紫の嘘 (4)

 


 小学校を卒業すると、ニールは騎士学校へ、ローレリアは魔術師学校に進学したので、今までのように毎日学校で会うことがなくなった。
 初めから決まっていた進路で、そうなることは分かっていたのだが、ニールはローレリアに毎日会えないという事がどれだけ自分の心を乱すことなのか理解していなかった。
 ここ数年間の夏休みはずっとルジェ子爵領に滞在していたので、小学校に入学して直ぐの頃の夏休みにローレリアに置いて行かれた時の気持ちは、すっかり忘れてしまっていたのだ。
 たった一日会えないだけで、無性に心が乱れた。
 ローレリアが自分の領域にいない事に、妙に不安になる。
 彼女が、自分の知らない人間と親しくしている所を想像すると、無性に苛立ち、堪らなく寂しくなるのだ。
 
(……ローレリアは私のものなのだから、私の目の届く所に置いておかなくては。あんな良い玩具を他の誰にも貸してなどやるものか)
 
 
 学校が始まって二週間もしない内に、ニールは毎朝通学時にローレリアを迎えに行くようになった。
 小学校も騎士学校も魔術師学校も文官学校も、王城の直ぐ側に建てられているので、ニールとローレリアの向かう先は同じではあるが、ニールのオルデス聖騎士爵家の屋敷とローレリアのルジェ子爵家の屋敷は、王城を挟んで反対側に位置している。
 よって、ニールは態々2倍の通学時間を掛ける事になったのだが、ローレリアに会う為ならば、それは全く苦には感じず、寧ろ、ルジェ家に向かう道程は毎朝心が弾んだ。
 
 ニールと共に体の大きくなってきた「草原の馬」の愛馬ナフィも、主人の感情が伝わるのか、ルジェ家の屋敷に行く時はご機嫌で足取りも軽い。
 ローレリアの愛馬である「山馬」のロンは、ニールが予想していたよりも大きく育って、普通の馬より少し小柄なくらいで、一見骨太な普通の馬にも見える。ロンやローレリアの兄達と姉の所有する山馬達は、薄茶色のような灰色の珍しい毛並みと愛嬌のある顔と犬のような人懐こい性格で、意外にも学校で馬鹿にされるよりも珍しがられて人気がある。
 ローレリアの兄達や姉は異性から人気があるので、珍しい「山馬」は会話のきっかけに良く使われて、厩で日常的に人が集まっていた。
 これは、「山馬」を通学に利用するなんて馬鹿にされるだろうと懸念していたニールにとって、驚く誤算だった。
 
 小学校ではニールが目を光らせていたので、ローレリアに男が寄って来ることは無く、兄弟の中で自分だけ異性に人気がないのだとローレリアは誤解をしていたが、近寄ろうとする男達がニールによって端から抹消されていただけだった。
 珍しい「女神の気まぐれ」の目を持ち、お人よしでのんびりしつつもしっかりした性格のローレリアが密かに異性に人気がある事を良く知っているニールは、自分の目の届かない魔術師学校でも虫が寄ってこないようにする為に、魔術師学校にも頻繁に顔を出し、朝はローレリアを魔術師学校の厩まで送り、帰りも出来るだけ厩まで迎えに行った。
 
 
「おはようございます、ローレリアさん! 良いお天気ですね! 今日もタレ目が可愛いですね!」
「おはよう、ニール。今日もこの口は一言余計ね!」
「痛いです、ローレリアさん! ローレリアさんの僕への愛が激しくて痛いです!」
「愛じゃないから!」
「照れちゃって、可愛い!」
「照れているんじゃないから!」
 
 そんなやり取りを繰り返し、夏休みには毎年恒例でニールもローレリア達兄弟と共にルジェ子爵領に滞在した。
 ローレリアと一日中一緒にいられる夏休みが来るのは、とても楽しみだった。
 
 
 
 
 
 夏休みには、お互い学校から課題が出ているが、相変わらずニールはさっさと片付けて、ローレリアを手伝った。
 魔法研究の課題はニールの専門外だったが、資料や材料を集める補助をしてローレリアに喜ばれるのがとても嬉しいので、出来るだけの手伝いをした。
 
 
 研究に使う高山植物を取りに山に入ることも多く、ニールがいれば問題ないだろうと護衛や従者も付けずに、ローレリアとニールは二人でルジェ子爵領のあちこちを探索した。
 立ち入りが禁止されている領域に入らない限りは魔物も出ずに、平和そのもののルジェ子爵領は、二人にとって広い遊び場だった。
 出かける時は大抵、昼食を籠に入れて持って行く。
 ニールが、小川の川辺に広がった柔らかな草の上に持って来た布を広げて籠から沢山具の挟まったパンと、林檎のパイと、柑橘系の果物を取り出し、目の前に流れる清らかで冷たい水をグラスに入れて昼食を用意していると、ローレリアが悪戯そうな笑みを湛えて摘んで来た花をニールに見せた。
「見て、ニール。この花、オルデス紫」
 花びらが幾重にも重なった華やかな紫色の花を両手に包むと、ローレリアは呪文を唱え始めた。
 暫くすると、若草色の柔らかな光がローレリアの体を包み、両手の中の花にゆっくりと移動して、吸収された。
 
「保存の魔法よ。これで、数日間このまま枯れないわ」
 ふふふ、と嬉しそうに笑いながら、ローレリアは紫の花をニールの耳の上に乗せ、サラサラした鈍い金色の髪を整えた。
「うふふ、可愛い! ニールって顔が無駄に綺麗だから、私よりよっぽど花を髪に挿すのが似合うわね!」
 人を欺く為にも、ローレリアを騙す為にも、整った顔は「無駄」ではないのだが、と思いつつ、ニールはにっこりと微笑んだ。
「えへへ。ありがとう」
 男に、しかも次期聖騎士爵に向かって、「可愛い」と言うなど、あまつさえ髪に花を飾るなど、途轍もなく不敬なことだが、ローレリアならば許せる。だが、やはり、「可愛い」ではなく、「格好いい」とか「男らしい」とか褒められたい。ローレリアが自分を未だに男として見ないことには、失望と憤りを覚える。
 
(……断じて、私がローレリアの気持ちを如何こうしたい訳ではない。……ただ、ローレリアが私に惚れない事がおかしいのだ。こんなにも、私が尽くしてやっているのに。……いや、尽くすといっても、勿論、フリだけだが。私が本気で女に尽くす訳がないだろう。……私がローレリアに惚れ貰いたがっているわけではない。別に私はどうでも良いのだが、ローレリアが私を好きにならないのはおかしいだろう。ローレリアは……こんなに長年私と一緒にいるのに、何故、私に惚れないのだ?)
 
 
 花を髪に飾ったまま、ニールはぐるぐる回る思考を押しやり、他愛無い話をしながらローレリアと共に昼食を平らげた。
 課題に必要な植物も手に入ったし、昼食には好物のリンゴのパイも入っていたので、ローレリアはご機嫌で、にこにこしながら小川にで手足を洗う。
 普段見ることの出来ないローレリアの白い脚に見惚れながら、ニールも同じように靴を脱いで冷たい小川に入ると、ローレリアがニールに水をかけた。
「ああ、ローレリアさんの愛が冷たいです!」
「もう! 夏なんだから、川の水が気持ち良いでしょ?」
 そう言って笑いながら、ローレリアは再びニールに水をかける。
「ああ、ローレリアさんの愛が気持ち良いです!」
「・・・なんか、その台詞、変態っぽいわ・・・・・・」
 顔を引き攣らせたローレリアは、川から上がると手足を拭いて昼食の為に広げた布の上に座った。ニールも手足を拭いてローレリアの横に座る。
 
「ローレリアさん、怒っちゃ嫌だよ〜」
「・・・別に怒ってないわよ」
「本当?」
 すかさず、上目使いにローレリアの顔を覗き込む。
 ニールの背丈はローレリアに追いついて、そろそろ追い越しそうなのだが、上目使いの可愛らしい顔にローレリアが弱いことを解っているので態々下から覗き込むのだ。
 勿論、今日は髪にお花を付けているので効果は倍増だという計算もしている。
「か・・・可愛い・・・・・・。本当にお花が似合うわね、ニール。可愛過ぎ! ぎゅ〜ってしちゃお」
 犬や猫を可愛がるように、頭を抱えてグリグリと撫でる。
 こういう扱いを受けるのは初めてではないが、久しぶりだった。
 
(うっ……や、柔らかい……)
 ローレリアの胸に抱かれるのは、物凄く気持ちが良くて、頭がクラクラしてきた。
 2歳年上のローレリアは14歳で、少しずつ女らしい丸みを帯びた体付きになってきていて、どこもかしこもが柔らかくて、甘い香りがする。以前胸に抱きかかえられた時は、これほど柔らかくなかったので、どうやら、益々女性らしく胸が膨らんできているようだ。
(ローレリアの体は……なんて、気持ちが良いのだろう。とろけるように柔らかい)
 胸の鼓動が高鳴り、体中が熱くなるのを実感する。
 
 
 男の比率がとても高い騎士学校に入り、思春期の男子の一番の関心である猥談が増えた中で、ニールがローレリアの体に興味を持ったのは当然の事だった。
 ぴっちり隠された服の下はどうなっているのだろうか。
 ローレリアの体を全て見てみたい。
 話に聞くように、大切な所に触ったら、ローレリアも気持ち良くて我慢出来ずに喘ぐのだろうか?
 ローレリアがそんなことをするなんて信じられないが、想像すると、酷く興奮して、自然と下半身の一点に熱く血が集まるようになり、先日はローレリアが服を脱いでいる夢を見て目覚め、夢精と呼ばれる現象を起こしている事に気が付いた。
(生理現象で自然なことらしいし、一番身近な女だからな、ローレリアは。一般的にも、男は女を抱きたい生き物なのだろう。別に、ローレリアでなくとも……)
  
 そんなことを言い訳のように考えていると、ムクムクと下半身が興奮して反応を始めたことに気が付いた。
 このまま密着していてはローレリアにバレてしまうと焦り、ニールはさっと腰を引いて、火照るそこを隠すように横向きに寝そべった。
「僕、眠くなっちゃいました」
 目を閉じて言うニールの顔を覗き込み、ローレリアはくすくすと笑った。
「ニールって、お昼寝の時間になると直ぐに眠くなっちゃうのよね〜。お腹一杯になって、だっこしたら眠っちゃうなんて、赤ちゃんみたい。か〜わいい。・・・私も、なんだか眠くなってきちゃった。一眠りしようっと・・・」
 眠った振りをしたニールの頭を優しく撫でて、ローレリアも隣に横になる。
 
(……だから、それは男に言う言葉ではないだろう、ローレリア?)
 
 
 
 
 ローレリアは昼寝でも深い眠りにつく体質で、一度眠ると一時ほどは目を覚まさない事を、ニールは知っていた。大声で起こすか、体を強く何度も揺するか叩くか、水でも浴びせなければ、一定時間が経過するまで起きることはないという、眠りの浅いニールには考えられない大変暢気な体質をしているのだ。
 
 平和そうにすやすやと眠るローレリアの、ほんのりと桃色に染まった頬を、ニールはそっと撫でた。
 柔らかな肌に滑らせた指から伝わる感触が体中に巡り、ゾクゾクする。
 ふっくらとした薔薇色の唇を親指で押すと、ぷにゅっと形を変えた。そのまま、そっと下唇を親指で軽く下に押し下げ薄く開いた唇に指を入れると、唇の内側のぬめりとした感触に、ニールは驚いて咄嗟に指を離した。
 ごくり、と喉を鳴らし、ドキドキと高鳴る自分の胸の鼓動を痛いくらい聞きながら、ニールは震える唇を、そうっと、ローレリアの可愛らしく自分を求めているような小さな唇に重ねた。
(柔らかい……)
 今まで経験したことのないその感触に、ニールは驚いて目を見張った。
 指で触ったのとは全く違う、とろけて消えてしまいそうな柔らかさに、夢中になって何度も唇を押し付け、そろりと舌でなぞった。
 林檎パイの香りと味にふと我に返り、息も荒く興奮している自分と、何も知らずに暢気に眠っているローレリアの感情の違いに可笑しくなって、思わず小さく笑い声を上げる。
 
 相変わらず、ローレリアがぐっすり眠っているのを確認すると、静かに、長いスカートの裾を捲った。
 先程、ローレリアが小川に入る為に裾を持ち上げた時に見えた白い脚が目の前に晒されるのを見て、ニールは背徳心と緊張にドキドキしながら、細い足首に、そっと手を触れた。
 水に浸かっていたのでひんやりとしている。滑らかな足の甲を撫で、足の指の小ささが可愛く思えて、思わず口付けた。
 ゆっくりと、手を上の方に滑らせると、膝上は水に浸かっていなかったので暖かく、その滑らかさと、もちもちした弾力性に、驚いて目を見開く。
 こんなに触り心地の良いものに触れたのは、生まれて初めての事だと思った。
 興奮して体が熱くなるのを感じながら、手に吸い付くようにしっとりとした柔らかな太股を両手で何度も揉んで撫でて、その稀有な感触に夢中になった。頬を寄せて滑らかさを楽しみ、自分でも訳が解からない程に興奮しながら、一心不乱に唇を押し付けた。
 
 
「・・・う・・・ん・・・・・・」
 
 無意識の内に肌を強く吸ってしまったからか、ローレリアが寝ぼけた声を上げ、ニールは慌ててスカートを調えて、立ち上がった。
 心臓が爆発しそうな程焦りながら一瞬の内に色々言い訳を考えたが、ローレリアは寝返りを打って横向きになっただけで、ニールはほっと胸を撫で下ろした。
 ニールは焦った息を整え、横向きに寝ているローレリアと向かい合うように横になり、頬に額に鼻先に優しく口付けを落とすと、少し体を下にずらして、ローレリアの胸に顔を埋めて抱きしめた。
 ルジェ子爵領の文化的習慣で、肌を出来るだけ露出しない服を常に着ているローレリアの、隠されている胸は意外と大きくて、これからも育ちそうだと思うと、ニールはルジェ子爵領の習慣に深く感謝した。
 
 首都ケルアでは、貴族女性は美しさを誇示すべく胸元や背中の開いた服を着用するのが主流で、髪はうなじを見せるために纏めて上げるか、手入れされた長さと美しさを見せるために下ろしているものだが、ローレリアは、お洒落を楽しむ女性達に「田舎者」と馬鹿にされても、故郷の習慣を貫いていた。
 ローレリアのそんな意志の強さも、慎み深さも、ニールには好ましく思えて、誇らしくさえ思えた。
 とても魅力的な曲線を持ち触り心地の素晴らしかった脚も、胸元や背中も、他の男には絶対に見せたくはない。その素晴らしさを自分だけが知っているのだと思うと、胸の奥がゾクゾクするような堪らない満足感で満たされる。
 
 
 一体、この感情は何なのだろうか?
 ローレリアといると、一緒にいるだけで堪らなく嬉しいのだ。
 何故、こんな風に感じるのだろう?
 たった一人の女に、どうして、こうも心が掻き乱されるのだろうか?
 嬉しくて楽しく感じるのに、時折、まるでローレリアを憎らしく思っているかのように憤りを感じ、堪らなく苛々して不安になって、寂しくて泣きたい気持ちになるのだ。
 何故、こんなにも……胸が苦しくて、訳が解らない気持ちになるのだろうか?
 
 一緒にいても、寂しくて、苦しく、渇きが満たされない。
 ローレリアが、もっと欲しい。
 もっと、近くに感じたい。
 ローレリアの全てを手に入れたい。
 自分だけを見て欲しい。
 ずっと、死ぬまで、一生、側にいて欲しい。
 
 
(一体、私は何を考えているのだ。
……ローレリアを、妻にでもする気か?
田舎の子爵家の娘を?
無理だろう。
引く手数多の「女神のきまぐれ」では、愛人にすることさえ出来ない。
そもそも、ローレリアは、どこか田舎の領主の妻になりたいと……
 
そんなこと……許せない。
誰か他の男が、ローレリアを……
嫌だ。駄目だ。
そんなこと、絶対に許せない。
ローレリアは私のものだ。
邪魔する者は、全て消してでも……)
 
 
 暗く湛えた感情が溢れ出し、その渦に身を絡め取られ、引きずり込まれて行く。
 溺れる。
 誰かが言ったではないか。
 それは「溺れる」ものなのだと。
 
 
(ああ、まさか……これが「恋」なのか。
冗談は止めてくれ。
まさか、こんな醜い感情が……
こんな感情が、「愛」だというのか?)
 
 
 引き摺るようにゆっくりと体を起こすと、ぽろりと一粒、目から涙が落ちた。
 ローレリアの柔らかな頬に落ちた複雑な感情が込められた小さな水滴を、ニールはそっと指で拭った。
 一つ、また一つと、ぽろぽろと雨のように落ちてはローレリアの頬を濡らす水滴に、ニールは恐れ慄くように立ち上がり、小川の水を両手で掬くって顔を洗った。
 
 
(ああ、そうなのだ。
……私は、もうずっと以前から、ローレリアを愛しているのだ。
きっと……初めて出会った時に、恋に落ちていた……)
 
 
 揺れる水面に映った見慣れたはずの顔は情けなく歪み、まるで見たこともない他人の顔のように思えた。
 
 本当は、分かっていたのだ。
 けれども、それを認めたくなかった。
 聖騎士爵家の跡取りが、田舎の子爵家の娘に恋をするなど、許されることではないのだから。

 

 

 

 

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