紫の嘘 (1)

 


(……さあ、これで、お前は私のものだ、ローレリア。
 全く、お前ときたら、私の気持ちを、ちっとも解かってくれやしないのだからな。
 結局、家の権力を使う破目になってしまったではないか。
 こんなことなら、初めからさっさとそうして、成人して直ぐに結婚してしまえば良かったか。
 そうすれば、この3年間も、お前は私のものだったのに。
 まぁ、良い。
 これから先、お前は一生ずっと私のものなのだから……)
 
 
 
 人形のように綺麗に整った顔立ちの、落ち着いた色合いの金髪の青年は、するすると、その顔に似合った美しい字を上等な紙に書き連ね、最後に署名をすると、鮮やかな青い目を満足げに細めてにっこりと微笑んだ。
 その笑顔は少年のようにあどけなく、成人して3年経ち20歳になったその青年が未だに「美少年」と呼ばれていることは、少しもおかしくなかった。
 
 紫色の高級な生地を張った金の脚と腕置きの付いた豪華な長椅子に座った美少年は、向かい合った全く同じ作りの最高級の長椅子に座る美少女に、署名した紙を手渡す。
 上から下までその紙に目を通して、美少年と同じ色の髪と目を持った美少女は華やかに微笑んだ。
「確かに、確認させていただきました」
 綺麗な形の目を細めてにっこりと微笑んだ彼女の笑顔と雰囲気は、向かいに座る彼と良く似ていて、二人が血縁者であろうことが伺える。
「では、そちらは任せたよ、ネリー」
 満足げに言う美少年に、ネリーは、しっかりと頷く。
「承知致しましたわ、ニール様」
「もう少しで、レミュエル殿は君のもので、ローレリアさんは僕のものだよ」
「ふふふ。楽しみですわ。では、わたくしはこれで失礼を致します」
 二人が、いたずらをする子供のような無邪気な顔で楽しそうに笑い合いながら立ち上がったところに、トントンッ、と扉を叩く音がして、ニールとネリーは扉の方に顔を向けた。
  
 
 ニールが扉開錠の呪文を唱え、扉を開けると、目を見張る艶やかな美女が顔を出した。
 豊かな巻き毛の黒髪に鮮やかな青い目と女性らしい体付きの、その場にいた美しい容姿の二人よりも更に目を引く華やかな美女は、少し驚いたように瞬きをした。
「あら、ネリーがいらしていましたの。お邪魔でしたかしら?」
 その美しい姿に似合う綺麗な声と優しげな口調でそう言うと、美女は優雅に微笑んだ。
 
「丁度今、話を終えたところでしたよ、姉上」
「お久しぶりです、ナタリー様」
「本当ですわね、ネリー。今度ゆっくり、お茶会にでもお招き致しますわ」
 二人に、にっこりと微笑まれ、ナタリーも同じように微笑んだ。
「まぁ、嬉しいです。ナタリー様、とても素敵なドレスですね。なんてお似合いなのでしょう。目が眩む美しさですわ」
 ナタリーの美貌を引き立てる水色に金糸の繊細な刺繍の入った美しいドレスを、ネリーは溜息をついてうっとりと見つめる。
「まぁ、ネリーったら、ありがとう。でも、褒め過ぎですわ」
「そんな事ありませんわ。うっとりしてしまいますもの! 今日は何か特別なご用事がおありなのですか?」
「ええ。夫の仕事で他国からの貴賓と会食の為に王城へ向かう所なのですけれど、その前に、ニールに用がありまして立ち寄りましたの」
 そう言ってネリーに微笑んだ後、ナタリーは弟ニールに目を向けて、そちらにもにっこりと微笑んだ。
「そうでしたか。それでは、わたくしはこの辺で、失礼させていただきます。ニール様、ナタリー様、ごきげんよう」
 ネリーが綺麗に微笑んで礼をすると、オルデス聖騎士爵家の姉弟も、その綺麗な顔で微笑み返した。
「ごきげんよう、ネリー。又、近い内にお会いいたしましょう」
「じゃあ、頼んだよ、ネリー」
 
 
 
 
 ネリーが部屋を出て行き、ニールが施錠の魔法を唱えると、どかっ、とナタリーは乱暴に長椅子に座り、足を投げ出すように組んだ。
 ニール以外にその動作を見た者がいたら、頭が理解できずに混乱する程に、彼女の美貌にはあまりにも不似合いだった。
「おいおい、ニール。ネリーも巻き込んだのかよ?」
 その言葉を聞いた者がいたら、自分の目と耳を疑った事だろう。
 「麗しの紫の騎士乙女」と称される彼女に心酔する多くの男達が知ったら自殺しかねないが、幸いな事に、当代一の美姫の正体を知るのは、彼女の弟と夫のみである。聖騎士爵家の長女として騎士隊に勤める彼女は清楚でありながら凛々しく、社交界では可憐で華やかな完璧な女性で通っている。
 
「ええ、ちょっと面白い事をしようと思いましてね」
 にやり、と笑って向かいの長椅子に腰掛ける弟に、姉はわざとらしく嫌そうな顔を作った。
「お前の面白い事っつーのは、大抵ロクデモナイ事だろ」
「何を仰るのですか。利害の一致による素晴らしい計画です」
 良からぬことを企んでいる様子の顔の弟に、ネリーは眉を寄せる。
「ま、ネリーに利があんなら、いーけど。危ない事はさせんなよ?」
「勿論、解かっていますよ。・・・で、例の物はお持ちくださったのですか?」
 期待の目を向けてくる弟に、ナタリーは、にやり、と笑って見せた。
 
「ああ。態々届けに来てやったんだぜ? もっと姉上様に優しくしろよ、この愚弟」
「それは失礼致しました、姉上様。本日も一段と麗しいお姿で、あなたの愚弟は、その美しさを到底言葉では言い表せません」
 わざとらしく恭しく言うニールに、ナタリーは、ふふん、と得意げに胸を張る。
「だろ〜? 湯浴みしてゴテゴテに着飾って、目が眩むほど美し〜だろ?」
「ええ。中身さえ隠しておけば、ケルトレア中の男が涎を垂らしますよ。貴賓との会食だそうですね」
「ああ、なんかさ〜、どっかの国のエライ人が来てんだって。もてなす為に、ヴァンスに王城に呼び出されてんの。マジ、超めんどくせ〜んだけど。っつーかさ、アイツ、忙しいからって妻を迎えに来ね〜ってどうよ? 愛が足りね〜だろ? 俺のこと利用するだけしてさ〜、酷い男だぜ」
 フンッと機嫌悪そうに鼻を鳴らす姉に、ニールは宥めるように言う。
「お忙しいのだから仕方がないのでは? 王城から姉上を迎えに来て、また王城へ行くというのも、非合理的ですし。ヴァンス殿が姉上のことを愛しているのは見ていれば分かりますし」
「む〜。でもさ〜、やっぱ、女としては、迎えに来て欲しいんだって〜」
「ほらほら、麗しいお顔が台無しですよ? で、例の物は?」
「ちっ。冷たい弟だぜ。・・・ほらよ」
 
 そわそわと言う弟を不機嫌そうに見ながら、ナタリーは小瓶をニールに投げて寄こした。受け取った小瓶の紫色のどろりとした液体を、ニールはしげしげと興味深げに眺めた。
「・・・ふうん、これが・・・・・・姉上も試されました?」
「ああ、勿論! すげー笑えたぜ!!」
「・・・笑えるとは、どの様に使用されたのです?」
「部下の俺様に対する信用度調査」
 胸を張って言うナタリーの答えに、ニールは訝しげに眉を寄せ首を傾げる。
「・・・・・・姉上、私が注文したのは記憶を操作する魔法薬ですが?」
「ああ、だから、その薬の効き具合が信用度によるんだって。信用しているヤツにはめちゃくちゃ効くけど、信用していないヤツには全然効かねーんだってヴァンスが言うからさ、部下で試してみたら、皆効きまくってんの。俺のこと信用し過ぎだっての。馬鹿だね〜。馬鹿で可愛いね〜」
 その様子が容易に想像できたニールは、姉の顔を見ながら苦笑した。
 
「・・・それはそれは宜しかったですね。姉上の完璧な淑女のフリは評判ですからね」
 本性は貴族の姫とは思えない驚く程がさつな女であるナタリーだが、弟のニールと夫のヴァンス以外の人の前では、完璧な淑女を装っていて、それを誰も疑わない。彼女の両親でさえ、その本性を知らないのだ。
「おう! 俺のぶりっこに男共はめろめろだぜ!」
「はっ! 本当に、馬鹿ばっかりだな」
 嘲るニールに、ナタリーは肩を竦めた。
「女は怖いよなぁ〜?」
「自分で言わないでください」
「お前もなぁ、まさか、こんなヤツだなんて誰も思わないよな」
 くくく、と淑女らしからぬ笑い声を上げるナタリーに、ニールは片眉を上げる。
 ニールも、彼の姉ナタリーと義兄ヴァンスの前以外では、本性を隠しているので、ナタリーと同じようなものだ。
 大変評判の良い姉とは逆に、彼の場合、本来よりも出来が悪いように演じているので、評判はあまり良くない。聖騎士爵家の跡継ぎにするには心細い、ぼ〜っとした子だと世間には思われているのだ。真の姿はそれとは正反対で、まさに「オルデスらしい」性格だと、ニールの両親や親族が知ったら大喜びするだろうが、彼らはそれを知らない。
 
「さてさて、ローレリアちゃんには効くかな〜? お前の事、信頼してるかな〜?」
 楽しそうに笑って、低卓に置いてあった焼き菓子を一つつまんで口に投げ入れ、もぐもぐと口を動かしている姉を、むっとした顔でニールは睨んだ。
「失礼ですね。ローレリアさんは、私を信頼しきっています。きっと完璧な効果が現れますよ」
「だといいけどな? ま〜、駄目だったらそれはそれで、信頼されていなかったんだから、お前の落ち度だ。潔く諦めな」
「余計な心配です。絶対、大丈夫です」
「自身満々だな?」
 ナタリーは笑いながら、二つ目の焼き菓子をつまむ。
「騙されやすい人なんです、ローレリアさんは」
「信頼されている自信じゃなくて、そっちかよ・・・。まぁ、確かに、お人よしの良い子だからなぁ、あのコ。可愛いよな〜。俺も、あのコが義妹になるの大賛成だぜ」
「ふふふ。そうでしょう、そうでしょう」
 満面の笑みで得意顔をするニールを見て、ナタリーは眉を下げて、仕方がないな、という顔をした。
「生贄という文字が頭を過ぎったが、気の所為にしておくか。・・・さて、じゃー俺はヴァンスに怒られねーよーに、もう行くから、上手くやれよ」
 
 
 二人が長椅子から立ち上がった時に、再び扉が叩かれた。
「今日は、絶妙なころあいを見計らって来客が尋ねて来る日なんですかね?」
 訝しげに言いながらニールが扉を開くと、そこにいたのは、胸までの長さの茶色の髪を片側に流して前で緩く一つに束ねた優雅な雰囲気の美男子だった。今日の来客は、揃いも揃って全国級の美系ばかりだ。
 
 
 
  
「義兄上?」
 長身の来客を見上げてニールが驚いたように目を見開くと、その端正な容姿だけでなく有能さでも有名な外交長官は、琥珀色の猫の様な目をにっと細めた。
「邪魔して悪いな、義弟殿」
 ヴァンスはそう言いながら、すたすたと勝手に部屋の奥に進み、ニールも扉を施錠して従った。
「ヴァンス!?・・・なんで、ここに!?」
 突然の予期せぬ夫の登場に、ナタリーは驚いて目をぱちくりさせる。
 
「お前がオルデス家に寄ってから王城に行くと言っていたと、屋敷で聞いたからだ」
「・・・・・・なんで、屋敷に行ったんだ? 何か急用か? お! 会食は中止か? やりぃ!!」
 腕を上げて飛び上がって喜ぶ美女に、ヴァンスは目を細める。
「会食は予定どおりだ。俺は単にお前を迎えに来ただけだ」
「え? ・・・なんだよ・・・ちぇ。だって、お前、忙しーから迎えに来ないって言ってたじゃないか」
「むくれていただろう。俺の仕事に付き合わせるのだから、機嫌を取ってお前を笑顔にしておかねば、お前の稀有なる美貌が最大限に有効活用出来ずに勿体無いではないか」
 仕事の為と言われ、ナタリーは悔しそうな顔をする。
「む〜」
「なんだ、素直に喜べ。まぁ、そのむくれた顔が見たいから、わざと迎えには行かぬと言っておいたのだがな」
 ヴァンスはナタリーの頬に手を寄せると、綺麗な顔を上に向かせ、満足げに見つめた。夫の自分を弄んでいる言葉に、ナタリーは顔を赤くして怒る。
「な・・・なんだと〜!?」
「くくく。お前は本当に可愛いな」
 かぷり、と噛み付くように唇を合わせ、真っ赤になって抵抗するナタリーの唇を貪り続ける義兄の肩を、ニールは苦笑しながらトントンッと叩いた。
「もしもし、義兄上様、私の存在を忘れていませんか?」
 
「ああ、義弟殿、いたのか」
「私の部屋で言う台詞ですか?」
 唇を離し、懐布を取り出すと、ヴァンスはナタリーの口紅が付いた口元を拭った。ぐったりしている妻の口紅が乱れた口元も優しく拭ってやった後、ヴァンスはニールの手にした小瓶に目を留め、にやりと笑う。
「ああ、その魔法薬、笑えるぞ」
「姉上と同じ感想ですね。義兄上も部下に使用したのですか?」
 ニールの台詞に、ヴァンスは軽く顔をしかめた。
「そんな勿体無い事するわけがなかろう。麗しの我が妻に使ったに決まっているだろう?」
「・・・・・・は!? 俺に!? いつ使ったんだよ!?」
 ヴァンスの腕の中でぐったりとしていたナタリーは、夫の台詞にがばっと顔を上げた。
「このように、覚えていない。俺をどれだけ信用しているか、良く解かる。・・・あれだけ激しく、空が白むまで、徹底的に愛し合ったのにな?」
「ほう・・・それはそれは」
「は!? 何のことだよ!?」
 ふんふん、と感心して頷く弟をちらりと見て睨んでから、ナタリーはヴァンスを見上げて問い詰める。
 
「譲ってやるのを感謝してくれよ、義弟殿?」
「ええ。結果によっては、一生『犬』とお呼びくださって結構です、義兄上」
「ははは。俺の義弟殿は面白いな! 上手く行くと良いな? 『女神の気まぐれ』のルジェ兄弟達は、皆中々の人材だし、何より、義弟殿のローレリア殿に対する執着ぶりは、観察し甲斐があり、研究の価値がある。その魔法薬が上手く行かなくとも、引き続き裏で手を回す手伝いをしてさしあげよう」
「心強いです」
「おい、ヴァンス! 俺に薬使ったって、いつの話だよ!?」
 夫に抱きしめられながら完全に無視されている状況に、ナタリーは憤慨する。
「さぁ、ナタリー、他国からの貴賓を待たせるわけに行かないから、城に行くぞ」
「お前、人の質問に答えろよ!」
 
 怒った顔の妻を、ヴァンスは目を細めて楽しそうに眺める。 
「ああ、その新調したドレスは素晴らしく似合っているな」
「え? ・・・そ、そうかな? へへへっ」
 急に褒められて、ナタリーは照れた顔で頬を染めた。
 ヴァンスは満足げナタリーの頬を撫で、反対の手は抱きしめていた細い腰から下にずらして尻を撫でる。
「ああ、美しいぞ、ナタリー。お前が、この世で一番、美しく、愛らしく、笑える」
「待て、今、なんか余計なモン付いてたろ?」
「気の所為だ。ほら、麗しの紫の騎士乙女、出陣だぞ。義弟殿、邪魔したな。健闘を祈る」
 ぐいっと腰を捕まれて、ナタリーは、ちっ、と舌打ちした。
「・・・仕方がありませんわね、わたくしの夫はせっかちさんですこと。ニール、わたくしも上手く行くことを祈っておりますわ。それでは、又明日、聖騎士城で。ごきげんよう」
「はい、ごきげんよう、姉上様、義兄上様」
 
 
 姉と義兄が出て行った扉をしばらく眺めた後、ニールは掌の中の小瓶に視線を落とし、にっこりと無邪気な少年のように可愛らしく微笑んだ。
 
「じゃあ、僕も頑張ろっと!」

 

 

 

 

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