赤鷲  (2)

 

 
 
――私が「黒獅子」ならば、キアヌは「赤鷲」だな。
 
 
 そう言った
ライオネルの言葉が広まって、騎士学生になったキアヌには「赤鷲」という渾名が付いた。ブラヴォド家の家紋に由来した騎士らしく勇猛なその渾名に、とても満足をした。
 キアヌはその渾名に相応しく、攻撃的な荒い気性を持っていた。だからこそ、憎まずにはいられないのだ。性格に合わぬ自分の容姿を。
 
 若い頃はその美貌を競ったという母方の祖母と父方の祖母の、二人の良いところを足したような容姿だと言われる。だからと言って、祖母達や両親を恨めるはずも無かった。 
 特に母はキアヌを産んで体を壊し、一命は取り留めたものの子を産めなくなった。そんな母を、どうして恨むことが出来ようか。
 魔力の強い子を産み、体を壊す女は多い。魔力の小さな者が魔力の大きな子を孕めば、無事に産む事も出来ずに母子共々命を落とす可能性も高いのだ。
 魔力の大きさは遺伝によって決まる可能性が高い。
 突然変異や先祖返りといった、親とは比べ物にならない程大きな魔力を持って生まれてくる子もいるが、それは非常に稀なことだ。その発生自体も稀であるが、突然変異や先祖返りは生まれてくる前に母を道連れに死ぬ確率が高い。自分が生き残る為に、母親の体内で魔力の放出を防ぐ「膜」を作ることができる者は無事に生まれて来る。それでも、子を産んだ後に母親が力尽きる事が多く、子は「母殺し」と呼ばれて畏怖と嫌悪の目を向けられる。  
 
 支配者階級には魔力が大きい者が多い。いや、魔力が大きい者が支配階級となり、魔力の大きな者同士を掛け合わせて子を作るから、と言った方が正しいのだろう。確実に魔力の高い子を産めるのは魔力の高い女だけである為、自然と魔力の強い女は優遇され、例え身分が低くとも、身分の高い男に嫁ぐ事が多い。
 支配者階級の者は、自分の魔力に合わせた相手を選ぶので、「母殺し」を出す可能性は低い。しかし、直ぐに死に至らなくとも、キアヌの母のように、もう子を産む事が出来なくなったり、早死にしたりする者が少ないわけでもない。
 
 両親より遥かに大きな魔力を持って生まれる子の異例は、両親の組み合わせの適合で、ケルトレア王国では「女神の気まぐれ」と呼ばれる。
 非常に稀なこの事例は、父親と母親の遺伝子の組み合わせが非常に良い時に起こり、自分よりずっと魔力の大きな子を産んでも、母親の体は傷つかない。又、この場合、突然変異や先祖返りと違い、兄弟全員が、両親よりも遥かに魔力の強い子供達なので、容易に区別が付く。そして、奇跡的な程に組み合わせの良い夫婦という事で、羨望の眼差しを向けられるのだ。
 
 
 キアヌの母クレアは最上流階級と言える侯爵家の出身なので、一般的な尺度で測れば十分過ぎる程の強い魔力が備わっているが、階級の中では特に魔力が強いわけではなかった。
 何百年間も強い騎士を輩出する事だけに重点を置いて掛け合わされた血の結晶であるブラヴォド聖騎士爵家の子を産む事は、彼女の能力の限界寸前であったのだろう。キアヌは、母を殺さなくて済んだことを女神に感謝している。
 子を産み跡継ぎを残す事が仕事である貴族の娘として、一人しか子を産めなかったクレアの世間での肩身は狭い。
 特に彼女の嫁いだ先は、聖騎士爵家という血を途絶える事が許されない上に、戦場で命を落す可能性の高い家であり、国中が存続を願う家であったから、風当たりが強かった。キアヌに何かあったら直系の血が途絶えてしまうという重圧から、クレアの両親は娘に離婚を勧め、クレアがキアヌの父キーファーと離縁してキーファーに新しい妻を娶らせる事にブラヴォド家も賛成をした。 
 キーファー本人は断固としてそれを認めず、クレアと離縁せずにいるのだが、クレアがどちらにせよ辛い思いをしていることをキアヌは知っていた。
 
 唯一の跡継ぎである自分が死ねば、両親は無理やりにでも離縁させられて父は新しい妻に子を産ませなければならない。そうやって、何百年も守って来た血だ。
 自分が死ななくとも、子を作ることが出来なければ、やはり母は離縁させられるという事をキアヌは理解している。
 逆に自分が跡継ぎを作りさえすれば、母はこれ以上辛い目に合う事も無いのだ。
  
 母を助けてやれない事が、ここ数年のキアヌの気鬱の種だった。
 自分には子を作る能力がない、とキアヌは密かに確信しているのだ。だから、母を助ける事が出来ない。
 二年前に騎士学校を無事卒業し、後数ヶ月で二十歳になるというのに、キアヌは男ならば誰もが持つ一番の欲を今まで持ったことがない。つまり、性欲というものが一切無いのだ。
 欲情の経験は無いが、生殖器を持たない訳ではない。朝の生理現象として勃ってたり、月に二度程は夜間遺精が行なわれているので、性欲が無いのは精神的なものなのだろうとキアヌは客観的に分析する。 
 心当たりはあった。
 幼少の頃から、性的対象として老若男女問わずから卑猥な目を向けられて来たことや、幾度となく体目的で襲われて犯されそうになったことが精神的外傷になっているのだ。自分が基本的に人間不信だということも自覚している。「ケルトレア一の美人」などという忌々しい渾名を男である自分に付ける人間を、軽蔑せずにはいられない。

 
 
 
 
  
「赤鷲って、本当にすっごい美人だよな・・・。やばいよ、あれ。俺、久々に近くで見たら見惚れちゃって手に力が入んなかった」
「人間離れしてるよな。エルフとかの血入ってるんじゃないのか?」
「俺、男色趣味なんか無いけど、あの人ならいい!男でも良い!!」
 
 待ち合わせをした騎士城の入り口に向かう途中、物陰から聞こえて来た会話に、キアヌは気配を消してそっと声の主を確かめた。自己防衛をする為には、情報収集が重要である事は良く心得ている。 
 父が騎士長をしている騎士城では襲われたことは無いが、それとなく閨に誘われたり、酒の席で酔い潰そうと企まれたり、厭らしい目で見られる事はある。集団で体を鍛えた騎士に不意を衝かれて襲われれば、危険である事は確かだ。やましい気持ちを持った者に近づかないに越した事は無い。
 そっと覗いてみると、口も利いた事の無い他部隊の新米騎士だった。
 
「全然女に興味無いらしいけど、やっぱ、男色なのか?」
「相手して下さらないかなぁ」

「あははは!! ムリムリ!」
「相手はやっぱり、黒獅子なのか? ある意味、最強に似合うよな」
「やべぇ、想像したらちょっと勃っちゃった。男に勃つってどーなのよ?」
「キアヌ様は特別だろ〜」
  
 自分のみならず、兄のように慕うライオネルが侮辱されている事に憤りを感じたが、この程度ならば放っておけとライオネルに言われている。騒ぎ立てると余計に事が大きくなって、騎士隊全体に悪影響を及ぼしかねない。キアヌも馬鹿らしい話に一々付き合う事はないが、好き勝手に言われる理不尽さが悔しくて腹が立った。
 
 
まず、この忌々しい赤金色の巻き毛が悪い、そう思いながらキアヌは髪を一束掴んだ。
 腰に届きそうな長さで、目立って仕方が無い。ライオネルのように、肩の上で短く切れたらどんなにすっきりすることかと思う。しかし、ブラヴォド家の騎士は髪を短く切ることは出来ないのだ。
 髪を切ることは、即ち、忠誠を誓ったケルダーナ王家に反旗を翻す意があるということになる。ブラヴォド家は、ケルトレア王国の建国の聖五騎士の末裔で、聖騎士爵家だ。この5家の内、建国戦争以前から王家ケルダーナ家に仕えていたのはブラヴォド家だけであった。
 
 ケルダーナ家は元々ブリテア王国の領土であったケルトレア地方を治めていた一領主に過ぎなかった。だが、ブリテア王国の中央政権の腐敗とケルトレア領主の才量が相成って、戦乱の後に、ケルダーナ家がブリテア王国全土といくつかの隣国を一つに纏めたのが、ケルトレア王国である。建国は400年程前のことになる。
 昔からケルトレア地方では、騎士は長い髪を持つ事が常識であり、現役を退くか忠誠を破る時に髪を切った。領主ケルダーナ家も髪を伸ばし、領主になるものだけが、領主になる時に髪を切るという習慣があった。
 現在も、騎士達の中で代々ケルトレア地方出身の者は髪が長い。
 聖五騎士爵家の残りの4家は髪を伸ばすことを気にもしないのだから、気にしなくても良いと思うのだが、ケルダーナ王家が未だに王位継承時に髪を切る習慣を続けている事もあり、ブラヴォド家は古い慣習を守っている。それを周りの者からも当然だと思われ、ケルトレア地方出身の騎士達はそれを見習って髪を伸ばすのだ。
 
 聖騎士爵家の歴史は誇らしいが、髪が短かければ、もう少し目立たなくて済んだのではないだろうかとキアヌは思っていた。
(本当に鬱陶しい。洗うのにも乾かすのにも手間がかかって、邪魔なだけだ。戦場で髪をなびかせるのが男らしさの象徴だと思っていた先祖の気が知れない。髪を結うと、何故か益々女のように見えるので、結うことも出来ない。) 
 苛々しながらキアヌがその場を去ろうとすると、聞き慣れた声が響いた。
 
 
「キアヌは男色家じゃないよ!! ライオネル様も違います!! 二人の間にそんな関係はないです!! 変な噂を立てないでよ!!!」
 
 姿を見ずとも誰だか判断出来るその声に、キアヌは顔を引き攣らせた。
 少女は猫のような印象のエクリセア人らしい鮮やかな緑の瞳に怒りの炎を燃やし、肩上までの華やかな赤い髪は正に燃えている様だ。
 この週末に17歳になる彼女、ケイリー・エクリッセは、騎士学生も5年目で、「見習い騎士」としてライオネルに付いて学んでいる。
 ケルトレア王国の騎士学校では、最後の二年間は課題をこなしながら個別に先輩騎士に付いて学ぶ。キアヌもライオネルに付いて学んだので、変態と認識しているケイリーが自分と同等の扱いを受けているのはなんとなく納得がいかないのだが、女性であり性格にも問題のあるケイリーの教育を正しく出来る者は中々いないのだということで、無理矢理に納得をした。
(あの馬鹿は又余計な事を! 私が折角我慢したのが水の泡ではないか!)
 
「なんだよ、ケイリーか。じゃあ、人間離れした美しさのキアヌ様には、人間らしい性欲なんか無いというのか?」
「ケイリーだって10年間も追っかけてるのに、何もされていないんだろ?」
「うっ・・・それは、そうだけど・・・」
「不感症かな?」
「性欲が無いなんておかしいだろ。人間じゃねぇよ。食欲、睡眠欲、性欲が、人間の三代欲だぜ?」
「私のキアヌを、化け物呼ばわりするなんて、許しません!」
「だってよぉ、お前があんなに誘惑しているのに、ヤル気が起きないなんて男じゃないだろ」
「ケイリーは性格は置いとくとして、顔も体も良いもんな〜」
「侮辱してるの!?」
「誉めてるんだろ」
 
 
 騎士学校で顔見知りだったらしい男達をケイリーが真面目に相手しているのが、苛立たしかった。
(そんなゴミ共は放って置けば良いというのに、この馬鹿が!大体、待ち合わせは門の前だろうが!)

「もう無駄な努力は止めて、他のきちんと性欲のある男に乗り換えたらどうだ?」
「っていうかさ、もしかしてキアヌ様、男根付いてないんじゃねぇの?」
「ありうる! 男でも女でもない存在なんじゃねぇ? いや、どちらでもある方がお得か。うわぁ、萌えるね。っつーか、寧ろ胸は無いけど女だったら良いなぁ」
「良くないです!! キアヌは立派な男性です!!」
「見たことあるのかよ?」
「そんな嬉しい状況に陥ったことはないです! ・・・ああ、キアヌのものを下でも上でも咥えられたらどんなに素晴らしいだろう!! あ〜んキアヌ〜〜!!」
「・・・勿体無いよなぁ、ケイリー」
「こんなに良い女なのになぁ」
「エロいし」
「なぁ、ケイリー、欲求不満は解消しないと体に悪いぜ?」
「そうそう」
「下からも上からも咥えたいんだろ?」 
 
 卑猥な言葉を向ける対象がケイリーに移ったのを聞いて、キアヌの体は勝手に動いた。 
 ケイリーが男達に囲まれているのを目の前にすると、思わず剣の柄に手が掛かった。
「何をしているのだ?」
 突然のキアヌの登場に、男達は蒼白になって声も出ずに後退った。美しい顔で凄まれる程、恐ろしいものは無い。その上、キアヌの気性が荒い事と剣技と魔力の高さは有名だった。

「キアヌ!あ〜ん、今日も一段と美しいです・・・!!」
 その場の凍りついた空気を一気に壊して、ケイリーがキアヌに抱きついた。
「馬鹿が」
 逃げるように去って行く男達を見ながら、キアヌは溜息を吐いてケイリーの体を引き離した。 
 
 
――性欲が無いなんておかしいだろ。人間じゃねぇよ。
 
 自分が他の人間と違うと気が付いたのはいつだろうか、先程聞いた言葉が胸に刺さった。
 性欲という物がどんなものなのか、理解さえ出来なかった。それは、確かに人間としておかしく、致命的な欠陥だと自覚している。女の体に興奮したことなど一度も無い。まして、男と寝るなど死んでもごめんだという事は、はっきり解かっている。
 
(どうして私はこんな姿をしているのだろう? 普通の男の姿が良かった。普通に性欲があって、他の人間をもっと理解出来きて、それで、子供を作ることが出来れば良かった……)
 
「キアヌ、もしかして緊張しているのですか? もしかして・・・いやん! そんな! どうしよう!? 『不束者ですが』なんて! それは私の台詞です!」 
 突然のケイリーの発言に、キアヌは意味が解からずに目を瞬かせた。ケイリーは嬉しそうに頬を染めながら、キアヌをバシバシと叩いた。
「・・・何を言っているのだ、この馬鹿は?」
「あ〜ん、テレ屋さん。大丈夫です、母様も父様もキアヌのファンですから!」
「何の話だ?」
「お嬢さんを下さいの話です」
「・・・は?」
 
 眉を寄せてケイリーを見ると、ムフフ、と桃色の笑みが返ってきた。
「何を言っているのだ、お前は!? 私は無理矢理連れて行かれているだけだろうが!! そもそも、何故、私がお前の成人祝いの為に、態々エクリセア伯爵領土に行かねばならないのだ!!」
「成人のお祝いだからです」
「意味が解からないが?」 
 冷たい視線を投げかけられるのに慣れっこのケイリーは、逆にエッヘンと胸を張った。 
 色々と間違っている。何がどう間違っているのか解からない程に間違っている。そう思いながらキアヌは首を横に振った。 
  
「お祝いなんだから、贈り物を貰うでしょう? キアヌが一緒にいてくれることが最高の贈り物ですから!」
「父上とライオネル殿に頼んだのだろう?」
「うん。それがキーファー様とライオネル様からの成人祝いだもん」  
「しかも、母上にまで話をするとは、随分と周到ではないか。こういう時にだけ頭を使うな!」 
「えへへ。褒められちゃった」 
「褒めてないぞ!」  
 騎士長の父からは休暇をケイリーと一緒に出されて、更に、母とライオネルからはエクリセアで買って来る土産の注文をされた。謀られたキアヌに拒否権は無かった。 
   
「まぁ、ワッシャーとマルスに会えるのは楽しみだが」 
 妹であるケイリーと同じくらい変態だが、数少ない友人である双子を思い浮かべて、キアヌは満足げに頷いた。去年、首都ケルアの学校を卒業して故郷に帰った二人とは1年顔を合わせていない。
「え〜!! 何それ!? 兄様達ずるいよ! 兄様達に会いたいだなんて! 私に会いたいなんて一度も言ってくれたこと無いのに!」 
 膨れるケイリーに、キアヌは眉を寄せた。
「は? お前には、いつでも会えるだろうが」
「え? ・・・・・・そんな、キアヌったら、だ・い・た・ん・・・・・・ぽっ」
「待て! 何故そこで頬を染めるのだ!? 何を考えているのか知らんが勘違いだぞ!」
「照れなくてもいいのに〜」 
   
 
 キアヌはケイリーとのやり取りで、すっかり先程の嫌な気分を忘れていた。  
 ケイリーと話すことによって、いつも嫌な気分を忘れるのだが、忘れるので、「ケイリーと話すことによって嫌な気分を忘れた」という事も忘れてしまうのだ。 
  
 (ケイリーとエクリセアまで一緒に行かねばならないのは苦痛だが、エクリセアに行くのは初めてだから、正直なところ、楽しみだな) 

 

 

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