紫の嘘 (3)

 


「・・・ローレリアさん! ・・・あなたも1年生ですか?」
  
 
 入学式の日、一ヶ月程の間夢にまで出てきた姿を見付けると、ニールは驚きつつも歓喜してローレリアに駆け寄った。ローレリアも、はっと驚いた顔をした後に、慌てて頷いた。
「・・・・・・はい、私は魔力の制御訓練の為に入学が遅れました」
 
 
 爵位のある貴族の子供達、つまり地方領主の子供達は、健康に支障がない限り、首都ケルアの学校に通うことが強制される。
 これは次期地方領主達が中央政権に敵対する教育を受けるのを防止する為であり、又、子供達を首都に住ませる事は地方領主から人質を取っている働きもある。
 ニール達聖騎士爵家は本家がケルアにあるので親元から学校に通うが、他の領主の子供達はケルアにある別宅に住んで学校に通うことになる。休みの日には王城から地方領城に繋がっている「扉」を使い親元に帰ることが許されているこの生活は、小学校の6年間と、その先の上級学校の6年間の12年間続くことになる。上級学校は、「騎士学校」「魔術師学校」「文官学校」の3つの内の一つを選び進学する。
 この小学校と3つの上級学校は、高い入学金と学費を払いさえすれば一般人でも通うことが出来るので、ケルトレア全土から豪商の子女も多く通っている。爵位持ちの貴族の数は限られているので、生徒の多くは、豪商の子女や、爵位の無い裕福な地方貴族の子供達である。

 
 魔力の強い子供は、魔力の暴走で周りに危険を及ぼす可能性から、魔力を制御出来るようになるまでは、首都ケルアの学校には通えない事になっているので、学校に1、2年遅れで入学することは珍しいことではない。
 特にローレリアは、両親の遺伝の組み合わせが奇跡的に良いことから生まれる「女神の気まぐれ」なので、本来所有する筈の魔力よりも数段上の魔力を得ている為、体を鍛える事も必要だったのだろうと、ニールは容易に想像出来た。
 
 上手く魔法を使う為には、「魔力」「知識」「肉体」「魔法制御能力」の4つが必要である。
 魔力が強い者は魔力の強い子供を成す事が出来るが、優秀な魔術師になれると決まった訳ではない。勿論、知識が無くては魔術師にはなれないが、知識と魔力だけで偉大な魔術師になれる訳でもなく、魔法を使う時に発動される魔力に耐える丈夫な肉体が必要になる。魔力によって体を壊してしまう事は良くある事で、特に女性は子供を産む事によって、魔力と肉体の均整を崩してしまうことが多く、魔力はとても高いが魔術師としては平凡という高位貴族女性が大変多い。
 優秀な魔術師になれるかどうかの一番の鍵は「魔法制御能力」である。
 これは、自分の内側にある魔力を操る力であると共に、自分の外側、つまり自然界に存在する魔力を内側に引き込み使うことの出来る能力である。
 この能力が高くそこそこの魔力がある者の方が、魔力が誰よりも高くこの能力が不十分な者よりも、優秀な魔術師になる。
  
 
 ニールは、ローレリアの自分に対する先日とは全く違う態度に驚いて、しげしげとその顔を眺めた。ローレリアは、視線を受けて、気まずそうに頭を下げて目を伏せる。
 何故だか解らないが、ズキリと胸の奥が痛んだ。
 ローレリアの態度は、ニールが周りから受ける通常の態度であり、先日のローレリアの態度は大変無礼だと思った筈なのに、心臓を掴まれたかのように胸の奥がぎゅっとなった。
 ニールは平気な振りをして、おどけたように明るく言ってみる。
「この前とは、随分態度が違うんですね?」
「・・・先日は、オルデス聖騎士爵家の嫡男であらせられるニール様に、大変なご無礼を致しました。どうぞ、お許しください」
 頭を下げたままで真面目な口調でそう言ったローレリアの言葉に、益々胸が潰されるように痛んだ。
 謝る姿が見たかったのではない。
 この間のように、タレ目で怒った顔が見たかったのだ。
 
「止めて、ローレリアさん。・・・そんな風に改まらないで。・・・僕は・・・・・・この間みたいに話してくれた方が・・・」
「いえ、私とニール様とでは、身分が違います。・・・私には、極力お声を掛けないでいただければ・・・」
 困った表情で顔を少し上げて小さな声で言うローレリアに、ニールは無性に苛立ちを覚えた。
 視線を感じて辺りを見回すと、何事かと訝しげに、多くの視線が二人に集まっていた。
 ニールの特殊な身分と整った容姿は、目立つのが当たり前で、同学年の生徒達にさえも一線を引かれてしまう立場だ。そんなことは、初めから承知していたが、ローレリアが自分よりも周りの人間を気に掛けている事が許せなかった。
「・・・じゃあ、命令です」
「え?」
 二人の周りにいる同級生達がコソコソと囁き合い、益々二人に注目している視線を感じて、ローレリアは困った顔でぎゅっと眉を寄せた。
 
 目立ちたくない。頼むから放って置いてくれ。
 ローレリアの全身が、そう訴えているのを承知しながら、ニールはそれを無視して、両手でローレリアの頬を包み、顔を自分に向けさせる。
 相変わらずの左右色違いの青と緑のタレ目と目が合って、満足感が胸に広がるのを感じた。触れている両手がじわじわと熱くなる。
 驚いて見開かれたタレ目が無性に可愛く思えて、ニールは我慢出来ずに、その下がった目尻にそっと唇を寄せた。
 教室中から、騒めきの声が上がった。
 これで、ローレリアの名は噂の話題として知れ渡る事だろう。
 そう確信しながら、ニールは笑いが込み上げるのを我慢する。
 
 左右両方の目尻に口付けされたローレリアは、小さく悲鳴を上げた後、頬を真っ赤に染めた。
「な、な、何を・・・」
「ローレリアさんは、僕のことを呼び捨てにして、敬語は一切使わないこと!」
「そんな・・・やめてください!」
「駄目だよ。敬語使ったら絶対に許さないからね? 僕のことも呼び捨てにしなきゃ、絶対に駄目だからね」
 周りを見回して、ニールはにっこりと笑って声高らかに言った。
「皆も、僕のローレリアさんに意地悪したら許さないからね!」
(お前は私のものだ。……私だけの、玩具だ)
 あまりの衝撃で固まっているローレリアに、ニールは嬉しそうに抱き付いた。
 楽しくて堪らない。
 こんなに興奮したのは、生まれて初めてだった。
 ローレリアといると、いつも「初めて」のことばかりだ。
 胸に広がる満足感に、ニールは満足げに微笑む。
 
 
 暫くニールの腕の中で固まっていたローレリアだったが、意を決して、ぐいっとニールを突き放した。
「ちょっと、あなた、迷惑よ!!」
 ローレリアの怒った声に、教室中が再び騒めいた。
 しまった、という顔をしてから、ローレリアは小声でニールに言った。
「あなたのことは嫌いじゃないけれど、自ら噂のネタを作りたくはないのよ。それでなくても、目立つでしょ、この目?」
「はい、でも『女神の気まぐれ』は女神に愛されし幸運の証。とても綺麗です」
 それよりも自分はタレ目の方が気になるのだが、とは言わずに、ニールはにこにこしてローレリアの目を見つめる。
「綺麗? ・・・気味が悪いと思わないの?」
「まさか! 恐れ多い!」
 ケルトレア王国では「女神の気まぐれ」はその名のとおり、女神ダヌダクアが気まぐれで男女を引き合わせて与えるものだと信じられ、神聖視されている。
 特に熱心なダヌダクア信者ではないニールは、正直言うと「恐れ多い」とまでは思わないが、神秘的な現象であるとは思っているし、「女神の気まぐれ」の世間での評価は十分に把握しているので、ローレリアが「気味が悪い」という言葉を使ったのを少し不思議に思った。
 
「・・・兎に角、これ以上目立ちたくないの。あなたとは身分が違うし、唆しているなんて噂が立っては大変なんだから!」
「唆すだなんて!」
 嫌そうに言うローレリアに、ニールは眉を寄せた。
 確かに、その噂は簡単に立ちそうではある。
 「女神の気まぐれ」で異性を魅了する、というのはありがちな話だ。実際、ローレリアの兄達や姉は異性に大変人気があるらしい。
 ローレリアがニールに対する態度を改めたのは、余計な問題を抱えぬよう彼らが助言をしたからなのだろう、と想像出来た。
 
「ケルアに住んでいる人達って、そういう噂ばっかりするんだもの。・・・あなたは一生ケルア暮らしでしょ? 大変よねぇ」
 少し哀れむように言って、ローレリアは肩をすくめた。
「・・・ローレリアさんはケルアで魔術師部隊に入るのではないの?」
 ニールは驚いて目を見開いた。
「私は『女神の気まぐれ』で兄弟に恵まれているから。一番上の兄が領土を継いで、私と姉はどこかに嫁いで、二番目の兄がケルアで王城務めになるでしょうね」
「どこかに、嫁ぐ、ですか・・・」
 当然という顔で言うローレリアに、ニールは又胸が締め付けられた。
 ローレリアの魔力の高さは際立っているし、魔術師になるのが似合うような気がして、当然魔術師としてケルアで勤めるのだと勝手に思ってしまっていた。
 
「田舎の領主の跡継ぎが良いわね。『女神の気まぐれ』のお陰で、きっと何人かの候補者から好きな人を選べると思うのよね。だから、あなたと変な噂が立ったら、あなただけじゃなくて私にも悪影響なのよ! お嫁に行けなくなったら困るじゃないの!」
 困ったような怒ったような呆れたような顔をして言うローレリアに、ニールは頭の中が混乱して訳がわからなくなりながらも、とりあえず、本能のままにローレリアにもう一度抱き付いた。
「心配ありませんよ。僕が貰ってあげるからね!」
 周囲にも聞かせようと大きな声で言うニールに、ローレリアは慌てて叫んだ。
「馬鹿なこと言わないでよ!」
 自分の大声にはっとして顔を真っ赤にしながら、ローレリアはニールを突き放し小声で言う。
「そういう冗談は、迷惑なんだってば!」
「照れちゃって可愛い、ローレリアさん」
「照れてるんじゃないってば!」
 ローレリアの主張を無視して、ふふふ、と可愛く笑うニールに、ローレリアは脱力する。
「・・・はぁ。・・・・・・まぁ、でも、あなたのお遊びを気にしない位に骨のある男の方が良いか・・・・・・って、そんな良い男が私なんかに求婚してくれるのかな・・・・・・う〜ん、やっぱり、色々問題が出てきそうな気がするから、私で遊ぶのは勘弁していただけませんか・・・・・・?」
 
 疲れたように言うローレリアの両手を取って、ニールはにっこり笑った。
「敬語は駄目だよ? うちと仲良くしておくに超したことはないよ、ローレリアさん」
「・・・それは、まぁ、そうだけど・・・・・・」
 引き攣った顔をするローレリアに、ニールは可愛らしく小首を傾げる。
「ラゴルジェ織のお得意様だし?」
「・・・確かに、それは、そうだけど・・・・・・」
「全然、問題ないですよ!」
 自信満々に言うニールに、ローレリアは頭を捻る。
「・・・そ、そうかな?」
「そうそう!」
「・・・う〜ん・・・でも、やっぱり・・・・・・」
「・・・・・・僕、寂しいんです」
 困った顔をするローレリアを見つめながら、ニールは綺麗な瞳を潤ませた。
「え?」
 予想外のニールの言動に驚くローレリアに、ニールは縋りつく。
 
「皆、僕の身分を気にして仲良くしてくれないでしょう? ローレリアさんが普通に話してくれて、凄く嬉しかったんです」
「・・・・・・そうなの・・・?」
 綺麗な顔に見上げられて、ローレリアは少しドキドキしながら、ニールの特殊な境遇が可哀想に思えてきた。
「はい。・・・・・・僕、ローレリアさんと仲良くなりたいんです。・・・僕、駄目な子だから家でも爪弾きだし、聖騎士爵家の跡取りだから学校でも皆一線を引いているし、寂しいんです・・・」
「・・・・・・可哀想・・・」
「ローレリアさん・・・」
 ここぞとばかりに、ニールはぎゅっとローレリアに抱きつく。
 ローレリアは暖かくて柔らかくて、甘い焼き菓子のような良い匂いがする。
 なんだかうっとりとした気分になってきた所で、ローレリアはガバッとニールの体を引き剥がして、パシパシと肩を叩いた。
「解ったわ! 私が仲良くしてあげるわ! うちに遊びにいらっしゃいよ! 私の兄さん達も姉さんも皆仲良くしてくれるわ」
「本当ですか? ・・・嬉しいな!」
 豪快に肩を叩かれながら、ニールはローレリアの満面の笑みに微笑み返した。
 
(本当に、お前はお人よしだな、ローレリア。そうやって、直ぐに騙されるのだから) 
 
 
 
 
 
 予想どおり、噂は直ぐに広まった。
 
「おい、聞いたかよ、オルデス家の跡取りの暴走」
「ああ、恋人宣言ってヤツ?」
「オルデス家の跡取りがちょっとネジ抜けてるって噂、本当だったんだな」
「『女神の気まぐれ』のルジェ家の末娘、振り回されて可愛そうだよな」
 
 偶然、愛馬のナフィに乗って散歩に来ていた「王家の森」でその会話を耳にしたニールは、そっと隠れて様子を伺った。会話をしているのは5、6人のニールより4歳から6歳は年上に見える少年達で、見覚えがある高位貴族の子息達だった。
 
(上級生まで噂が広まったか。「ネジが抜けてる」という評価は中々良いな。精々、騙されてもっと噂を広めてくれ)
 
「見に行ったか? 結構可愛いよな」
「見に行った、見に行った。特に美人ではないが、何故か可愛いんだよな」
「雰囲気が可愛い。抱きしめたくなる」
「わかる、わかる!」
「やはり『女神の気まぐれ』は良いな。しかも青と緑だろう? じっと見つめたくなる」
 
 そっと立ち去ろうとした時に耳に入った言葉の数々に、ニールは静かにナフィから降りた。
 
 
「長女のリネット殿も良いよな? 中々の美人だが気さくで明るくて可愛い」
「子爵家ではなくて、せめて伯爵家なら、婚約したいくらいだ。『女神の気まぐれ』だしな」
「悪くないな」
「リネット嬢の綺麗な顔も勿論良いけれど、ローレリアちゃんの顔は将来色っぽくなりそうだよな」
「そういう意味でも、将来有望だろ」
「タレ目がえろい」
「外では清純なのに閨では激しいってヤツか?」
 
 ローレリアが好き放題に言われている事に、ニールはカッと体中が熱くなった。
 怒りに震える指先で剣の柄をなぞると、目の前の藪を一振りで切り裂いた。
 突然現れたニールに、貴族の子息達は慌てふためいて青ざめる。
 
「ねぇ、君達、ローレリアさんが僕のものだと知っていて、そんな話をしているの?」
 ニールはにっこりと微笑んだ。
 その「ネジの抜けた」何歳も年下だが自分達よりも身分の高い少年騎士のいつもどおりの可愛らしい微笑が却って不気味で、貴族の子息達は何も言えずに青い顔のまま身を固まらせる。
 
 全員を見回して、中心人物らしい少年を見極めると、ニールは少年達には目にも留まらぬ速さで、剣を振るった。
「ひぃっ・・・!」
 ぱらり、とその少年の肩に掛かっていた髪が切り落とされ、磨き上げられた剣先を向けられた少年は恐ろしさにガクガクと震えた。
「次は耳を切り落とすよ?」
 にっこり笑ってそう言いながら剣を鞘に収めると、少年達に恐怖を植え付けて、ニールは踵を返してナフィに跨った。
 
(……少々、やり過ぎたか。「ネジが抜けた」という評価が覆されないと良いが。……まぁ、「間抜けだがキレると恐ろしい」という意味で「ネジが抜けた」という評価になれば完璧だな。あまり舐められても困るからな)
 
 ニールは興奮を宥めながら、ナフィの足をルジェ家に向けて速める。
 
(……ああいった類の話は男が集まれば決まってするものだろうし、ローレリア以外の女子達も同じように話題にされてることだろうし、私もまぁ、同じような話をするようになるのだろうが……やはり、ローレリアを話題にするのは許せない。……ローレリアは私のものなのだから、他の男がローレリアのことを考えるなど許されないことだ)
 
 無性に、ローレリアに会いたくなった。
 学校で毎日会っても、まだ足りない。
 自分が一緒にいない時に、ローレリアが何処で誰と何をしているのかが気になる。
 
 先週の休みにルジェ家に招かれて、ローレリアの兄二人と姉を紹介されたニールは、いつでも遊びに来て良いと言われた。
 しかし、全員が青と緑の「女神の気まぐれ」の目を持ち大変仲の良い四人兄弟が揃うと、流石のニールも彼らの中に入るのに少々気後れしてしまっていた。今日も、家を出た後にルジェ家に行くか行くまいか迷って、結局一人で「王家の森」に気晴らしに来たのだ。
 ローレリアを噂する少年達の会話を耳にして、急にローレリアに会いたくて堪らなくて不安になった。
 
(これではまるで、私がローレリアに振り回されているようではないか。……いや、私が、振り回しているのだ。ローレリアは、私の玩具なのだから)
 
 
 
 
 
 ローレリアと一緒にいられる学校生活は、毎日が楽しかった。
 学校が休みの日は、ローレリアが「扉」を使って故郷のルジェ子爵家に帰ってしまっていることも多かったが、ケルアにいる時は必ずルジェ子爵家の屋敷に入り浸った。その場合は、ローレリアの学校の課題が終わらなくて泣く泣くケルアに残っている事が常だった。
 ローレリアは真面目なので、課題を最初から最後まで手を抜かずに全て完璧に仕上げないと気が済まないのだが作業があまり速くないので、課題を仕上げるのに人より時間が掛かるのだ。ニールは自分の課題はさっさと片して、株を上げる為にもローレリアを喜んで手伝った。
 成績が良いとローレリアが尊敬の眼差しを向けてくれるので、ニールは学年で一番の成績を保つようにしていた。
 
 ローレリアは、ニールが自分に付き纏うことに諦めて慣れてきたようだったが、夏休みになると、ニールのことなど全くお構いなしに嬉々として領土に帰ってしまった。
 夏休みの間、ニールはローレリアに毎日会えることを自分がどれだけ楽しみにしていたのか悟らされた。
 
 次の年、夏休みが近づくにつれて、又ローレリアに会えない日々が続くのかと思うと、ニールは堪らなく苛々して悲しい気分になった。
 ローレリア達兄弟と一緒に、夏休みの間ルジェ子爵領に滞在したいと両親に願い出たが、話にならないと却下された。
 夏休み中、大変機嫌が悪く今まで以上に聖騎士爵家の跡取りに相応しくない言動をしてみせた息子に閉口したニールの両親は、その次の年に、ニールが再びルジェ子爵領に滞在したいと言うと、その申し出を渋々ながら許可した。
 
 その頃には、ニールがローレリアに執着していることは、貴族社会では誰もが知っている常識になっていて、子爵家出身のローレリアはオルデス聖騎士爵家の跡取りには相応しくないと、分家からのニールへの風当たりは益々強くなった。
 ニールの両親は、大人になる頃には冷めているだろうし、逆に、ずっと一緒にいれば飽きるだろうから、と、二人の仲を咎めないでいようという方針を取っていた。
 ニールは、ローレリアの側で「間抜けな男」の演技に磨きを掛ける毎日に、大変満足していた。
 
 
 
 
 
 首都ケルアで生まれ育ったニールが初めて滞在した田舎は、驚きに溢れていた。
 
 山間のルジェ子爵領の夏は、首都ケルアよりもずっと涼しくて過ごし易い気候だった。
 領地は平和そのもので、物理的にはケルアに比べて豊かではないが、領民は皆仲良くのんびりと幸せそうな暮らしをしていた。
 ここで生まれ育てば、ローレリアのような性格になるのだろう、と妙に納得出来て可笑しかった。
 ローレリアの父であるルジェ子爵は、ローレリアに輪を掛けたお人よしで騙され易くのんびりした性格で、趣味は貴族とは思えない野良仕事で、子爵らしからぬ人物であったが、領民達は彼を大変慕い敬っていた。
 徒歩で領地を見回り、いつもにこにこ笑って領民に声を掛けて気さくにしつつも、馬鹿にされずに尊敬を集めているローレリアの父親は、ニールの演じる「間抜けな男」の理想にぴったりで、とても
役作りの参考になった。
 娘は父親に似た男を選ぶとも聞くので、きっとローレリアは自分の演じている間抜けな男が好みに違いないと嬉しく思ったが、ローレリアの好みに合う事を喜んでいる事に気が付いて、又振り回されているように感じて腹立たしくもなった。
 
 
 ルジェ子爵領滞在初日の夕食で最後に出てきたのは、「ロロ鳥の丸焼き」だった。
 鶏の三倍の大きさのロロ鳥は、ルジェ子爵領で好まれ食される家畜で、祝い事や祭りの時には欠かせない。ケルアではロロ鳥はあまり流通していないので、ニールはロロ鳥を見たことも食べたことも無かった。何よりも、「丸焼き」などという野蛮な料理を目の前にしたのは初めての事だった。
 ドンッと食卓の真ん中に置かれた、香ばしい色に焼かれたロロ鳥は、皆で切り分けて食べるものらしく、ローレリア達は久しぶりの郷土料理に大喜びだ。
(……戦場ならばいざ知れず、こんなもの、食せるわけがないだろう。ここは、間抜けな男らしく……)
 バタリ。
 ニールは失神したフリをした。
 
「うわ! ニール君、何、急に眠ってんだ!?」
 ルジェ家の長男ランディスが驚いて声を上げながらも、ロロ鳥を口に入れる。
「久々のロロ鳥、美味い〜」
 ローレリアとそっくりのタレ目で基本的に暢気な性格のランディスは、ニールが突然の睡魔に襲われたと思ったらしく、全く心配していない。
「ちょ、ちょっと、ニール、大丈夫!?」
 驚いて駆け寄ったのはローレリア。ニールの頬をぺしぺしと軽く叩く。
 「あなたの愛が痛いです、ローレリアさん!」と抱き付きたいのを我慢して、ニールは失神したフリを続ける。失神の演技は、姉と一緒に長年訓練を続けてきたので、お手の物だ。
「気を失ってしまったようですわね。大方、初めて見たロロ鳥の丸焼きに驚かれたのでしょう。わたくしにも覚えがありますから」
 くすくすと笑い、ニールの頭を優しく撫でたのは、ローレリア達の母リリア。涼しげな切れ長の目を持つ美人で、ローレリアとはあまり似ていない。
「そういえば、リリアも初めてロロ鳥の丸焼きを見た時に失神したなぁ」
 のんびりと懐かしげに言ったのは、ルジェ子爵。そのタレ目でお人よしそうな顔を見れば、ローレリアは明らかに父親似であることが分かる。
「ふ〜ん、そんなに驚くものなのですか。やはり所変われば常識も変わるのだろうな」
 冷静に言うのは、母親似の美形な次男のレミュエル。
「ニール君は、箱入りのお坊ちゃまだものね」
 母親とそっくりの美人な長女のリネットも、頷きながら言った。
 
(……毒とか、少しも心配しないのだな……)
 失神したフリを続けながら、ルジェ家の会話を聞いて、ニールは彼らののんびり加減を改めて実感した。これが自分の家だったら、誰もが真っ先に毒殺を考えただろうに。
 
 
 
「気が付いた? もう、男の癖に情けないわねぇ」
 寝室で暫く失神のフリを続けた後に目を開けると、ローレリアが寝台の横に椅子を持って来て座っていた。
 ローレリアが自分を心配して側に付いていてくれたことに、胸の奥が暖かくなる。
 体を起こして寝台の中で座ったニールに、ローレリアは水の入ったグラスを渡す。
「ありがとうございます」
 水を飲むニールを満足げに見て、ローレリアは小皿を運んできた。
「ロロ鳥、美味しいのよ」
 皿の上には、切り分けられたロロ鳥が乗っている。
(ローレリア……飽くまでも私にソレを食べさせたいのか)
 少々引き攣った微笑を浮かべるニールに、ローレリアはにっこりと微笑む。
「あ〜ん」
 フォークに刺したロロ鳥を口の前に持って来られてそう言われると、思わず口を開けてしまった。
 こんな風に人に食べさせてもらったことなど記憶に無いので、少し驚き戸惑いつつも、何やら恥ずかしいような嬉しいような気分になる。
 
(美味い……)
 ロロ鳥の丸焼きは、想像と全く違い大変美味だった。
(……ただ香草と一緒に焼いただけの、料理といえないような原始的な代物なのに、何故こんなに美味いのだ?)
 ニールは驚いて目を丸くした。
「とっても美味しいです、ローレリアさん」
 ニールの反応に、ローレリアは、ぱぁっと顔を輝かせる。
「そうでしょう!? ロロ鳥は、ケルアじゃ食べないから手に入らないんですってね。美味しいのに〜」
 この上ない位に嬉しそうな顔をしたローレリアを、ニールはじっと見つめた。
(……ローレリアは、感情の起伏が激しくて、直ぐに怒ったり笑ったりする。何がそんなに嬉しいのだ? 私が領地の生産物を褒めたからか? お前はとても不思議で、未だに不可解だ)
 
 不可解といえば、ルジェ家の食事は、ニールにとって本当に不可解だった。
 ロロ鳥の丸焼きだけでなく、今夜食べた全ての料理も、今まで首都ケルアのルジェ家の屋敷で食べた全ての料理も、とても奇妙だった。
 何が奇妙かというと、ルジェ家の料理はどれもこれも、オルデス家の豪華で盛り付けも芸術的な料理とは比べ物にならない素朴な物ばかりなのに、大変美味なのだ。こんなに美味い物は食べたことがないと思える程に。
(何か特殊な薬味でも使っているに違いない。我が家の料理長にも使わせなくては……)
 
「ケルアのルジェ家でいただく食事も、いつもとても美味しいですし、今夜いただいた料理も全てとても美味しかったです」
 ニールがそう言うと、ローレリアは驚いて目を瞬かせた。
「え!? 本当? そう思ってくれて嬉しいわ。聖騎士爵家の芸術的な料理には到底敵わないけど、私、ルードの作る料理が大好きなの」
「ルード?」
 聞いたことの無い名に、ニールは首を傾げる。
「ルードは、うちの料理長よ。ケルアの屋敷の料理長のワイグを鍛え上げたのもルードなの。ワイグの腕も褒めてくれて嬉しいわ」
「そうなんですか。・・・僕、会ってみたいな。料理を作っているところを見てみたいです」
「いいわよ。ルードも喜ぶわ」
 
 
 次の日、ニールはローレリアと共に調理場を訪れた。
「ルード、おはよう」
「おんや、ローレリア姫様! おはようございますだ。そちらのお方が、ニール様ですだね。・・・ロロ鳥の丸焼きはお気に召されなかったようで・・・面目ねぇですだ・・・」
 しゅん、と大きな体を小さくして残念そうな顔をした見るからに田舎者の男に、ニールは首を横に振った。
「丸焼きを初めて見て、驚いてしまったんだ。でも、後でローレリアさんが食べさせてくれて、大変美味しくいただいたよ」
「そうですだか! そりゃ、良かったですだ〜!」
 心底嬉しそうに人の良さそうな笑顔を作る料理長に、ニールが頷くと、ローレリアもにこにこと嬉しそうにしている。
「ニールがね、ルードの作った料理は全部美味しかったって! ニールはケルアでもうちで良く食事をするんだけど、ワイグの料理もとっても美味しいって!」
 えへへ、と自慢げに言うローレリアを、ルードは歓喜の涙に目を潤ませながら、うんうん、と頷く。
「そうですだか! そりゃ、嬉しいですだ〜。俺は幸せ者ですだ〜」
 料理長と領主の娘とは思えない仲の良さに、ニールは密かに衝撃を受けた。
 オルデス家では、料理人や召使達は空気のような存在で、同じ人間のようには扱われない。使用人で名前を知っているのは、貴族出身の執事であるネーザンくらいだ。
 一方でルジェ家では、全ての使用人を大切な友人のように扱っているのだ。
 首都ケルアにあるルジェ家の屋敷の使用人達も、ローレリア達兄弟は家族のように扱っていて、とても奇妙に思ったのだが、使用人と直接話すことは無かったので、あまり深く考えないでいたのだ。
 こうして、明らかに貴族ではない料理長が、一人のルードという名前のある男だということを目の当たりにして、今まで信じてきたものが崩れ落ちるような思いがした。
 
 ルードは説明をしながら手際よく料理を作って見せた。
 彼の下で働く他の料理人達も、自分の仕事に誇りを持ち、ルジェ家を敬愛していることが滲み出ていて、ニールは笑顔の下で打ちのめされていた。
 上に立つ者は、その絶対の力で下の者を管理するものだと思っていた。下の者達は、自分とは全く違う生き物のように思っていた。もしかして、それは間違えなのだろうか?
 
 ルードは、美味しい料理の秘訣は「感謝」と「愛情」だと照れながら言って笑った。
 食材に感謝し、それを育てた者に感謝し、料理を食する者の喜びを願って心を込めて作ることが大切なのだと。
 そして、最後の大切なさじ加減は、「食べる者の気持ち」だと言った。
 どんなに美味しい料理でも、一人寂しく食べては味気ない者で、愛する者達と食べればどんなに粗末な料理でも美味しく感じるものだと。
 それを聞いて、ニールは胸がぎゅっと締め付けられた。
 理由は解らなかった。
 悔しいような、悲しいような、寂しいような、泣きたい気分になった。
 ルジェ家の食事が美味しい理由が、やっと解った。
 
 
 美味しい食事の後で、ローレリアはニールに色々案内して見せると、張り切って嬉しそうに笑った。
 その笑顔を見ると、先程から胸にを占めていた不快な感情がすっと消えて行くように感じた。
 ローレリアが側にいるだけで、安心して、幸せな気分でいっぱいになる。
 訳もわからず、又、涙が出そうになったが、さっき泣きたくなった時とは全く違う気分だった。
 どうしてなのだろうか?
 これでは、まるで……
 
(私がローレリアに、恋をしているかのようではないか……)
 
 
 可笑しな冗談だ。
 絶世の美女ならいざしれず、こんな田舎のタレ目少女に恋などするものか。
 これは、実験なのだ。
 どうせ意味の無い人生なのだから、それを使って実験をしているだけだ。
 これは、演技なのだ。
 そう、恋をしているフリをしているのだ。
 これは、研究なのだ。
 恋とは人を狂わせる恐ろしいものだから、それがどういうものなのか、理解を深める為に研究をしているのだ。
 本気で恋などするものか。
 あまつさえ、田舎の子爵家の娘などに……ありえない。
 ローレリアは、実験道具だ。
 
(可愛くて大切な、私だけの玩具だ。そうでなくては、私は……)

 

 

 

 

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