赤鷲  (1)

 


(面倒だが、ここで待っていて状況の説明をしなければ……。そろそろ、いらっしゃる頃だろう) 
 
 懐紙を取り出して、剣に付いた血を丁寧に拭いながら、冷たい地下室の石床に広がる血の海を表情無く
眺めて、少年は小さく溜息を吐いた。
 愛剣を金細工の飾りの付いた美しい鞘に収め、べっとりと血糊の付いた懐紙を投げ捨てると、上質な絹織の布を胸元から取り出して顔を拭った。返り血の下から現れたのは、奇跡的なまでに美しい顔。その芸術的な造形は、胸までの長さの自分の髪が視界に入ると、憎々しげに歪められた。
 血に汚れた見事な螺旋を描く赤金色の髪を一束摘んで拭いてみたが、元の煌めく光を取り戻すことは到底出来なかった。赤味がかった金の瞳を不機嫌に細めながら、高価な懐布を床に投げ捨てると、部屋をゆっくりと見回した。
 
(こんな姿を見たら、母上が泣くではないか。ゴミ共の所為で!!

 
 ドガッと、足元に転がる死体を蹴飛ばした。
 少年の三倍はある大きな図体が転がり、魂の抜けた男の悪人顔が彼の方を向いた。つい先程、少年の美しさに目が眩んで犯そうとした男の一人だ。
 死体に侮蔑の眼差しを向けると、もう一度おもいきり蹴飛ばしてから、美貌の少年はその姿に不似合いな粗末な椅子に腰掛けた。
 
(どうして、いつもこんな目に合うのだ……)
 
 悔しくて、唇を噛んだ。
 理由は良く解かっていた。
 彼が、ケルトレア王国が誇る騎士隊を束ねる騎士長キーファー・ブラヴォド聖騎士爵の一人息子だからだ。彼自身の美貌が付加価値を与えている事も、嫌々ながら理解している。
 耳障りな言葉になっていない苦しむような声がしたので、少年は手元にあった酒瓶を声のした部屋の隅に投げつけると、酒瓶のぶつかる鈍い音がした後、部屋は又静寂に包まれた。
 静まり返った部屋に転がった死体は5体。2体は焼死体で、残りは刺死体。後の2人は半殺しの状態で、部屋の隅に魔法を使って繋いである。皆、少年を襲い、彼に返り討ちにされた悪漢達だった。
 
 学校の帰りに攫われた。
 幼い頃から、襲われたのは数え切れない程。実際にこうして攫われたのも、もう7回目になる。
 襲われた街中で一人殺めたから、その通報を受けて騎士隊が直ぐに動いたはずだと確信している。本当に身の程知らずの馬鹿な奴らだ、そう思いながら、少年は静かに立ち上がった。
 こちらに向かって駆けて来る足音を聞いたからだ。
 気配の数は4、5人。
 待っていた騎士達だろうと思いつつも、彼は先程取り返した愛剣を構えた。
 
 
「キアヌ!!」 
 
 
 扉を蹴り開けて入って来たのが、期待どおりの男であった事にほっとして、名を呼ばれた少年は剣を鞘に収めた。
「怪我は無いか?」
「ありません」
「そうか。・・・良かった」
 心底安心した顔をした緑の瞳の青年に頭を撫でられると、キアヌは最悪だった気分が急に良くなっていくのを感じた。自分と同じように兄弟のいない一人っ子の彼が、昔から自分を弟のように思ってくれているのを知っている。実際、キアヌの祖母は青年の家から嫁いで来たので、彼らは再従兄弟に当たる。
 
「いつもご迷惑をお掛けして、申し訳ありません。ライオネル殿」 
「被害者が謝るなと言っているだろう? 攫われたのは、街を警備する騎士隊の過失でもある」
「いえ、攫われたのは私の不注意です」 
 馬鹿なことをした。
 血塗れた髪が視界に入り、キアヌは悔しさにギリッと歯を噛む。ライオネルは慰めるようにキアヌの頭を無言で撫でてから、部屋を見回して、手際良く騎士達に事件処理の指示を与える。指示を受けた騎士の一人が、キアヌの無事を知らせる為と調査の応援を呼ぶ為に、騎士城に向かった。
 
「尋問の為に二人生かしておいてくれたか。腕を上げたな?」
 魔法で繋がれた悪漢を横目で見てにやりと笑うライオネルに、キアヌは少し得意げな気分になって笑みを返した。
「拘束の魔法が込められた魔石が、非常に役に立ちました」
「ああ、あれは便利だな。私も必ず身に着けている。ほら」
 ライオネルが剣を提げているベルトに留められている魔石を見せると、キアヌは頷いた。
「・・・二人しか生け捕りに出来ずに申し訳ありません」
「いや、十分だ。火魔法の魔石も上手く発動したようだな?」
「はい」 
 キアヌは彼の属性である火と光の魔法が込められた魔石を、常にいくつも身に着けている。ベルトの内側に填め込んであった赤い魔石のうちの一つによって出来たのが、床に転がっている二体の焼死体だ。奪われた魔石の付いた腕輪は先程取り返した。キアヌの魔石は彼の魔力にしか反応しないように作られているので、悪漢達が使おうとしたところで使えないのだが、攫われると必ず腕輪は奪われる。逆を言えば、最初から腕輪は奪われるものとして考えている。腕輪の魔石を奪わせて油断させる作戦なのだ。
 
 ライオネルは残りの騎士達に応援が来るまでの悪漢達の見張りを頼み、キアヌを連れて外に出た。青毛の愛馬にキアヌを乗せ、自分も跨ると、馬を軽く走らせた。
 
 
 
「街に何か用事があったのだろう?」
 キアヌが家に帰る方向と逆方向の街中で襲われて、そのまま連れ攫われたのだから、何か特別な理由があったのだろうと、ライオネルは確信していた。キアヌのいた街は普段彼が居住する貴族階級の地区ではなく、商人が多く住む地区だった。
「・・・いえ、ただの気分転換です」
「そうか」
 話したくない理由があるのだろうと察して、ライオネルは頷いた。
 ここ数日、学校のクラスの女子達が「見た目も味も芸術的」だという菓子を作る菓子屋が出来たという話ばかりしているので、そんなに素晴らしいのなら母に食べさせたいと思ったのだ。菓子屋に行こうとして、まぬけにも攫われたなどと言える訳がない。 
(言えば、察しの良い母上は、誰の為に菓子屋に行こうとしたのか気付かれるだろう。その所為で私が攫われたと、又ご自分を責められる。どうして私はいつも母上を苦しめてばかりなのだろう)  

「気が滅入る事の後には、気分転換が必要だ。よし、今から街に行こう」
「・・・この格好で、ですか?」
「いや、血糊を付けて歩くのはマズイだろう。一旦私の屋敷で着替えよう」
「・・・ネグリタ家で、ですか? ・・・替えの服がありませんが・・・」
「私の昔の服で我慢してくれ」
「しかし・・・」
「ブラヴォド家には、お前が無事だった事を知らせる使いを既に出してあるから、平気だ。さぁ、行くぞ」
 
 
 ネグリタ家で湯を浴びて血を洗い流し、着替えると、キアヌはいつもの美しさを取り戻し、侍女達は大満足だった。支度をして居間に行くと、ライオネルがお茶を飲んで寛いでいた。
「ああ、ぴったりの大きさだな。昔の私よりも似合うのではないか? その服は私が持っていてもしかたがないから、貰ってやってくれ」
 嬉しそうに笑うライオネルに、黒に近い深い紺色の服を着たキアヌは少し照れて頷いた。本当に兄弟のように思えて嬉しかった。キアヌは用意されたお茶を一口飲んで、満足顔のライオネルを見上げた。
「・・・ありがたく頂いておきます」
「キアヌは気分転換にどこに向かっていたのだ?」
「・・・最近出来たという話題の菓子屋に」
「良い案だ。疲れた時は甘いものを食べるのが良いからな」
「はい」
「では、行くか」
 

 
 
 話題の店ということで、菓子屋は彼らの想像以上に混んでいた。菓子屋の主人が、ライオネルを一目見て彼とそっくりの姿だった戦死した彼の父の名を呼び、店内は大騒ぎになった。キアヌの美貌と彼が騎士長の息子だということも更に騒ぎを大きくさせ、「菓子を買う時は使いの者に頼むべき」というのが、二人の本日の教訓になった。沢山の菓子を押し付けられて、代金は要らないと言われたが、無理矢理代金を置いて店を出た。
 気分転換にはなったかもしれないが、それ以上に疲れながら、二人はキアヌの家に帰ってきた。
 
 
「キアヌ!! ・・・ああ、よくぞ、無事で・・・」
 
 屋敷に入ると
、駆け寄って来た茶色がかった金髪の女性にキアヌは抱きしめられた。
「母上・・・ご心配をお掛け致しました。申し訳ありません」
「いいえ、辛い思いをしたのはあなたなのですから、謝る必要はありません。ああ、本当に無事で良かった。愛しています、わたくしの可愛いキアヌ」
「・・・母上・・・・・・」
 愛しそうにキアヌの頬を撫でて額に口付けた後、キアヌの母はライオネルを見上げて手を取った。
「ライオネル殿、何とお礼を申したら良いのか分かりません。ありがとうございます」
「いえ、私は何もしていませんから」
「いいえ、そのような事はありません。あなたがいて下さって、本当に良かった」
 緑がかった茶色の優しい瞳で微笑まれて、ライオネルは眩しそうに目を瞬かせた。
「・・・クレア様・・・・・・あの、キアヌの服は少々汚れていましたので、勝手に家に寄って私の服を押し付けました。二人で気分転換に街に行ったものですから・・・」
「まぁ、そうでしたの。ライオネル殿がお小さい時に着ていらした服をお借りしましたのね?」
 
 優しくキアヌの髪を撫でるクレアを見て、ライオネルは胸が痛んだ。自分がその服を着ていた頃、自分の母はあんな風に愛情を込めて抱きしめたり髪を撫でたりしてはくれなかった。
「私にはもう小さいので、キアヌに着て貰えれば嬉しいです」
「まぁ。こんなに立派なものを・・・。良く似合っていますわ、キアヌ。良かったですわね。ライオネル殿、色々といつもお世話になって、ありがとうございます」
「・・・いいえ、私こそキーファー様とクレア様にお世話になっていますから」
「わたくしもキーファーもあなたを息子のように思っていますわ。キアヌには兄弟がいませんから、いつまでも兄のように仲良くしてくださいませ」
「はい」 
 
 両親のいないライオネルが、昔から自分の両親に憧れのような気持ちを抱いている事を、キアヌは良く知っていた。自分ではなくて、ライオネルが彼らの息子ならば、彼らはもっと幸せだっただろうに、そう思えて悲しくなる。浅ましい嫉妬だと思うが、その気持ちに気付いた時から、いつまで経っても燻っている小さなその嫉妬の炎を消す事が出来ない。
 黒橡色の髪にケルトレア人にしては浅黒い肌の男らしい姿の青年を見上げて、キアヌは複雑な気分になった。憧れを超えた羨望と嫉妬。それは、いつしか胸に溢れる彼への好意を憎しみに変えるのだろうか? そう考えて、自分の考えに恐ろしくなって、目を伏せた。
 
(ライオネル殿の様な容姿だったなら、どんなに良かっただろう……)
 
 
 
 
 
 
自分の容姿が人と少し違うということに気が付いたのは、小学校に入って直のこと。
 
 それまでキアヌが知っていた人間は、家族や親戚や家の使用人と、ブラヴォド家とネグリタ家の他に3家ある聖騎士爵家の者や王家の人々で、皆彼のことを変わった目で見ることは無かった。
 
 学校で新しく出会った人間には決まって奇異の目を向けられて戸惑った。綺麗だとか美人だとかいった言葉を、会う度に言われて戸惑った。
 初めはただ驚き戸惑っていただけだったキアヌも、どれもこれもが一般的に女性に対する褒め言葉だという事と、自分が性的対象として、老若男女問わず卑猥な視線を向けられている事を理解した。
 物心付いた時から剣を握り鍛えられた自己防衛の術と、身に着けた高品質の魔石とで身を守り、襲ってくる人々は皆返り討ちにはしたが、何度も体を目的に襲われた屈辱にキアヌは人を軽蔑するようになった。10歳になる前に、心を許さない事によって自分を守れるという事を身をもって学んだ。
 
 
 
「キアヌ、来週末暇?」
「暇だよな? 暇でなくとも暇を作ろう!」

 小学校3学年の最後の日に、キアヌの唯一の学校で出来た友人であるエクリッセ伯爵家の双子の兄弟が、教室で声を掛けて来た。キアヌは彼らの偏見と裏表の無い性格を気に入っていて、信頼に値すると思っている。
 真面目なキアヌとは正反対な性格の二人だったが、ふざけた性格からは想像できない頭の良さで成績は常に学年で主席を兄弟で争っていた。
 エクリッセ伯爵家は、400年前にケルトレア王国が建国の際に統合したエクリセア王国の王家の末裔で、今でもエクリッセ伯爵領土は特別な扱いを受けているので国の中に別の国があるような感覚である。エクリセア人の特徴である華やかな赤毛と鮮やかな緑の瞳を持つ彼らは、学校内でキアヌと並んで目立っていた。
 
「特に用事は無いが?」
「そうか! じゃあ、我が家に遊びに来ること決定な!」
「別に良いが・・・何か怪しいな、マルス」
 喜ぶ双子の片割れの満面の笑みを見て、キアヌが訝しがると、双子のもう片方に、ぽんっ、と肩を叩かれた。通常は体に触れられるのを極端に嫌うキアヌだが、この双子からは全く下心を感じないので平気だった。
「良い勘だな、キアヌ。やめておいた方が良いぞ? こいつの家はちょっとおかしいからな」
 同じ顔で同じ制服を着ている為、二人を見分けられる人は殆どいない。本人達がそれを面白がってしょっちゅう入れ替わっているのを、二人を見分けられるキアヌは知っていた。 
 大人びていて策士そうな方がワッシャーで、明るくやんちゃそうな方がマルス。しかし、彼らがその「役」の人格を意図的に作っている事をキアヌは最近解かり始めている。ワッシャーでもはしゃいでいればマルスと人々は認識し、マルスでも落ち着いていればワッシャーと周りは認識するのだ。
「・・・お前達は双子だろうが。マルスの家はお前の家でもあるだろう、ワッシャー」
「ばれていたのか!? 何故だ!? 流石だな、キアヌ!」
「お前達は私を馬鹿にしているのか? どこをどう見ても双子だろうが」
 この双子は、冗談を言ったり人をからかうのに生きがいを見出している。標的にされても本気で気分を害さないのは、彼らが何故か自分に多大なる好意と最低限の敬意を常に示しているからだろうと、キアヌは分析している。
「馬鹿にしているだなんて、滅相もない。でも、キアヌ、本当に危険なのだよ、我が家は。というか妹が・・・」
「ああ、よくお前達が話題にしている『世界一可愛い』妹か。危険とはどういうことだ?」
「可愛過ぎるのが危険なんだよ〜〜!! もう、食べちゃいたいくらい可愛いんだよ〜〜〜!!!」
「私には、お前が危険に思えるが?」
 
「マルスが危険で妹が可愛いのは確かなのだが、妹も危険だ。特にキアヌは、妹に会わない方が良いぞ」
 真面目な顔で言うワッシャーにキアヌは眉を寄せた。
「・・・どういう意味だ?」
「危険なわけないさ! 可愛くって可愛くって!! これから俺達、エクリセアに戻って10日程エクリセアで過ごした後、妹と一緒にケルアに戻って来るんだ。妹もこの春から小学校に通う為に、エクリセアからケルアに引っ越してくるんだよ〜〜!! これからはいつでも一緒だよ〜〜!!」
 興奮したマルスはそこまで叫ぶと一息ついて、唖然としているキアヌの両肩をガシッと掴んだ。
「今週末、その引越し祝いをするから、キアヌも参加して欲しいんだよ。美味いものが食べ放題だぜ!エクリセアのご馳走を堪能できるぜ!」
「・・・それは良いが、ワッシャーの言うことが気になるな」
「ワッシャー、お前は心配し過ぎなんだよ」
 怒った顔が、すました同じ顔に詰め寄る。
「思慮深いと言って欲しいね。というか、この場合、友達思いと言うべきだ」
「意味が解からないぞ?」
「とにかく、来週の土曜日、夕方4時頃に家に来てくれよな!!」
 眉を寄せるキアヌを余所に、マルスはそう言い残してワッシャーを引っ張って行ってしまった。
 一人残されたキアヌは、首を傾げてから、エクリッセ家の双子がおかしいのはいつものことか、と深く考えずに家に帰った。
 

 


「キアヌ! 来てくれたんだな!」
 
 言われたとおりにエクリッセ家の屋敷に行くと、キアヌは満面の笑みで駆けて来るマルスに出迎えられた。
 エクリッセ家には何度も訪れた事があるが、その屋敷はキアヌの知るどの屋敷とも似つかない造りをしている。キアヌが良く訪れる聖騎士爵家の屋敷は、典型的なケルトレア様式で5家ともほぼ全く同じ造りをしているので、余計にその違いが珍しく思える。
 曲線を描く天井や窓も、白い壁も物珍しい。エクリッセ家の治める領土はエクリセア王国だった頃の文化を守る事を許されているので、建築様式だけでなく、双子が家の中で着ている服や食器や家具も、キアヌにとっては見慣れない外国の物である。
 直線的で無骨なケルトレア様式と曲線的で優美なエクリセア様式の違いは大きいが、キアヌの住むケルトレアの首都ケルアでもエクリセア様式の装飾品の人気は高い。特にエクリセアの魔石や魔具の加工技術は世界一との評判があり、エクリセア産であることは一級品の代名詞でもある。
 
「・・・キアヌ、私は止めたからな? 私のことは恨むなよ? 恨むならマルスと自分を恨んでくれ」
 マルスに引き連れられて、ホールに入るとワッシャーに哀れむようにそう言われた。その声の下になにやらこの状況を楽しんでいる様子が伺えて、キアヌは眉を寄せた。
「ケイリーおいで。話していたキアヌだよ」
 そう言いながら、マルスが小さな子供の手を引いて来た。 
「はじめまして、キアヌどの。ケイリー・エクリッセと申します」
  双子の兄達よりも更に目を見張る鮮やかな赤毛を持った子供が、行儀よく挨拶して顔を上げた。
 好奇心に溢れたような鮮やかな緑のつぶらな瞳で、じっと顔を見詰められて、キアヌは自然とその少女を可愛いと思った。「可愛い」などという感情が湧くことなど、初めてだった。三年間も双子に「可愛い」「可愛い」と鬱陶しい程に妹の自慢をされていたから、それの刷り込みでだろうか、と分析してキアヌは少し自分が可笑しかった。
 この子供のどこが危険なのだろうか、そう思って自然と笑みを浮かべた。
「はじめまして、ケイリー殿。キアヌ・ブラヴォドです」 
 
 ケイリーは目を見開いて数秒間固まっていた後、がばっと勢い良く後ろを振り向いた。
「マルス兄さま!!」
「ケイリー!! どうだ!?」
 マルスがわくわくした表情で妹の両手を取ると、ケイリーは興奮した顔でぶんぶんと繋いだ両手を上下に振った。
「す、すごいです!!!!! きょうがくです!!!! げいじゅつです!!!! この世のきせきです!!!」
「そうだろ! そうだろ!」
 手を繋いだままダンスをするようにクルクルと回り始めた兄妹を、キアヌは何が起こっているの解からずに呆然と眺めた。
「・・・・・・これは一体、どういう状況なのだ?」
 
「ああ、お声までもが美しい!! ・・・・・・はっ!! 大人になられたら、光の神ルーグさまのようなお姿になられるのでは!? きじょうされたらどんなにかすてきでしょうか!! ぎゃふん!! ああ、むしろお脱ぎになられたら、その肉体全てがお美しいはず!!! ・・・ハァハァ」
 何か得体の知れない変な生き物がいる……そう思いながら、キアヌが助けを求めて、横で笑いを堪えているワッシャーを見た。
「・・・ワッシャー・・・・・・」
「言っただろう? 危険だって」
 為す術もなく、キアヌは黙って頷いた。
 この奇怪な生き物を、一瞬でも「可愛い」などと思ってしまった自分が信じられない。
「素晴らしい引越し祝いだろ、ケイリー? 俺のが一番だろ?」
「はい! マルス兄さま!! さいこうです!! 兄さまが一番です!!」
「聞いたか? ワッシャー!? 俺の勝ちだぜ!! 俺がケイリーの一番好きな兄様だぜ!!」
 その言葉に、今まで勝手に盛り上がる二人を眺めて面白がっていたワッシャーがムッとした顔をした。
「・・・フン。どうせ今日だけだ。明日には私がケイリーの一番好きな兄様になっているさ」
「なんだと〜!」
 くだらない喧嘩を始める妹馬鹿な双子に、キアヌが割って入った。

「ちょっと待て! ・・・引っ越し祝いだと?」
 引きつった顔のキアヌに、悪気もない顔でマルスは頷いた。
「ああ、今日一日、ケイリーに付き合ってやってくれな」
「マルス!! そんな話、聞いていないぞ!!」
「だって、言ってないも〜ん。嬉しくて涙が出そうだろ!? 世界一可愛いケイリーと一緒にいられるなんて、キアヌ、役得だな!」
「・・・悪いな、キアヌ。ケイリーを泣かせないでやってくれ」 
 青ざめるキアヌの肩を、ワッシャーが叩いた。すまなそうな顔を作っているが、コイツは絶対に楽しんでいる、そうキアヌは確信した。

 

「キアヌどのは、あのせいきししゃくのブラヴォド家の方なのですよね?」
「ああ」
「では、きし学校に進学されて、きしになられるのですね?」
「ああ」
 無理矢理に子守を押し付けられて、気のない返事を繰り返すキアヌ。略式の立食パーティーだったので、好きなものを皿に取って適当に長椅子に座った。エクリセア料理が中心なので珍しいものが多く、ケイリーが横で一つ一つ何で出来ていてどんな味がする料理なのか説明をするのが、正直助かった。
 確かに食事は美味しいが、ぴったりついて離れないケイリーの扱いに困る。冷たくあしらってみても、目を合わせないように食事を続けても、めげないでずっと話し掛けてくる。
「・・・すてきです。ますます美しいです!!! きしのせいそうをされたら、さぞや・・・はうっ!!」
「お、おい! どうしたのだ!? 大丈夫か? 鼻血が出ているぞ」
「あ、そんな、アップでっ・・・」
 驚いて鼻血を止めようと懐布を取り出して鼻を押さえてやったのだが、何故か余計に流血を促したようだ。
「おい! ワッシャー! マルス! ケイリーの鼻血をなんとかしろ!」
 対応に困って急いで双子の兄達を呼んだが、二人はさして驚いたそぶりもない。 
「・・・やっぱり鼻血が出たか・・・」
「ケイリー!! 兄様が舐めてやろう!!」
「マルス!! 気持ち悪いことを言うな!!」
 冗談ではなく本当に舐めそうなマルスからケイリーを引き離して、ケイリーを抱きかかえる。
「あん、キアヌどの・・・しげきが強すぎです・・・・・・」
「気持ち悪いわけないだろう? ケイリーの血だぞ? 勿体無いじゃないか!」
「・・・そこまで変態だったのか・・・・・・」
 ケイリーを見ると鼻血を出しすぎた為か、ぐったりしている。
 
「タオルと氷持って来たぞ。大丈夫かい、ケイリー?」
「・・・はい、ワッシャー兄さま。ありがとうございます」
 ワッシャーが慣れた手つきでケイリーの面倒を見ると、キアヌはほっとして長椅子に腰掛けた。
「キアヌ、ケイリーは血の気が多いんだよ。お転婆で生傷も絶えないし、男の子と喧嘩しては泣かして帰ってくるし、興奮しては鼻血を出すし」
 困ったような顔をしている多分ちっとも困ってなどいないワッシャーを見て、キアヌは頷いた。
「・・・変態だしな」
「そんなことはない! ケイリーは世界一可愛いぞ!!」
 マルスが反論すると、キアヌは溜息を吐いた。
「確実に変態だろう。お前達に似て」
「これから大変だな、キアヌ」
 ふふふ、と静かに笑うワッシャーに、キアヌは眉を寄せた。
「どういう意味だ?」
「ケイリーを泣かせたら許さないからな!!」
 マルスが言い放った言葉の意味が解からず、助けを求めてワッシャーを見ると、ぽんっと肩を叩かれた。
「頑張ってくれ」
「・・・・・・は?」

 
 それが、キアヌ・ブラヴォドとケイリー・エクリッセの、幸とも不幸とも取れる出会いだった。

 

 

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