紫の嘘 (2)

 


――あんな愚王の為に生きるなど、絶対に嫌だ。
 
 
 それが、物心付いたニールが一番初めに持った自発的な意思だった。
 そして、それは、聖騎士爵家に生まれた者が決して持ってはいけない意思だった。
 
 自分は聖騎士爵家になど生まれるべきではなかったのだとしか思えなかった。
 王に忠誠を誓う騎士になど、自分は少しも向いていない。
 いや、王が、命を掛けて守りたいと思う男だったならば……
 例えば、そう……
 
(スタントン、あなたが王ならば、喜んで命を懸けるのに……)
 
 ケルトレア王国に滅ぼされた国の王家の血を引き、類稀なる魔法と剣の才能を持ち、老若男女問わず人を惹きつける3才年上の友人が王であったならば、きっと騎士として生きることにも喜びを見出せたはずだ。
 
(ならば、もう一度、その血に玉座を取り戻させるか?)
 
 聖騎士爵家五家の一つであるグレンファー家の跡取りを王に据えたら……と想像してみる。国中に多少の動揺は起きようが、案外簡単に収まるかもしれない、と思った。
 ここ何代も愚王の続いたケルダーナ王家を廃することに賛成をする者は少なからずいるはずなので、協力者を得るのは難しくは無い。王家を良く思わない者にとって一番厄介なのは、王家の盾である聖騎士爵家五家なのだから、それを失ったとなれば、その機会を見逃さないだろう。
 
(だが、ブラヴォド家を失うのは痛いな……)
 
 ケルトレア王国建国前からケルダーナ家に仕えている騎士の名家だったブラヴォド家が王家を裏切るはずもなく、問答無用にケルダーナ家に付くことは容易に想像出来た。
 
(バカルディ家は、良い意味で馬鹿真面目で正義感が強いから、そろそろケルダーナ家には愛想が尽きているはずだ。……後は、ネグリタ家だが、この家は気まぐれだからな。……ライオネル殿はキーファー様やキアヌ殿と仲が良いから、ブラヴォド家に加勢するか? それとも、アドーとの関係も考慮して将来性を取るか……)
 
 草原の騎馬民族アドーと関わりの深いネグリタ家が、どう出るかは予測出来なかった。
 王家と王家の分家であるルクサルド公爵家とブラヴォド聖騎士爵家とネグリタ聖騎士爵家、対、グレンファー聖騎士爵家とオルデス聖騎士爵家とバカルディ聖騎士爵家、ということになる可能性は低くない。
 
(後は、エクリッセ伯爵家がどう出るか。数代続いたエクリセア人への差別で、エクリッセ家こそ王家に愛想が尽きているだろうが、領主の子供達がブラヴォド家のキアヌ殿と仲が良いからな……。それだけで判断を下しなどはしないだろうが、万が一エクリッセがあちらに付くとなると、厳しいな。……そもそも、グレンファー家が乗って来ない可能性が一番高いしな……)
 
 では、自分は真面目にやらずに、ただ人生が終わるのをやり過ごそう、と思った。
 愚王に使われる位なら、本性を出さず、使えない男を装って、適当に生きよう。
 ニールは早々に傍観者を決め込むと、小学校に入る年には本性を偽る術を身に付けていた。
 
 
 
 
 
 ニールの運命を変えたのは、ほんの偶然だった。
 偶然だからこそ、いや、それは偶然を装った必然だからこそ、「運命」と呼ばれるのかもしれない。
 その日は良く晴れていて、まだ肌寒いが、春の訪れが直ぐそこまで来ていることを感じるような爽やかな日だった。
 
 来月から小学校に上がるニールはまだ6歳だったが、既に人生を諦めていた。
 出来るだけ使えない男だという印象を王に与えることが人生最大の課題で、それはそれで面白いと思えるようになっていた。大人達が子供の自分に騙されるのを見るのは滑稽で、可笑しかった。
 王に謁見したことは一度しかないが、つまらなそうな視線を投げかけられたので、上々の出来と言える。
 日々の積み重ねが大切なので、両親さえも欺き、跡継ぎには頼りないと思わせている。
 自分を跡継ぎから外し、出来の良い子を装っている姉に分家の者を婿に取らせて跡を継がせた方が良いのではないかという声が分家から強く上がっている。姉さえ良ければ、そうなってくれれば良いと思う。
 小学校に入ったら、周りの子供達も上手く騙さなくてはいけない。大人よりも子供を騙す方が難しいから、気を抜かないようにしよう。
 そんなことを考えながら、ニールは機嫌良く愛馬に跨り、王城の裏にある森に向かっていた。
  
 
 王城の裏にある「王家の森」は、「森」と呼ぶには小さく、公園のようなものだが、騎士隊や魔術師隊が訓練に利用したり、王侯貴族達の憩いの場としても利用されている。
 王城の直ぐ隣という立地上、警備の問題もあり、祭りや式典以外では一般市民は立ち入り禁止で、入り口に騎士が立ち身分を確認して記録を付け、中にも騎士達が巡回している。
 
 首都ケルアの屋敷の敷地が領城に比べて狭く物足りないと感じているであろう領主の子供達と違い、聖騎士爵家はケルアにある屋敷が本家なので、オルデス家の屋敷は広大で、敷地内で馬を思う存分走らせることも出来る。
 しかし、ニールにとって、自分の家は居心地の良いものではなかった。
 両親はニールをどうにかして頼りになる跡継ぎにしようと躍起になっていて鬱陶しいし、両親の機嫌をとらねばならない家人もニールの扱いに困っているのが良く解る。
 元々自分が作り出した問題なのだが、どうも居心地が悪い。一生これが続くのかと思うと、自業自得とはいえ、溜息が出る。結婚したら、貴族の多くがそうするように家の外に女を作って、寛げる場所を作ろう、などと年齢に合わない事を考えていた。
 
(愛人は、優しくて気立ての良い女が良いな。お人よしで、騙されて、私を好いてくれるような女が良い。あまり頭が悪い人間を相手にするのは疲れるから、そこそこ賢くて、こちらの言いたい事を汲み取れるような気の利く女が良い。姉上みたいに素直で元気が良くて可愛いが、がさつではないのが理想的だな……) 
 未来の理想の愛人像を想像していると、それが伝わってしまったのか愛馬が機嫌悪そうに鼻を鳴らした。
 
「ヤキモチを焼いているの、ナフィ? 大丈夫だよ、僕の永遠の恋人は君だよ」
 ナフィは、ケルトレア王国において最高品質の「草原の馬」の飼育で有名なネグリタ聖騎士爵家から、ニールが生まれた時に購入をした牝馬で、自分で世話をしているので大変懐いていて良く言うことを聞く賢い馬だ。
 ナフィもまだ子供なので、大人の草原の馬よりもずっと小さく、普通の馬よりも二回り小さいのだが、子供のニールが乗ると、ずいぶんと大きく見える。
「いやだなぁ、ナフィ。機嫌を直してよ〜」
 甘えた声で言って優しく首筋を撫でると、ナフィは怒ったように鼻を鳴らして答えた。
(参ったな。草原の馬は、賢過ぎてたまに困る)
 
 
 
「きゃあ!」
 
 ナフィに気を取られていたニールは、急に茂みから出て来た物体に衝突しそうになった。
 危うく落馬しそうになったニールは、ナフィを落ち着かせながら、眉を寄せて悲鳴を上げた相手を見下ろした。
 ナフィの黒鹿毛のすらりとした長い足が蹴りそうになったのは、鼠色だか亜麻色だか分からないようなぼんやりした色の、ずんぐりむっくりした動物だった。
 ぶつかりそうになった見目の悪い家畜の上で叫び声を上げたのは、ニールよりも2、3歳年上に見える少女だった。少女はつばの広い帽子を深く被っていて顔が良く見えないが、全く見覚えが無い。
 身元の確かな貴族しか入れない「王家の森」に、こんな小さな少女が一人でいる事が奇妙に思えた。普通の貴族の子女は一人で外を歩いたりなどしないものだ、とニールは自分の事を棚に上げて思った。
 
 何よりも奇異なのが、彼女の乗っている家畜は、「草原の馬」でも普通の「馬」でもなく、山奥にしか生息していない「山馬」という事だ。ニールが本物の山馬を見たのは、これが初めてだった。
 図鑑で見たとおり、普通の「馬」よりも小柄で足も太く短くがっしりしていて不細工だ。「馬」よりもずっと大きく見目麗しい「草原の馬」とは、全くもって比べ物にならない。
 何故、そんなモノが、この王家の森にいるのだ?
 ここに入ったからにはどこかの地方領主の娘だろうが、子供が乗るのに丁度良い大きさだからといっても、この山馬は貴族の品位を落としかねない。
 草原の馬のナフィも、初めて見た山馬が珍しいのだろう。微動だにせず、じっと見つめている。
 
「あら、もしかして、その子、私のロンに一目惚れしたんじゃない?」
 少女が明るい声でそう言って首を傾げると、ニールはその言葉が信じられず眉を寄せた。
(そんな訳ないだろうが!! こんな不細工な山馬なんかに、私の美しいナフィが惚れてたまるかっ!!!)
 と、怒鳴りたいのを必死で堪えた。
 これも訓練だ。
 間抜けな男を完璧に装う為の特訓だ。
 そう自分に言い聞かせながら、ニールは笑顔を作った。
 
 
「お会いしたのは初めてですよね?」
「うん、私、ここに来たの初めてだもの。中々、素敵な公園よね」
「・・・・・・正門から、入っていらっしゃったのですよね?」
 もしかしたら、貴族の娘ではなくて、どこからか紛れ込んだ一般人ではないのだろうかと思って聞くと、少女は、きょとん、と首を傾げた。
「え? 門って1つだけじゃなくて他にもあるの? 正門だと思うど・・・。こ〜んな顔で人を見る騎士様がいる門よ?」
 少女は両手の人差し指を両目の目尻に当てて、ぎゅっと目尻を持ち上げて見せた。
 お世辞にも麗しいとは言えない顔を作って見せた少女に、ニールは目を瞬かせる。
 姉以外の貴族の娘がこんなことするだろうか? いや、するまい。
 しかし、正門から入って来たということは、爵位持ちの貴族の姫ということなのだろうか?
 
 少女が指を離すと、釣り上がっていた目尻が、ぱっと下がった。平均的な目尻の位置よりもかなり下まで、下がった。
 タレ目だ。
 かなりのタレ目だ。
 その上、帽子を深く被っているから気付かなかったが、良く見たら、左右の目の色が違う「女神の気まぐれ」ではないか。それも、ケルトレア王国で一番好まれる、鮮やかな青色と緑色の組み合わせだ。
 「女神の気まぐれ」は通常神秘的に見えるものだが、タレ目の所為で、なんとも愛嬌のある顔になっている。華やかさに欠けて、特に美人というわけではないが、何故だかニールは、少女の顔が凄く可愛いように思えてきた。
 
「もう一度やってみてください」
「え? こう?」
 少し不思議そうにしながらも、素直に指で目尻を押し上げてツリ目を作る少女に、ニールはワクワクしながら言った。
「・・・指を離して」
「???」
 少女が、ぱっ、と指を離すと、瞬く間に見事なタレ目になった。
「あははははは!!!」
「ちょっと! 何、笑っているのよ、失礼ね! あなたがやれって言ったからやったんじゃないの!! 本当にこんな顔して私のことを見たんだから! やっぱり、女の子一人じゃ、なめられるのよね。兄さん達が帰って来るのを待ってから来れば良かったわ!」
 少女が怒った顔をすると、怒った顔なのにタレ目の所為で、何やら妙な具合に可愛らしい。
 ニールは、堪え切れずに、また笑い出した。
 心の底から楽しく笑ったのは、記憶にある限り、初めての事だった。
 
「ちょっと、あなた、本当に失礼ね!!」
 頬を赤くしてぷんぷん怒った少女は、益々可愛らしい。
 こんな風に人を可愛いと思ったのも初めての事で、ニールはタレ目の少女を可愛いと思う自分が可笑しくて、益々笑う。
「もう! 一生そうやって笑ってなさいよ! ・・・あら? あなたのその外套、うちのよ!」
「あはははは・・・ああ、苦しい・・・・・・え? 外套? ・・・どういう意味ですか? これは確かに僕の外套ですが?」
 笑うのを堪えながら、ニールが首を傾げると、少女は興奮したように言った。
「うちの領地で作った外套なのよ、それ! ラゴルジェ織はうちの領土の特産品なの! あ! そう言えば、自己紹介もすっかり忘れていたわ! 私、ローレリア・ルジェ。ルジェ子爵家の末娘よ。あなた、オルデス聖騎士爵家の人だったのね! その紫色に染めるの、大変なのよ。紫マキマキっていう貝から取れる染料を使うんだけどね、これが希少価値の高い染料でね、ラゴルジェ織も希少価値が高いから、両方ですっご値段になっているのよ、それ! ああ、でも、あなたにとっても似合っているわ! 良かった〜。ラゴルジェ見たことある? 羊の親分みたいな感じの動物なんだけどね、これが中々世話をするのが大変でね・・・」
 
 ニールは呆気に取られて、目を丸くした。
 高が子爵家の娘だというのに、聖騎士爵家の者と知りながら、何故こんな口をきけるのだろうか?
 普通は、もっと下手に出るとか、恐縮するとか、取り入ろうとするものだ。
 しかも、べらべらと一気に捲くし立てた内容は、織物と羊。
 一体、何なのだろう、このタレ目少女は?
 こんな風に自分に気軽に話す者は、同じ聖騎士爵家の出身者達位しかいなくて、傅かれる事が当然という環境で育ったニールは、自分の身分を知っても謙らない少女が不思議でならなかった。
 羊に興味はないが、この少女は興味深い。
 研究する価値があるかもしれない。
 ぺらぺらと嬉しそうに説明を続けているローレリアを、ニールは注意深く観察する。
 
「・・・だからね、すっごく暖かくて羽のように軽くて、最高でしょ、ラゴルジェ織って」
 一通り説明を終えたようで、ローレリアはにっこりと満足げに笑った。
 その笑顔は怒った顔よりも更に可愛く思えて、ニールは思わず息を呑んだ。
「・・・・・・普通だと思うけれど?」
 言葉に詰まってから、慌てたように少し早口でニールが言うと、ローレリアは驚いて目を丸くした。
「え!? ・・・・・・・・・あ! そうかぁ、ラゴルジェ織の外套しか着たことがないんだ!! すっごいわねぇ・・・流石、聖騎士爵家!」
 ローレリアが何を驚いているのか理解出来ずに、ニールは居心地悪く感じて、それが酷く気に障った。
「・・・あれ? そういえば、あなたの名前を聞いていなかったわね」
「・・・ニールです」
 日頃の訓練の成果でニールがどうにか笑顔を作って名を言うと、ローレリアはにっこりと笑顔を返した。
「ニール君、日頃、ラゴルジェ織をご贔屓にしていただきまして、ありがとうございます。それじゃあ、私、そろそろ行くわね。またね〜!」
 引き止める間も無く、ローレリアはさっさと山馬を走らせて行ってしまった。
 残されたニールは、呆然と、その後姿を見送る。
  
 
 もっと話したかったのに。
 何故、山馬に乗っているのか、とか。
 「女神の気まぐれ」のこと、とか。
 名を聞かないけれど、ケルアの学校には通っていないのか、とか。
 「またね」とは何時なのか、とか。
 色々、聞きたかったのに。
 ナフィの手綱をぎゅっと握り締めて、ニールはローレリアの小さくなった姿を何時までも眺めていると、ナフィが鼻を鳴らした。
「・・・・・・変な子だったね。それに変な馬に乗ってたね」
 その言葉に答えるように、ナフィはもう一度鼻を鳴らした。
 
 
 
 
 
 ニールは屋敷に戻り、出迎えた執事に脱いだ外套を手渡すと、ローレリアの言葉を思い出した。
 
―-すっごく暖かくて羽のように軽くて、最高でしょ、ラゴルジェ織って。
 
 ということは、他の素材で出来た外套は、重いのだろうか?
「ネーザン、ネーザンの外套を持って来てくれる?」
 ニールの唐突な言葉に驚きながらも、執事のネーザンは頷いた。
「・・・直ぐにお部屋にお持ちいたしますので、お待ちください」
 ニールが自室に戻って侍女に茶を入れさせていると、執事が言われたとおりに外套を持って来て手渡した。
 思ったよりも随分と重いことに驚きながら、ニールはその外套を羽織ってみた。
(何だこれは? 重い上に暖かくないではないか。これが、「普通」なのか?)
 
 大きさが違うことを差し引いても、肌触りや暖かさも全く違うその外套を着てみて、ニールは驚いて言葉を無くした。
 聖騎士爵家の執事の給料は大変良く、ネーザンの外套も高級品の筈なのだが、ニールのラゴルジェ織の外套とはあまりにかけ離れていた。
「ニール様・・・?」
 少し心配そうに自分を見る執事と侍女に、ニールはにっこりと微笑み、外套を脱いだ。
「ありがとう。手間をかけたね」
「いえ、とんでもございません」
 外套を返されて、執事は腑に落ちない顔をしながらも、頭を下げて侍女と共に部屋を出て行った。
 
 ニールは茶を一口飲んだ後、本棚から分厚い図鑑を持って来て、長椅子に座り直すと、頁をぱらぱらと捲った。
 手を止めた頁には、羊に似た動物の挿絵があった。
(羊の親分、か。確かに、そんな感じだな)
 ラゴルジェの頁を眺めながら、嬉しそうな顔で一生懸命に説明をしていたローレリアの顔が頭に浮かんで、ニールはふっと笑った。
(……今着ている服は? これは一体何で出来ているのだ? 素材は? 染料は? 誰が何処でどうやって作っているのだろう?)
 ふと、そう疑問に思うと、次々と、疑問が頭に浮かんだ。
 
 この図鑑は?
 この机は?
 この茶器は?
 この本棚は?
 この絨毯は?
 初めからここにあったのではなく、無から湧いて出たのではなく、誰かが何処かで作ったのだ。
 そんなこと、今まで一度も考えたことがなかった。
 そこにある事が当然で、自分がそれを手にしている事は当然だと、何も疑問に思わなかった。
 
 
(……ローレリア。お前は、私の知らない世界を知っているのだろうか。
 その青と緑の「女神の気まぐれ」のタレ目に映る世界は、一体どんなものなのだろうか?)

 

 

 

 

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