滑らかだった。
 涙を拭って、鮮やかな緑の瞳を覗き込むと、満足と切望の波が一気に胸に押し寄せる。
 吸い込まれるように重ねた唇は、甘くとろけるように柔らかかった。
 驚いたケイリーは、目を丸くしてキアヌを見つめた後、一呼吸置いて、恐る恐る瞳を閉じた。 
 
 熱い吐息が交じり合う。
 そっと唇を舌でなぞり、口を開かせ、貪るように舌を吸う。
 絡まったのは16年の想い。
 年月を埋めるように、夢中で、時を忘れて、求め合った。 
  
 
 まるで、魂ごと体中を彼のものにされたかの様な激しい口付けから唇を解放されると、ケイリーは、甘い吐息を漏らして、力無く、ぺたり、と床に崩れた。
 熱い体を持て余す甘い余韻の中で、うっとりと見上げると、ケイリーの体を支えているキアヌは戸惑いを顔に浮かべていた。
 目が合うと、キアヌは急に体を離し、立ち上がって、ケイリーに背を向けた。 
 
「・・・はぁ・・・はぁ・・・・・・・・・って、あれ? ・・・・・・ちょ、ちょっと、キアヌ! 口づけだけで終わりですか!? 既に何度もイッちゃったし、べっとべとの、とろっとろで、いつでも繋がれるよ! 寧ろ、今直ぐ入れてよ〜! このままじゃ眠れません! 一生眠れませんよ! 萌え過ぎて!! ハァハァ・・・」
 雰囲気を壊す言葉の数々に、引き攣った顔で振り返ったキアヌは、いつもの様に鼻血が出たらしく鼻を懐布で押さえているケイリーを、冷たく見下ろした。
 
「馬鹿なことを言っていないで、さっさと寝ろ。明日も仕事が詰まっているぞ」
 靴音を響かせて去っていくキアヌの後姿に、ケイリーは無念の叫び声を上げた。 
 
「あ〜ん! 冷たい視線に萌えるよ、キアヌ〜! でも、生殺しなんて酷いよ〜!!」

 

 

 

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