美少年より田舎暮らし! (1)

 


 中々の良縁だと思った。
 彼が次期領主を務めるペルノ伯爵領が、生まれ育った領地と似てる山奥の田舎だという事が、一番気に入った点。
 貴重な染料になる植物や虫や鉱物が豊富に取れるというのは、更に良い条件だ。
 「ラゴルジェ」という動物の毛を織物にした高級毛織物が父の治めるルジェ子爵領の特産品なので、珍しい染料や衣類に修飾する宝石は必需品だ。安くまわしてもらえたら、とても助かる。
 彼の両親である領主とその妻も優しそうで、嫁いびりがなさそうなのも重要な点だ。
 実家と同じくらい田舎だから、首都で女の子達に僻みで耳にタコができる程言われた「田舎者のくせに」という鬱陶しい台詞を一生聞かずに済みそうなのも、とても嬉しい。
 その僻みの原因を作った相手にも一生会わないで済むのも…………
 嬉しい、はず。
 
 
 結婚相手自身も申し分ない。
 次期ペルノ伯爵領主アベル・ペルノは、中々良い男だと思う。
 美形が当然で必然な貴族の中では平凡な容姿だけれど、それを言ったらローレリアだってそうだ。父も母も代々貴族なのだから、勿論整った顔をしているが、貴族社会において美貌を褒められた事は皆無。話題にされるのは目の色の事ばかりだ。「女神の気まぐれ」はとても珍しいので、初めて会う人には必ず目の色の事を言及される。
 ローレリアの両親の遺伝の組み合わせはとても良く、子供達は皆「女神の気まぐれ」だ。「女神の気まぐれ」は両親よりも飛び抜けて魔力が強く、魔力の主属性を示す目の色が両親で違う場合、左が父の目の色で右が母の目の色になり、二つの属性が共に主属性となるのが特徴的だ。ローレリアと彼女の二人の兄達と姉の四人兄弟は皆、青と緑の色違いの目を持つ。
 この「女神の気まぐれ」のお陰で、兄弟全員に、実家の子爵家より一つ位の高い伯爵家の中でも有力な家からお声が掛かり、長男と姉は既に結婚している。
 魔力の強い女性しか魔力の強い子供を産めない事と、「女神の気まぐれ」が大変縁起が良いものと見なされている為に条件が良いのだ。更に、「女神の祝福」と言われる王家の目が青緑色なので、青と緑の「女神の気まぐれ」は特にケルトレア人に好まれている。
 
 今までローレリアにいくつも来た縁談の中で、ペルノ伯爵家は一番良い物件だった。
 ペルノ伯爵領は田舎ではあるが、領土も広く、豊富な天然資源を持ち、豊かな領地だ。
 領主の娘として、幼い頃からローレリアは、故郷の領土に利益をもたらしつつ、結婚相手も問題ない田舎領主の跡取りと結婚することを目指して生きて来た。
 男は中身が重要だと思うので、美形で言動も脳みその容量も軽い男達には惑わされずに、相手を選んだつもりだ。
 次期ペルノ伯爵は、眩いような美男子ではないが、男らしい体付きに整った顔立ちを持ち、素朴で真面目な感じが好印象だ。正に、理想的な結婚相手だと思う。
 誠実そうな彼ならば、好きになれそうだ。
 政略結婚とはいえ、そこに愛があるに越したことはない。
 自分でも単純だと思うし、半分以上は社交辞令だと思うけれど、「こんなに可愛いらしい姫と結婚できるなんて、私は幸せ者ですね」と言って優しく微笑んでくれたのも、とっても嬉しかった。
 その言葉を思い出す度に、ちょっとドキドキして顔がにやけてしまう。
 
(「タレ目で怒った顔が可愛いです。堪りません。ふふふ」とか阿呆なことは言わないし! 毎日毎日「愛しています、ローレリアさん。あなたは僕の女神です」とか公衆の面前で無邪気に言わないだろうし。……大体ね、あんな桁違いに位が高い上に物凄い美少年が、私なんかに夢中とか、絶対ありえないから!! ある日突然、「ふふふ。好きと言ったのは、冗談でした〜」とか言いそうよ!!)
 
 結婚相手ではなく、幼い頃から何故か付き纏って来るとても身分の高い美少年のことを考えている事に気付いて、ローレリアは頭を振った。
 
(魔術師隊のお仕事が楽しくなって来てるから、辞めなきゃいけないのは心残りだけど、レミュエル兄さんが王城務めをしているのだから、私は元々城務めの必要はないしね……。とうとう、念願の、田舎の領主の妻の座が手に入るんだわ! ローレリア・ペルノか。うん、悪くないわね)
 
 頭の中がモヤモヤする気がするが、何故か考えてはいけないような気がするので、ローレリアは気にしないように努めて眠りに付いた。
 
 明日は、結婚式である。
 
 
 
 
 
 
 ふと気が付いたローレリアは、幾重にもなった純白の繊細なベールで視界が遮られている事に眉をひそめた。
 
 いつベールを被ったのか、覚えていない。
 ベールで前の方は良く見えないので、下の方に視線を落すと、純白の花嫁衣裳まで着ていることが分かった。しかも足元には、禁色である鮮やかな青色の絨毯が敷かれている。
 これをローレリアが踏めるのは、結婚式の時を除けば、魔術師として戦場で命を失って国葬される時くらいだろう。
 いつの間に式が始まったのだろうか。自分の結婚式でうたた寝をしていたなんて、間抜け過ぎる。一生に一度の晴れ舞台が台無しではないか。
 そう思いながら見える範囲で身に纏っているドレスを眺めていたローレリアは、青色の左目と緑色の右目の色違いの両目をはっと見開いた。
 
(ちょ、ちょっと、何、このドレス!?)
 良く見ると、ふんだんに使われたレースや真珠は王族が身に着けるような最高級品で、危うく気を失いかけた。
 毛織物が特産品のルジェ子爵領は服飾産業が盛んで、ローレリアも衣類や宝石類については確かな鑑定眼を持つ。
(このドレス一着で、領地中の牛が買えるわよ!? それって、ミルクにしたら何杯……ああ、お父様!!! 見得張りすぎ!! うちにこんなお金がある訳ないでしょう!! ……まさか、また騙されたの!? ああ、今度こそ、破産だわ!! 領民にどう償えば……)
 
 クラクラする頭をどうにか支えて天を仰いだローレリアは、顔の前のベールの隙間からちらりと見えた天井画に眉を寄せた。
(……え!? あれ?? なんで!? ……ここってケルアの大聖堂???)
 その美しい神々と精霊達を描いた繊細で見事な天井画には、見覚えがあった。
 こんな立派な国宝が、田舎の領地の聖堂には勿論ある訳がなく、これがあるのは首都の王城の前の大聖堂だ。
 混乱した頭で良く見えないベールの外の様子を伺うと、やはりここはケルアの大聖堂のようだ。何故こんな所で結婚式を挙げているのか、さっぱり分からない。
 ペルノ伯爵領土にだって聖堂くらいある。そこで結婚し、領城で花嫁のお披露目を領土の重臣や領民にして、三日三晩お祭り騒ぎをするのが通例ではないのだろうか?
 
 
 訳が分からず混乱するローレリアを余所に、式は進行している。
 段々と不安になってきた。
 幾重にもなったベールで良く見えないが、ペルノ伯爵領主の息子はこんなにすらりとしていただろうか?
 どちらかと言うと、もっとがっしりした見るからに男らしい体付きだった。足元しかはっきり見えないが、こんな一足で牛が何十頭も買える最高級の靴を履く男ではないことは確かだ。なんだ、あの金細工は。靴に付いている意味があるのだろうか。王女様のお髪にでも飾った方が有効的ではないだろうか?
 ああ、でも、こんな馬鹿げた靴を嫌味なく履ける男を一人だけ良く知っている。
(夢よ。……これは夢なのよ。早く目を覚ましてよ、私!!)
 
 馬鹿げた靴を履いた男の手によってベールがゆっくりと捲られると、ローレリアの目に入って来たのは、素朴で誠実そうな田舎の次期領主の優しげな笑みではなく、見慣れている事がおかしいと思う眩いばかりの美少年の無邪気な笑顔だった。
 
 
 
「ローレリア・ルジェ。私、ニール・オルデスは、貴女ただ一人を愛していること、これからも貴女ただ一人を愛することを、我等の女神ダヌダクアの御名の下に誓います」
 
 
(うわあああ、やっぱりニール!!! どうなってるのよ!?)
 
 これでもかという程に整った造形の、明るい青色の目に見つめられて名を呼ばれたローレリアは、きらきらと光に反射する落ち着いた色合いのさらさらの金髪に、眩しそうに目を細めた。
 「美少年」という言葉は彼のためにあるのではないかと思われる様な美少年が、正装して更に凄い事になっている。額縁をつけて壁に飾っておいたら良いと思う彼が、自分の手を握って嬉しそうに頬を染めているのを見て、それが日常茶飯事なローレリアは、条件反射的に手を引っ込めようとした。
 しかし、可愛らしい顔に似合わない鍛え上げられた体の持ち主である美少年は、微笑を湛えたまま、ローレリアの手を絶対に逃がさなかった。
 
 
 結い上げられた濃い茶色の長い髪をベールの中で揺らして、ローレリアが顔を上げてキッと睨むと、ニールは心底嬉しそうに頬を染めた。
 ローレリアのかなり目尻の下がった目、つまりタレ目、が目の前の美少年のお気に入りなことは、彼が毎日の様に褒めるので、嫌でも知っている。
(絶対、趣味おかしいから!)
 「タレ目で怒った顔が可愛い」という言葉も言われ続けているので、怒った顔をしても相手を喜ばせるだけだと悟り、混乱したまま、ローレリアは視線をニールから外した。
 
 ニールの背後に座っている貴人が視界に入ると、ローレリアは思わず心の中で「ギャッ」と叫んで息を呑んだ。
 濁りのない明るい金の髪と、この国の守護者の証といえる「女神の祝福」と呼ばれる青緑色の目を持つ少年は、ローレリアの戸惑いの顔に少し不思議そうな顔をしてから、優しく微笑んだ。
 成人したばかりでまだ少年の面影の残るその人は、現ケルトレア国王。この場にいる全ての者が敬い仕える相手である。
 唯一の例外は、彼の隣に座っている銀の髪に紫の瞳の遠国から彼に嫁いで来た神秘的な美少女だ。彼女が訝しがるような視線を向けている事に、混乱状態のローレリアは気付かなかった。
(お、お、お、王様に微笑まれた!!!! 王后様ってば、綺麗過ぎ!!! こんな間近で見られるなんて、凄い!!!)
 
 興奮したローレリアの視界に次々と入って来たのは、国中の要人達。
 王族と宰相と、話したことも無い高官達。
 騎士長と、騎士隊の現役役職騎士達に、既に退職した役職騎士達。憧れて密かに姿絵カードを持っている元騎士長の姿を目にして、心臓から口が飛び出そうになった。じゃなくて、口から心臓が飛び出そうになった。
 更には、魔術師長と、魔術師隊の役職魔術師……つまり、上司と上司の上司と上司の上司の上司と上司の上司の上司の上司!! 気を失って良いですか?
 そして、顔だけ知っている全国の地方領主達と、その跡継ぎ達。あなた様達は、態々、「扉」を使って領地から首都に来たわけですよね?
 感激の涙に咽る父と、父を落ち着かせようと背中を撫でる母の姿。
 隣で笑っている長兄と彼の妻と、微妙な顔をしている次兄と、感動に涙ぐむ姉と彼女の夫。ああ、もう、一体、何がどうなっているのだか。
 
 この状況で、ローレリアの言える台詞は一つだけだった。
 
 
「ニール・オルデス。私、ローレリア・ルジェは、貴方ただ一人を愛していること、これからも貴方ただ一人を愛することを、我等の女神ダヌダクアの御名の下に誓います」
 
 震える自分の唇が紡いだ結婚の誓いの言葉に、ローレリアは夢が潰えたことを悟った。
 田舎の領地を持った地方領主と結婚して、のんびり生きるという、幼い頃からのささやかな夢が。
 
 
 
「誓いの口付けを」
 
 王の言葉に、ローレリアは青ざめて身をたじろがせたが、にっこり微笑んだニールの顔に似合わず大きく硬い手は、ローレリアの手をぎゅっと握ったままで、逃げられなかった。
 ぐいっと体を引き寄せられて、上を向かされると、目を閉じる間も無く、形の良い唇が押し付けられた。
(うっ……く、唇って、柔らかいのね…………って、初めてだったのに〜〜〜!!! )
 顔を赤くして涙目のローレリアは、傍目には歓喜した花嫁に見えることだろう。 
 
「これをもって、女神の御名の下、二人を夫婦と認めよう。ニール・オルデス、ローレリア・オルデス、そなた達の未来に女神のご加護があらんことを」
 
 王の言葉に、幸せを噛み締めるべき花嫁のローレリアは絶望を味わっていた。
 
(……ローレリア・オルデス。……オルデス…………オルデス! ああ、なんてこと!!)
 
 オルデス聖騎士爵家。
 それはケルトレア国民ならば誰もが知っている名家中の名家。
 ケルトレア王国を建国した王の忠実なる5人の騎士の一人の子孫で、今でもその5家は最高の地位と絶大な権力を持ち、騎士として国を守っている。
 たった今、夫になった美少年は、そのオルデス聖騎士爵家の跡取りである。
 
 恨めしそうに見上げると、少しもローレリアの気持ちなど伝わっていないらしい彼は、国中の乙女が失神しそうな眩しい笑顔で嬉しそうにローレリアを見つめた。
「夫婦ですよ、ローレリアさん! 夫婦! 響きが良いですよね、ふうふ! 嬉しいなぁ。ふ・う・ふっ!」
 ローレリアの2歳年下のニールは20歳だが、無邪気な子供のように笑うニールの笑顔は、子供の頃からちっとも変わっていない。見た目も、少なくとも3年前に成人した位から変わっていない気がする。いつまで「美少年」でいるつもりだ。そろそろ「美青年」になったらどうだろうか。
 小学生の時から、見飽きるほど見ているはずだが、何年見ていても見飽きることのない美少年だ。「美人は三日で飽きる」なんて言葉があるけれど、絶対に嘘だ。
 そんな美少年が人を惹きつけない筈もなく、女性から絶大な人気を誇るニールに何故か気に入られた所為で、ローレリアは大変な被害に合ってきた。女の嫉妬ほど恐ろしいものはない、とローレリアは身に染みている。
 
 
 ほや〜ん、と笑って皆からの祝福に答えているその綺麗な横顔を、ローレリアは睨みつける。国王やら王后やら公爵やら宰相やらの前で下手なことは言えないので、口を開くわけにはいかない。開いたら彼を罵倒する言葉しか出てこない気がする。周りの人々を見ると脚が震えるので、とりあえず見慣れたニールを睨み続ける。
 ローレリアの焼き殺すような視線に流石に異変を感じたのか、ニールはへにょ、と気の抜けたような嬉しくて堪らないという笑みを湛えたまま、ローレリアにそっと耳打ちした。
「僕も、夜まで待てませんよ、ローレリアさん。・・・早くあなたと一つになりたいです」
 
 阿呆か! 何を勘違いしているのだ!
 ローレリアは、カッと頬を染めてニールを睨む。
 しかし、えへへ、と頬を染めるニールに、ローレリアは怒りを通り越して、ツッコミを入れる気力もなく、ガックリと肩を落とした。
 どうあがいても、もうどうにもならないことが解からない程ローレリアは馬鹿ではなかった。
 爵位を持つ領主の娘とはいっても、ローレリアの父の位は下から2番目の位の子爵。領地は小さく牧歌的な山の中。特産品はあるが、生産量が少ないので、あまり裕福ともいえない田舎の領地の娘。
 片や、夫になった相手は、王族の次に高い位の聖騎士爵を将来受け継ぐ身。
 こうやって、彼の為には王と王后さえも、結婚の祝福をする雲の上の身分。
 本来ならば、口を利くことさえないような相手なのだ。
 普段はぼーっとしていて、信じられない程世話が焼けて、本当に大丈夫なのか、毎日忘れずにちゃんと食事をしているのか、風呂で眠りこけて溺れないか、と疑うような相手であっても。
 集まった要人は、皆、彼の為。
 ローレリアの為に来た人の席なんて家族以外には…………
 
(え、ちょっと! あなた達、何、祝福を装って男の鑑定してるのよ!!)
 高官や高位の領主の跡取り達に目を光らせている同僚達を見つけて、ローレリアは益々憤慨した。
 彼女達が来ているという事は、自分が招待したのだろうか?
 何がなんだかさっぱり解からない。
 これはやっぱり夢なのだろうか?
 夢ならば悪夢だ。さっさと醒めて欲しい。
 頼むから、醒めてくれ。
 いくら願っても一向に醒めそうにない夢の続きの中で、ローレリアは大きく溜息を吐いた。
 
(ああ、どうしてこんなことに……!?)

 

 

 

 

(2)へ進む

 

 
inserted by FC2 system